見出し画像

素直とわがまま③              自分自身と他者を意識した日

私が「素直とわがまま」の問題に気がついたのは17歳の頃でした。
ボーイフレンドから「〇〇に行こう」と誘われたとき、
本当はそこに行きたくないと思っているのに、
私はその気持ちをすんなりと伝えることができませんでした。
そして、彼の考えに合わせようとする自分自身に疑問を持ったのです。

自分の気持ちに素直にしたがえば、「行きたくない」と言えばすむ話です。
でも、私は好きな相手の気持ちに逆らって、
自分の気持ちを押し通すことはわがままなのかと考えたのでした。
でも、その答えは簡単には出てきませんでした。

そんなことを数日考えていた頃、学校の試験がありました。
私は、漢文の試験が考えてもわからず、時間があまってしまったので
答案用紙の裏にその問題について長い質問を書きました。
すると、戻ってきた答案には先生からの返事が書いてありました。
「その問題は難しいですね。ぼくにも正答はわかりません」

私は漢文も漢文の先生(大学から来ていた講師)も
特に好きだったわけでもありませんでしたが、
単純にこの人なら教えてくれるかもしれないと考えたのでしょう。
ところが、私が考える「素直とわがまま」の問題は、
この先生にとっても謎なのだということだけがわかりました。

「自分を通す」ことが「わがまま」になるのは、
相手の意に反している場合です。
だからこれは自分自身と他者の関係性の問題です。
他者にかかわらないことなら、私たちは自由でいられます。
でも、他者とのかかわりがあるときにはそうはいきません。
言いたいことがあっても、言えないという人もいるでしょう。
私たちは自分の気持ちをそのままに言うのではなく、
いつも人の顔色をうかがっています。
そして、自分の気持ちに正直にいられないと、
閉塞感で押しつぶされそうになることがあります。

また逆に、言いたい放題で図々しい人間は、
「空気が読めない」と言われることもありますし、
後ろ指をさされていることぐらいはわかります。
人は、本当に「場の空気が変わる」のを感じとります。
緊張感とか、雰囲気とか、場の空気とか、
これはなんなんでしょうか。
一人の人間の心持ちや意識のことではないような気がします。
こんなあるのかないのかわからないようなもの―—
それを私たちは感じとってしまうようです。

「○○に行こうか」と誘われたときに、
はっきりと「行きたくない」といえるには、
自分の気持ちのままに伝えてもこわれることのない関係性、
柔軟性をもった信頼関係を築けているかどうかが問われます。
私が最初に感じた「素直とわがまま」の問題は、
このことだったのだろうと思います。
つきあいはじめたばかりのカップルには、
まだそこまでの信頼関係ができていない。
自分自身の本当の気持ち。
その気持ちのままでいたいと私は考えたのです。
誰かの望むように生きるのではなくて、
自分自身を生きていきたいと17歳の私は考えたのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?