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子の話を聞くことは母親の仕事なのか

きっとそうなんだろうな。
みんなそう認識してるみたいだし(わたし調べ)。
だけど、それはいつまで?
子が大人になってもずっと聞き続けなければならないの?

こんなこと言うのは、娘の話を聞くのがつらいから。
娘は基本、愚痴というか、悩みというか、の話が多い人。
人間関係を築くのがあまり得意じゃないタイプだ。

そしてわたしは同居家族の愚痴を聞くのが死ぬほど苦手だ。
友人の悩みや愚痴なら聞ける。
それは家族より友人が大切だとかそういうことではなく、友人と会ったり話したりするのはたまにだから大丈夫だけど、家族の場合は毎日だから消化しきれない。
その結果、澱のようなものが自分のなかに溜まっていってしまう。

親が配偶者や舅姑などの愚痴や悪口などを子に毎日、聞かせるのは心理的虐待だという言説がある。
親→子の場合は虐待で、子→親の場合は義務なの?

てやんでえ!  世間が、子が、母親は子どもの話を聞くべきと思っていても知ったことか。
娘が小学校時代から延々とこの手の話を聞き続け、もはや自分の許容量を超えてしまったわたしはこの数年、容赦なく
「そういう話は聞きたくない」と娘に拒否の姿勢を示すようになった。
それでも話してくることも多いのだけどね。

なぜこんなに子のネガティブトークが苦手なのか考えてみると
自分にはどうすることもできない(たとえば学校、あるいは職場の)問題を延々と聞かされることの無力感というか徒労感に耐えられない。
そしておそらく、想像力が働きすぎて、人のネガティブな感情を自分のもののように感じ、ときには増幅させて抱えてしまうのがつらい。
イマジネーションも善し悪しである。

医療者とか支援者とかはきちんと切り換える訓練をしないと、下手に共感しすぎたり、想像力ありすぎたら病んでつぶれてしまうという。
では、どんなふうに訓練したり、切り換えたりしたらいいのか。

その方法を切実に知りたい。





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