ヨシタケシンスケ著 『メメンとモリ』を読んで 生きることの考察
ヨシタケシンスケさんの絵本である『メメンとモリ』を読んだ。メメント・モリとは、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味のラテン語である。
この絵本では、メメンという女の子とモリという男の子が登場する。二人のやり取りは非常に意味深い。
幼い頃の疑問というのは、実はとても本質をついたものであることが多い。いつの間にか我々は、かつて抱いた疑問は忘れ、日々の些事に追われ続けてしまっているのではないだろうか。
死を意識しながら生きている人は、基本的にはいない。なぜなら、人間の脳は、理性と呼ばれるもののために、等価交換を常に行っていると言えるからだ。言語は思考を構成する要素となるが、その本質は、入ってきた感覚に枠組みを設けることである。枠組みを作らなければ、水のように流れ去って保持しておくことができず、形づくることもできない。それは、言語を持つ人の特性であると考えて良い。その特性の延長として、記憶として保持され、積み上げられたものは常に同質であると認識する。だからこそ、眠って意識を失ってから、また起きて意識を取り戻した後でも自分は同じ物質だと認識する。実際は、それが正である保証はない。人間の頭は都合よく作られている。無意識状態と死の違いは殆どないにも関わらず、無意識下の自分の状態はなかったものとして扱われる。そのために死を意識することは殆どない。なおかつ、現在は死に直面する機会が非常に少ない。多くの死は普段見えないところに隠されてしまっているからだ。
だから今を大切にできなかったりする。大事なことを忘れてしまったりする。生と死は対極に位置するものではなく、連続したものであるということを忘れてはいけない。
トーマス・マン著 『魔の山』において、生命とはなにかを表現している箇所がある。生命とは、本来存在しえないものの存在であり、崩壊と新生が交錯する熱過程の中だけで甘美と苦痛とともに辛うじて存在の一点で均衡を保っているものの存在だと述べる。
メメンとモリもなんとかバランスを取りながら芯を築いていく。生きることの本質を見つけさせてくれるようだ。誰にとっても心に留めておきたいことが詰まっている。特に辛い時ほど見返したい。きっと近道とか遠回りとか、失敗とか成功とかとてもちっぽけなものだ。もっと気楽でもいいのだ。
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