SHIN

備忘録程度にあれこれ思った独り言をしたためていきます。

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最近の記事

フィギュアスケート教室に通う話

唐突にフィギュアスケート教室に通うことにした。理由は二つ。 一つ目は、40歳になるという節目もあり、30代はもやもやっとだらだらっと過ごしてしまったので新しい事始めたいなと思って。ベタ。フィギュアスケートを観ることは好きだし、フィギュアスケート選手みたいにステップが滑れるようになれるとカッコいいなぁと常々感じていて。ジャンプとスピンは多分無理そう。目が回る。プールで25m泳げるようになるのと同じように、リンクの端から端までステップで滑り切れるようになれるのが憧れ。 二つ目

    • 母の話その3

      色んな人と話していくとたまに家族の話になり、母親の話題を振られ「もう亡くなってるんですよー」と伝えると、大抵は「あぁ...ごめんなさい、変なこと聞いて」と謝られることが多い。自分に限って言えば全然変なことではないし、むしろ話せる範囲ならなんでも話せるスタンスである。 以前mixiでその当時のことを書き出していて、自分の気持ちを整理しつつ励ましもたくさんいただけたことは今でも感謝している。ちょうど今日その話題も出たこともあり、noteでも書き出してみようかなと思う。 事の起

      • 次男の話

        さてここまで来たので次男にも触れようかと思ったのだが。無い。これと言ったエピソードが無い。 決して仲が悪いということでは無いのだが、昔から次男は超がつくほど一匹狼気質なので、家族でも何をしてるか何を考えてるのか良くわからないというくらい飄々した存在である。気ままな独身生活で仕事も何をしてるのかわからない。 自分も全く連絡を取らないし、最後に会ったのは母の七回忌法要の時で、その時も「よう久しぶり」って交わしたくらいなのである。今登録されている携帯番号やメールアドレスも果たし

        • 長男の話

          兄が二人いる。男三兄弟。方々から男たち3人だと仲良さそうでいいねぇと言われるが、実際は顔合わせれば喧嘩はしてたし、プロレス技の実験台になっていたわけで。だいたい海老反り固めかコブラツイスト。大きくなると互いに勉強やらバイトやら遊びやらで忙しくなって、家の中にいても顔を合わせないこともままあったほどだ。 自分は末っ子ゆえに先程のプロレス技の実験台を始め、まぁいい感じに弄られる事が多くあまり好きにはなれなかった。 そんな自分が大学進学で神奈川へ上京。就職で埼玉にいた長男は間も

        フィギュアスケート教室に通う話

          男と女としての両親の話

          母が亡くなったあと、一人残った父は果たして大丈夫なのだろうかととても心配であった。(兄も含め実家から離れているゆえ) 父は割と一人で行動することが多く、それを見守るようなことがよくあったので、一人で生活する分には大丈夫だろうと思っていたけど、長年連れ添った母がいないことに対するメンタル面が特に気がかりだった。 しばらく経ってから父から連絡があり、お付き合いしている方がいると報告があった。 ぶったまげた。父に付き合っている人がいる?だと?詳細は割愛するが、真っ当な巡り合わ

          男と女としての両親の話

          母の話その2

          母が亡くなって未だに心残りが一つだけある。 自分が小学校4年生くらいの時、夏休みに札幌にいるおばさんに会いに、母とふたりで旅行に行くことになった。家族と旅行すること自体そんなに多くなかっただけに、自分はもうワクワクしっぱなしでわがままし放題であった。 札幌に行くついでに小樽へ観光に行くことになって、昼ご飯をどうするかとなった時に自分はどうしても普段から食べたかったファーストフードに行きたいと駄々をこねた。(元々ファーストフードはあまり好まない家族だった)母はそんなの家に帰

          母の話その2

          母の話

          「SHINちゃん、ほんとあなた昔のお母さんにそっくりだわ...喋り方も仕草も...」 と言って泣き崩れたNさんを今でも思い出す。 母が亡くなって初七日法要が終わった後、母の高校の同級生でずっと仲良くしてたNさんに挨拶へ行った時のことだ。 それまで自分は母や父、兄たちと似てると思ったことは殆どなかった。性格もバラバラだし趣味や食べ物の好みもバラバラ。休みの日に昼前に起きたら誰もいないことも結構あったくらい、個人プレーの集団みたいな5人だった。だから家族とか兄弟とか言われ

          母の話