母の話その2

母が亡くなって未だに心残りが一つだけある。

自分が小学校4年生くらいの時、夏休みに札幌にいるおばさんに会いに、母とふたりで旅行に行くことになった。家族と旅行すること自体そんなに多くなかっただけに、自分はもうワクワクしっぱなしでわがままし放題であった。

札幌に行くついでに小樽へ観光に行くことになって、昼ご飯をどうするかとなった時に自分はどうしても普段から食べたかったファーストフードに行きたいと駄々をこねた。(元々ファーストフードはあまり好まない家族だった)母はそんなの家に帰っても行けるじゃないと窘めたが、自分は頑として譲らずしぶしぶファーストフード店で昼ご飯を済ませた。その後、母は石原裕次郎記念館に行きたいと言ったが、子どもの自分には石原裕次郎より水族館の方が圧倒的に魅力を感じていたので、そこでも頑として譲らず連れてってもらった。

親子水入らずの旅行は半分自分のわがまま放題な旅行となって母はあまり楽しめてなかったような気がした。その当時の自分は微塵にも思ってないが、今となっては心のどこかで棘が刺さってるかのような感触がある。

いずれ仕事が落ち着いて余裕が出来たら、もう一度母と小樽へ行って石原裕次郎記念館に連れてって好きな食事をさせてあげようと思っていた。

だがそれも叶わず母は天国へ引っ越してしまった。

今となってはもうどうにもならないことではあるが、この棘をずっと抱えたまま生きていくしかないと思っている。まだ両親が健在な人達がいたら、親孝行するなら生きているうちにしておいた方がいいよという当たり前の事しか言えないのだが、その当たり前なことか難しかったりするんだろう。とはいえ、父に親孝行らしいことはまだ何も出来ていない自分だが、何が出来るのか考えないといけない。そんな父はもうすぐ70歳。早い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?