日記 方向音痴を馬鹿にしたりしません(2024年5月)
2024年5月の日記です。皆さまいかがお過ごしでしたでしょうか。
5月から復職いたしました!拍手をください!3月の頭から休職しはじめ、約2ヶ月のお休み。復帰初日は緊張の面持ちで会社に向かいましたが、もうけっこう慣れてきました。同僚からは「髪伸びた?」と逆タモリみたいな質問を何度もされました。意外と見てもらえてるんだと思うと、ちょっと気恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しいですね。ここからはいいペースで、仕事終わりにはカフェで本でも読みながら、そんな生活ができたらいいなと思っています。
アイル・ビー・バックなMay
2024/5/1 水
難波はアジアである。梅田や他の都市とは違って、かなりアジア。エスニック料理店ばかりということではない。店のラインナップはどこも変わらない。難波をアジアたらしめているのは、開放感。ダイバーシティなんて言われ始める前から、難波は常に開かれている。
千日前通りでは、多種多様な店がスーパーのパック寿司みたくぎっしぎしに詰まっている。詰まり過ぎて、互いに混ざりあい、侵食しあっているかのよう。勢い。新しい建物もあれば、バブル期に建てられてそうな古びた派手な建物もある。オトナ帝国や千と千尋のような、しんとした恐怖を背中で感じる。そういうところも含めて、難波は開かれていると思った。
そんな難波に来た本日。老舗大衆洋食店「自由軒」に行ってきた。名物はカレー。ルーとご飯が渾然一体になっているタイプのカレーで、ご飯のくぼみには生卵が落されている。古池に映る満月のように、ぬらぬら光る生卵。店内にある「名物カレーのお召し上がり方」という張り紙には、こんなことが書かれてあった。
どう考えても①がいらない。無駄すぎる。召し上がり方じゃないし。ご丁寧に、それぞれの項目にはイラストが添えられていた。①の上にただの名物カレーのイラストを置いて、だからなんだってんだ。「3つ並んでる方が、なんかええ感じせえへん?」という意図がバレバレ。3の魔力。無理やり連れてこられた①も、不思議そうな表情でぽつんと立っている。思わず「あんたは悪くないよ」と言いたくなった。
2024/5/2 木
今日は我流のプチファスティング(ちょっとした断食)をやってみることにした。定期的に健康を目指してみたくなる日がある。全く何も食べないというのはさすがに無理そうなので、カロリーがありそうなものを食べないということにした。
朝、冷蔵庫を開ける。カロリーがなさそうなものを探す。大根の漬物があった。甘くない、千切りのタイプ。これは確実に0カロリーだ。漬物を引っ張り出してきて、醤油をかけてバリバリ食う。米はいらない。漬物だけ。醤油をかけて。バリバリバリバリ。食う食う食う食う。バリバリバリバリ。あれ……これ健康か……?目的を見失いそうになって、黙って箸を置いた。
駅でミャクミャクが載っている万博のポスターを見かけた。何度見てもミャクミャクは怖い。鮮やかな色彩をしているのに暗く見える。影がある鮮やかさ。怖い。そりゃあ人気は出ない。グッズも売れない。「生命とは摩訶不思議で恐ろしいものだぞ!」というメッセージなのだろうか。赤はいいとして、青が怖い。自然にはない色だから。
2024/5/3 金
会社の同期がくるんくるんのパーマにしていた。ただのパーマではない。くるんくるんのパーマ。もはやぐるんぐるんと言っても過言ではない。はじめて出会った時は黒髪ストレート、少し前にインナーにピンクを入れてイメチェン、そこからさらに違う印象になった。似合っていてかっこいいと思った。アメリカのドラマに出てくるハイティーンのような、あのかっこよさ。同期のカーリーヘアに、思わずわたしまで誇らさをいだいた(なぜ)。早く会社で見てみたい。そのためには、私ががんばらないといけないのだが。
髪といえば、最近の私は地毛への愛に目覚めている。逆に言えば、改めてそう思うくらい地毛から離れていた。簡単に来歴を説明する。
シルバーの後、色落ちした金髪が続いていた。地毛と離れ離れだった3年間。会社員にしてはかなり長い期間。最後に残った金髪を少しずつ切り落として、私は本来の私(と地毛)を取り戻していく。おかえり、私(と地毛)。
2024/5/4 土
パンは、クロワッサンだけ残ってくれればそれでいい。ドーナツは、ミスドのハニーディップとスタバのシュガードーナツだけ残ってくれればそれでいい。そう本気で思っている。パン食アンチ。アンチパン食。アンパンチ食。安心してください、そんな極端な思想は持ち合わせておりません。今日初めて口にした固形物が、スタバのシュガードーナツだっただけ。
ガブリエル・ゼヴィンの『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』を読み終えた。おもしろすぎた。読んでいる途中、早く読み終えたいけど、ずっと読んでいたい気もするという不思議なジレンマに悩まされた。これってわたしだけなのかな。読んだ人、みんなそうだよね、きっと。
サムとセイディという二人のゲームクリエイターの物語。二人の友達でもなく恋人でもなくビジネスでもない絶妙な関係に、その安定的な不安定さに引き付けられた。そして、シェイクスピアやエミリー・ディキンソンの引用が物語に奥行きを持たせる。ゲームというモチーフもいい。残機があってやり直しがきくゲームと現実が綺麗な対比になっていて、ゲームを通して現実を知る機会になった。語り口も特徴的だ。第三者視点で群像劇のように、また時系列も組み替えられて話が進む。だからこそ未来から現在に伏線を貼ったり、隠されていた事実や心情が突然明らかになったりと展開が揺れ動き、序盤からアトラクションのように読んでいけるストーリーになっていた。
あまりにもおもしろかったので、数人にLINEでその気持ちをぶつけてみた。案の定、厄介なオタク扱いをされてしまったが、その内一人はすぐさま購入してくれた。一人読者を増やせただけでも嬉しかった。
2024/5/5 日
いつもの美容室から一日を始める。「ラランドのサーヤみたいにしてくださいと!」となじみの美容師さんにオーダーしたら、「あんまり聞いたことないよ、その注文」と言われた。え、なんで?みんなサーヤになりたくないの?信じられない!私の髪は金髪を切り落とした時に全体的に短くなっているので、サーヤになれるのはもう少し時間がいるらしい。一日千秋とはまさにこのことだ。
今日の予定は三宅香帆の読書会。久々に出町柳駅で降車。鴨川デルタにたくさんの人がいる。こんなデルタは見たことがない。あらためて、私の大学生活はコロナ共にあったんだなぁと実感した。いつ来ても、京都にはノスタルジーを感じる。私の人生で、最も輝きが重かった場所だからだろうか。
読書会に参加したのははじめてだった。一応なんて言おうか道すがら考え、メモをしてみた。会場では20人ほどの参加者が3班に分かれ、課題本について互いに感想を言い合い、気になったシーンやキャラクターなんかについてぐんぐん掘り下げていく。今回の課題本は『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』。この日のために急いで読み進めていたのだ。
読書会は、想像以上に楽しかった。衝撃。えっ、今まで何してたんだろう。一冊の本をこんなにも「読める」という事実に驚き、今までさらっと読んできたの本に少し申し訳なさを感じたほど。それくらい、読書会は有意義だった。参加者一人一人が、セイディとサムの関係性だったり、作中で引用されている詩の解釈だったり、散りばめられた伏線やメタファーについての考えを発表する。私の周りには読書好きが少なく、人が集まって同じ本の話をしているだけでも泣けてくる。そのうえ、自分と違う他人の読みにはたくさんの発見があり、読書という体験を何倍にも膨らませてくれたような気がした。
2024/5/6 月
久々に、ちゃんと「朝だなー」と思える時間に目が覚めた。スマホは6:30の光を放っている。じんわり眩しい。朝の中でもけっこう早い方の時間帯だ。まだニワトリも鳴いていない。すみません、嘘つきました。私の家の周りでは、何時になってもニワトリは鳴きません。
今日は地元メン(KとY)とのカフェ・デー。わたしが店選びを担当したので責任重大だ。ただ一つのミスも許されない。9時に地元の駅に集合する予定。当然のように私は5分遅刻。早速一つ目のミス。私は5分の遅刻を積み重ねていくような、そういう人間だ。言い訳になるかはわからないが、Kは7分遅刻していた。
わたしたちは本町のカフェへ向かった。前に会社の後輩に教えてもらったお気に入りのカフェ。店に入るなり「めっちゃいい感じ!」と言うK。うれしい。「人が少なくていい」と言うY。そこかよ。二人はホットサンドを注文し、わたしはBLTサンドにした。二人は私の倍ほど食べる。びっくりするくらい食べる。それなのに、もし私たちがボクサーだったら私の方が階級が上になるだろう。まことに世の中は理不尽である。
カフェを出て、また別の本町カフェに入った。カフェ・デーだからね。店に入るなり「めっちゃいい感じ!」と言うK。うれしい。「人が少なくていい」と言うY。とにかく人が多いところがとにかく苦手らしい。「ゴールデンウィークなのに人が少ないのいい、また来ようかな」と言っていた。うれしい。カフェではいろんな話をした。私が「スマホ持ってるのに方向音痴な人って意味わかんないよね」と言うと「そんな人いるか?今どき」と言われた。なんでもない日常。こういう瞬間が大切だということに、私は最近気がついた。カフェを出る。一歩目から進む方向を間違えた。ごめんなさい。
中崎町まで歩いてカレー屋で腹を満たし、気になっていた近くのパン屋に行ってみることにした。一本横の通りだったのに、もう一本先まで行ってしまって遠回りすることになった。二度と、もう二度と方向音痴を馬鹿にしたりしません。ごめんなさい。
もう一軒カフェをハシゴして、夕方には解散した。二人は明日も仕事がある。家に帰り、4月の日記を公開した。二人をイニシャルで登場させてしまったので、思い切ってLINEで日記を送ってみた。「おもろかった!また新作できたら見せて」と言うK。「本格的やな、おもろい笑」と言うY。うれしい。
2024/5/7 火
指輪をつけている時、ぐぐっと指の根元に重みを感じる。数十グラムのくせに、指輪の重みはしっかりある。重み、重力、万有引力。私と地球を繋ぐたしかな感触。それだけで、生きていることを実感できる。非常にコスパが良い。メンタルは不調をきたしたが、自傷行為はしない自信がある。指輪をつけるだけで、雨に打たれるだけで、CoCo壱番屋の3辛を食べるだけで、十分生きていける。
はじめて「洋麺屋五右衛門」に行った。麒麟・川島がインスタに「タコのペペロンチーノ」を載せていて、ずっと気になっていた。ゴールデンウイーク明けの梅田は、びっくりするほど人が少なかった。バスケならパスもらい放題なくらいフリーになれる。
エンドライン沿いの洋麺屋五右衛門に入った。注文は「タコのペペロンチーノ」。なんだこれ。うまい。うますぎる。たっぷりのオリーブオイルとたっぷりのニンニク。散らばった輪切りの鷹の爪とまるまる一本の鷹の爪。これだけでうまいことは確定。そこにタコだ。タコだよ。タコですよ。このタコの弾力たるや。麺はつるつる、タコはもちふわ。コントラストの喜び。鷹の爪で辛味を出しているうえに、コショウも多め。ここにもコントラスト。味がくどくならず、ぺろりと平らげられてしまう。危ない。おいしいを超えて、おそろしい。
スタバで本を読み、日記を書く。帰ろうとして、立ち止まり、引き返してまた洋麺屋五右衛門に行った。注文は「タコのペペロンチーノ」。なんだこれ。うまい。うますぎる。こうして、私にはたらく万有引力を増やして帰った。
2024/5/8 水
しまった。寝坊した。12:30にはお店に着いていないと。もう11:00。梅田まで1時間ちょい。行けるか。しまった。昨日髪を乾かさずに寝てしまった。頭がボッサボサのボサボサだ。すぐに取り掛かろう。なんとか身支度を終えた。家を出る。しまった。お気に入りの指輪を家に忘れた。取りに帰っている場合ではない。指輪は諦めよう。電車の中で梅田に着く時間を調べた。お店にはギリ間に合いそう。ふうっ。そんな、BESTじゃないけどBETTERな朝。
会社の後輩と福島でランチに行ってきた。二人でご飯に行くのははじめて。貸していた『夜は短し歩けよ乙女』を受け取るついでに誘ってみたのだった。後輩とはいろんな話をした。なんだかんだで仕事の話にもなり、その話にもついていける自分にも驚いた。そろそろ戻れるような気もしてきた。
調子に乗った私は、後輩に「こんな企画どうかな」と思い付きを提案してみた。後輩は後輩でアイデアに悩んでいたそうで、「検討します!」と言ってくれた。社交辞令でも嬉しかったのだけど、後輩はその場で上司に連絡し、数分後には私のアイデアが採用されていた。復職しようと思った。
夕方、洋麺屋五右衛門でタコのペペロンチーノを食べた。なんだこれ。うまい。うますぎる……。このマイブームには、早く廃れてほしいと願うばかりである。
2024/5/9 木
朝、実家でごはんを食べた。今日は夜までこれだけで腹をもたせよう。昼、餃子の王将で天津飯セットを食べた。私は何をやっているんだ。
王将後は今日も今日とてスタバ。席に座ってあれこれしていると、いろんな二人組が周りの席に座っては、二人で自撮りをして去っていく。スタバで自撮りをする人が一番純粋だと思う。世の中を捻くれた角度で見たりしていない、純粋な人たち。私はそっち側に行くことができない、芯からダークサイドの人間。
そういえば、私は私の人生から結婚を切り離すことにした。ややこしいから恋愛も切り離す。スペースシャトルの燃料のように、ぽろっと。上手に飛ぶためには、不要なものを捨てて軽くならないといけない。槇原敬之に「僕の歌、聴いたことある?」と言われても、この考えは変わらない。
復職はすると決めたけど、ずっと仕事をやっていく自信はないし、出世なんてまっぴらごめん。そうなると、(あくまで私自身に対して)結婚しない方がいい気がする。私には、私一人を生かしていくのが精一杯。養ってもらう手もあるけど、そのために人付き合いができるような人間ではない。それに、子どもをちゃんと育てられる自信がない。人に執着しないし、そこまで他人に興味がないから。自分ではそんなつもりないけど、客観的にはネグレクトしていると判断されるような親になってもおかしくない。それは怖い。
結局のところ、私はスタバで自撮りができないダークサイドの人間であり、その性質を受け入れて結婚(恋愛)を捨てたというだけ。心配は不要です。これでもけっこう人生楽しんでます。
2024/5/10 金
「すみません、その時間は空いてなくて……」。私は推しのツイッタラーとご飯に行く、千載一遇のチャンスを逃した。なんてついていないのだろう。不運。不幸。不安。不平。不満。不遜。不義。今日ばかりは、この世界のあらゆる「不」は、わたしのものだと思った。
三宅香帆の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んだ。おもしろかった。働いていると本を読めなくなる感覚はよくわかる。あと社会人になると「本を読む時間(とある種の才能)があるのなら、ビジネス書みたいな役に立つ本を読めば?」という空気も感じる。今まで読んだ本の中で一番おもしろかったのがビジネス書だなんて、そんな人生、あってたまるか。
こないだランチに行った後輩にこの本を紹介すると、「あっ、それ最近バズってる本ですよね!」と言われた。なぜか自分のことのように嬉しかった。私は三宅香帆のファンなので当然チェックしていたのだが、世間にも広まっていることが嬉しかったんだと思う。
夕方、Xの通知で画面が光った。「明後日なら空いてます!ご予定いかがですか?」。私は、雰囲気しか知らないインドの踊りを一人の部屋で踊った。
2024/5/11 土
新大阪のマクドナルドで、安倍公房の『砂の女』を読んでいるのは私だけだったと思う。モバイルオーダーした朝マックが席に届く。列に並ぶ人をごぼう抜きするのは、いまだに気持ちがいい。というか、モバイルオーダーを使わずに列に並ぶのはなぜ。LUUPに乗らずに歩きたいというのとは、わけが違うぞ。朝マックを食べ終える。スマートexで予約した新幹線の発車時刻が近づいてきたので、砂に埋もれたマクドナルドを後にした。
東京で、高校の友人とご飯を食べた。友人はこの後仕事があるらしく、新橋に集合。土曜日まで仕事なのか……。新橋については無知なので、友人におまかせ。もつナポリタンのお店が有名らしく、そこに行くことにした。着いた。閉まっていた。どうやら土曜日定休らしい。気を取り直して、イタリア街というエリアでカフェを探すことにした。着いた。カフェなどなかった。そんなにイタリアでもなかった。
結局、駅前のオムライス屋に逃げるように駆け込んだ。「ごめんね」と謝る友人。私は「散歩好きだから大丈夫」とアウトコースすれすれのフォローを返した。
東京には、K-POPグループBABYMONSTERの日本初ファンミーティング『See you there』に参戦するために行っていた。凄まじかった。言葉では言い表せない凄さとはこのことだと思った。日記なのに。言語化の放棄はそのまま敗北宣言だ。でも、この衝撃と感動に安易な言葉を与えて形にしたくない。私の拙い文章力のせいで、この素晴らしさが少しでも削られてしまうのは本意ではない。そう思ってしまった。写真や動画の撮影は禁止だったが、禁止じゃなくても撮影しなかったかもしれない。LIVEが、LIVEだった。
2024/5/12 日
私は20年と少しの間、何も考えずに生きてきた。何も考えずに。人生25年目になって、文芸の世界に魅了されるようになった。正確に言うと、小中学生の頃から図書室によく行く子どもだったし、高校生の頃に純文学作品に一瞬ハマったこともあった。ただ、最もたくさん本を読めたはずの大学生の期間、私は遅れてきた青春を謳歌することに必死で、文芸から遠ざかっていた。
お昼は推しのツイッタラーとご飯に行った。元々は大学の友人に「この人のnoteがおもしろい!」と紹介された人で、数本しか投稿されていなかった作品に惹かれ、たまたま見つけたTwitter(新X)をフォローするに至った。同じ大学の同期であること以外、性別も、学部も、所属コミュニティも何一つ知らなかった(私と同じく、あえてそのあたりを隠していたらしい)。
私たちは最初の方こそ緊張していたものの、同じ大学や共通の友人の話や、最近読んだ文芸作品の話なんかですぐに意気投合した。パーソナリティに共感するところが多かったことも、話が弾んだ要因かもしれない。普段はあまり人付き合いが好きではなく、社会人になってからは知らない人と話す場面を避けてきたのだが、今回ばかりは勇気を出してよかったと思った。
大阪に帰る前に、昨日BABYMONSTERを一緒に見に行った東京の友人と、その友人と三人でお茶する流れになった。珍しく初対面の人と話す機会が多い一日だが、今日のわたしは調子がいい。友人の友人は上方愛が強く、私が関西弁を話すたびに「それいいね!」「ほんとうにそう言うんだ!」「これが本場のイントネーションか!」と目を輝かせてリアクションしていた。留学生はこんな感じの反応をされているのだろうか。だとしたら、悪くない気分なんのかもしれないと思った。
さて、明日は復職に向けた産業医との面談。どうなることやら。
2024/5/13 月
復職するためには、普段通っているメンタルクリニックだけでなく会社の産業医とに面談が必要らしい。私は、二か月ぶりに会社に行くことにな田。外に出ると、空模様は私の心を反映したかのような曇天。そりゃあ元気溌剌とはいかないよね。
数分の面談は、特に問題なく終わった。特に問題なく、明日から復職可能とのこと。昼前に終わったので、上司とランチに行くことになった。食べながら、休んでいた間にしていたことを話し、上司からは仕事で起きたことを聞いた。帰り際、「もちろん奢るよ」という上司。ありがたい。伝票を持ってレジに向かう。クレカの不具合で決済できず、けっこうな待ち時間が発生。もし恋人だったら蛙化してたのかもしれないけど、真面目厳しい系しっかり者上司よりは全然いいなと思った。
2024/5/14 火
今日から正式に復職です!オフィスに入るだけでも緊張してしまう(昨日の面談は別の建物だった)。
オフィスでは、いろんな人が声をかけてくれた。同期やよく話す後輩、チームメンバーや上司はもちろん、普段あまり話さない別部署の人も話しかけてくれた。とても嬉しいことなんだろう。実際に嬉しい気持ちもあった。ただ、正直なところ、嬉しさよりも疲労の方が大きく感じた。大勢の人と話すこと自体が久々で慣れておらず、めんどうだと思ってしまった。
それと、「書く」と「話す」は全然違うということを実感した。休みの間も書くことは続けていたが、それには自己検閲をかけられる。LINEなんかのメッセージでもそう。不適切かどうかだけではなく、間違った言葉使いやおもしろくない話も、ある程度校正してから出すことができる。しかし、書くような感覚で人と話すと、ものすごく言葉に詰まる。かといって検閲をかけずに言葉を発するのは怖いと思うようになってしまった。私は、以前にもまして人付き合いが苦手になったのかもしれない。
今の私のコミュニケーションの取り方は、徐々に元に戻っていくものなのだろうか。それとも、今まで無理していただけでこれが本来の私なのだろうか。まぁどちらであっても、私くらいは私のことを愛してあげようとは思っている。
2024/5/15 水
けっこう仕事を頑張った。オフィスを出て実家に帰り、スーパーのパック寿司を食べる。昔から寿司が大好きだった。今でも大好きだ。I love SUSHI dangerously。狂おしいほどに、わたしは寿司を愛している。
寿司といえば、私は"いくら"がアレルギーで食べられない。わりと珍しいアレルギーなのか、人に話すたびに「えっ、いくらアレルギー!?」とよく驚かれる。いくらの本体をよけたとしても、残りのエキスだけで反応を起こしてしまうため、茶わん蒸しの上のいくらにも油断は禁物。あんな小さい卵のくせに、生意気だ。一方で、鮭の切り身や他の魚卵は、なぜか問題なくたべることができる。アレルギーとはなんとも不可解な現象である。
初めていくらを口にしたのは小学生の頃だった。今日と同じようにスーパーのパック寿司が並ぶ食卓。その日は特別お腹が空いていたのだろうか。少年の私は、良く言えば思い切りがよく、悪く言えば無鉄砲で、あろうことか大トロ寿司といくら寿司を同時に口に放り込んだ。口の中で混ざり合う、二種類の魚介と酢飯のマリアージュ。幸せそうに踊る舌とは対照的に、喉は苦悶の表情で引き攣っていった。もはや味の記憶は残っていない。
ゆっくりと水を飲み、ちょっと休んで回復したところで、一つ疑問が湧いてきた。大トロといくら、私はいったいどちらのアレルギーなのだろうかと。後にいくらアレルギーと判明したのだが、いまだに大トロにも苦手意識が残っている。
悪いことは言いません、お寿司は一貫ずつ食べましょう。
2024/5/16 木
鏡に映る自分を見ると、こんな顔してんだぁと思う。写真に写る自分を見ると、誰だこいつと思う。なぜこんなにも見る媒体によって自分が変わって見えるのだろう。修正をしたわけでもなく、時間による変化があったわけでもないのに。もしかしたら、私の思う私の外見と、他人から見た私の外見はまるきり違うかもしれない。一人だけ私をビジュで推してくる友人がいるのだが、そいつが見る私と私が思う私はなにもかもが違うのだろう。
安部公房の『砂の女』を読んだ。おもしろかった。だいぶ昔に読んだが内容は忘れていたので、生誕100周年記念にかこつけて読み返してみたのだった。けっこうめちゃくちゃな設定というか、もはや不思議の国のアリスくらいファンタジー世界なのに、そこに違和感を抱かずに入り込める写実的な描写や正確な比喩は、やっぱりすごい。ただのサスペンスではなく、文芸として読み応えのある作品になっている気がする。途中に出てくる「往復切符」の表現が気になった。自由を求めて砂丘に来た男は、自由を求めて元の生活に帰ろうとする。結局のところ、私もそういう形でしか自由を感じられないのかもしれないなぁと思うようになった。(そういう気持ちで書いたnoteを添えて)
2024/5/17 金
少し歩いただけで、スニーカーの靴紐がほどける。必ず右足の靴紐が。なぜ右足だけ?靴紐の性格の違い?右足を前にしてしゃがむのが、一連のルーティンになってしまうくらい、外出すると必ずほどける。わからないふりをしているが、うすうすと原因には気がついている。きっと、私の姿勢の悪さからきているのだろう。私の背骨はゴルフのスライスくらい曲がった軌道をしている。小さい頃に寝ころびながらゲームをやりすぎた。ゲームは正しい姿勢でやりましょう。
私には、ずっと留学をしている友人がいる。周りに一人くらいそういう人がいるだろう。私は働き始めて2年くらい経ったので、友人は2年以上留学していることになる。ただただ、ただただ羨ましい。これは意地悪な目線ではなく、できるのならばそうありたい。留学生のビザでもできる仕事で食いつないでいるのか、めちゃくちゃ実家が太いのか。なんにせよ、羨ましい!
2024/5/18 土
今さらすぎるが、自己紹介のnoteを書いてみた。自己紹介とはいえ、読んでくださる方がいるかもしれないわけで、手抜きで公開することなんてできない。なんとかおもしろそうなポイントを入れながら書いていく。
やっとの思いで書き上げて公開した後、ふと気になって他の自己紹介noteを見てみた。興味を惹かれる内容や構成のものもいくつかあったが、それらはあまり注目されていない。一方で本当にただの自己紹介というnoteもたくさんあり、そっちの方が伸びているようだった。シンプルに不思議。サムネイルやタグ、投稿時間の問題かとも思ったが、いろいろ見ているとどうやらそういうわけでもなさそう。自己紹介としては、初々しい方がいいのだろうか。
検索したついでに、noteで自分の名前をエゴサーチをしてみた。短歌の方で引っかかったものもあったが。新着には競輪予想のnoteが並んでいた。同じ名前の選手がいるのかもしれない。もしお会いすることがあれば、よろしくお願いいたします。(自己紹介、よかったら読んでください!)
2024/5/19 日
礼賛というバンドのライブに行ってきた。お笑いコンビ、ラランドのサーヤがボーカルを務めるバンドである。会場は心斎橋にある「BIGCAT」というライブハウス。この辺りは高校の頃、初めてのデートで行った場所だった。オシャレな服を選んでほしいと頼んだら、明らかに身の丈に合っていない古着屋に連れていかれた。そいつは、最近結婚したらしい。
ノスタルジーを振り切って会場へ。ライブが始まる。私はフロアに紛れる。礼賛の曲は、どれも聴き心地がいい。客層も穏やかで、激しいモッシュなんかはせずにゆったり揺れながら楽しむことができる。もちろん盛り上がる曲は盛り上がれるし、カバー曲もあったりして、その緩急がいい。合間のトークもおもしろい。サーヤが相方ニシダの愚痴をこぼす。それが音楽になる。サーヤに音楽があってよかった。これも緩急。海の中でライブを聴いている感じがした。
曲のサビで、観客は手を縦に振る。これはライブあるある。そして、何曲かは手を横に振る。これもライブあるある。サビの歌詞で「バイバイ」とは言っていたり、ボーカルが横振りを煽っていたり、なんとなくそういうテンポだったり。横振りの発動条件は様々。共通するのは、振り始めはそろっていなかった左右の方向が、三往復目くらいでピタッとそろうこと。人間は社会的な動物だから。
だが、その日は違った。フロアの中央、一人だけ最後まで左右を逆に振るやつがいた。最初はただ気がついてないだけかと思ったが、二回目でも逆にしていて「あ、こいつ確信犯だ」と思った。人間にはそういうやつもいる。好きじゃないけど、エゴを出すとこでもないし。しかし、エアーズロックのように中心で堂々としているやつを見ているうちに、もしかして、他の私たち全員が逆なのではないかと思えてきた。やつの手は、まっすぐに伸びていた。
ライブが終わる。アンコール。再び登場する礼賛。グッズの告知。最後の曲。手は横振り。エアーズロックを見る。みんなと同じ方向で手を振るやつ。なぜか不思議と「合ってた」と安心している自分がいた。
2024/5/20 月
小さい「ヵ」。このヵは「ヵ月」とヶ「ヵ国語」でしか見ない。なんなら小さい「ヶ」に取って代わられていることもある。私は小さい「ヵ」の味方だ。小さい「ヵ」負けるな一茶これにあり。
夜には、唯一私のビジュアルを褒めてくる高校の友人に会ってきた。私は、なんであれ褒められると、その褒めに対抗するかのように「調子に乗るんじゃないぞ〜」と自分で自分を否定する癖がある。逆に、人に褒められていない時の方が「あれ、案外自分いけてんじゃね?」と調子に乗る傾向にある。非常に残念な性格だと思う。そんなわけで、友人にビジュを褒められるたびに自己肯定感が下がっていく、不思議な夜になった。
2024/5/21 火
才能というのは水道のようなものだと思う。いくつも蛇口が並んでいて、その後ろにはそれぞれの貯水槽がある。若いうちはとにかくいろんな貯水槽に水を溜め、成長していくにつれて蛇口を捻って使うようになっていく。蛇口の錆を落とすのは成長してからでもできるが、水を溜めることができるのは、せいぜい20歳くらいまでだと思う。
私は才能論者の気質があって、今までも向いてないと思ったことは早々に諦めて生きてきた。だが、捻りやすい蛇口の貯水槽に、たっぷり水が溜まっているというわけでもないのかもしれない。あちゃあ。
今日から寝る前にはパックを始めた。今までも化粧水やクリームはつけてきたし、もらいもののパックを使ったことはあったが、レギュラーにしたことはなかった。とはいえ、初めて触れるわけでもないのでそこまで新鮮な気分でもない。新発見といえば「パック中は顔認証ができなくなるという」ことくらいだった。
2024/5/22 水
小説のキャッチコピーを書いている人と、一度正面からバトルしたい。舌戦では太刀打ちできない可能性があるので、スマブラで一戦交えようじゃないか。納得いかない。もちろんセールスのためのコピーだということはわかる。私もマーケティングの仕事をしているので。ただ、あまりにもキャッチーにまとめようとして結果、全然中身のよさとはかけ離れてしまっていることがある。
川上未映子の『黄色い家』についていたキャッチコピーは「人はなぜ、金に狂い、罪を犯すのか」だった。100%違うとは言わないし、金が重要なテーマの一つであることが間違いないが、金に狂って罪を犯した話かといわれると、少し違う気がする。だが、これはまだいい。
ガブリエル・ゼヴィンの『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』についていたキャッチコピーは「ゲーム制作に青春をかけた男女の友情の物語」だった。これは、違う!!そうじゃない!!まず、青春というほど甘酸っぱい爽やかな話ではない。人の価値観や信念、愛や死、人種など、様々なテーマを内包する本書が青春物語のように思われるのは納得いかない。それに、友情……だと……?二人の関係が……?そんなさらっと書けない関係なのがいいところなんじゃないか。
ふと気になって、原書の『Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow』のAmazonページを見てみた。キャッチコピーは「This is not a romance, but it is about love」だった。そうだよ、そうだよ、そうなんだよ、まじで。
2024/5/23 木
会社に宛先不明(会社宛)の人形が届いた。怖すぎる。オフィスの一角に箱ごと置かれている。怖すぎる。何だこれは。たしかにお仕事の関係上そこまでおかしな話ではないが、放置されているのは怖すぎる。もし中から人が出てくるドッキリなのだとしたら、待ち時間が長すぎて、箱の中で人形になってしまいそうだ。誰か、さっさと引き取ってくれ。
オフィスにて、上司と好きな小説の話していた。私が今読んでいる町田康の『口訳 古事記』の話をしたところ、上司は「うちの娘が前古事記読んでて、今は歳時記読んでるわ」と言っていた。娘さんは小学五年生らしい。そんなことある?文芸の英才教育?上司に聞いてみたところ、別に読ませているわけではなく、学校の授業で興味を持ったらしい。まっすぐだったあの頃に戻りたくなった。
2024/5/24 金
もう言われ尽くしているかもしれないが、フェミニズムが苦手だ。理由もよく言われているやつで、フェミニズムが「フェミニズム」だから。全人類の気持ちになるのは難しいが、女性には女性の生きづらさがあるのと同様に、きっと男性にも男性の生きづらさがあるんだと思う。問題を一般化し過ぎている。私は、女性に生まれていたら、「養ってくれる男性がいたらラッキー!仕事やーめよ」くらいに思うかもしれないし、男性に生まれていたら、「女性にモテるのは"リードしてくれる男らしい人”じゃないんだよ!」と思うかもしれない。
晩御飯の焼き鳥、おいしかった。
2024/5/25 土
さらば青春の光の単独ライブ『ラッキー7』を観に行ってきた。とにかくおもしろかった。7本のコントがそれぞれ全然違う角度で合って、しかもボケツッコミが入れ替わるのが、なんともさらばらしい。前半は王道というか、わりと正面からおもしろいコントが続き、後半にテレビではできなさそうな真骨頂ともいえるコントが。『演説』のネタが一番好きだった。選挙で負けそうになったらモテに振り切る候補者という、さらば節全開のコントで腹を抱えて笑った。カーテンコールのトークまでおもしろかった。
帰り際、一緒に行った友人にどれが一番おもしろかったか聞くと「最初のオープニングコントかなぁ」と言っていた。そんなわけないだろう。
2024/5/26 日
短歌をやり始めてから少し経った。少しずつ、私の詠みたい短歌がどんなものかわかってきた気がする。たぶん私は、格言めいたものをエモく発信するツールとして短歌を使いたいわけじゃないのだろう。共感の短歌も詠んだことはあるし、そういう短歌を詠んでいる好きな歌人もいるから、嫌いということでは全くないけれど。
私は、人に共感することがとにかく苦手だ。他人の気持ちはわからないし、マイペースで自己中心的でもあるし、多くの人が通る青春も通ってきていない。映画で泣けないというのがコンプレックスになっている。そんなわけで、無理に共感を得ようと思うと、どうしても他人の言葉を使ってしまう。想像で「こういうのあるでしょ?」という態度になってしまう。それは嫌かもしれない。プロの歌人ではなく趣味でやっているだけだから、なんでもいいんだけど。
2024/5/27 月
四川風麻婆豆腐を作ってみることにした。真のマーボー・イーターになるためには、まずその材料や調理過程を知らないといけない気がする。それに、大阪福島に麻婆豆腐を一皿増やすというのも悪くないかもしれない。近所のスーパーを三軒回って材料を買い集めた。
まずは豚ミンチを炒める。甜麵醬と合わせて肉味噌にしたら、モンスターボールに入れておく。次に豆腐を塩ゆでする。中の水分を飛ばしたら、スーパーボールに入れておく。ここから麻婆がスタート。油で鷹の爪と豆板醬、にんにく、しょうがを炒める。焦げないように、料理酒で伸ばす。いいところで豆鼓と一味唐辛子を加える。ほら、もう真っ赤っ赤。地獄の風呂みたい。鶏がらスープとモンスターボール、スーパーボールを入れる。長ネギを刻んで入れて、片栗粉でとろみをつける(必ず火を止めてから!)。最後に辣油を回し入れ、花椒をかけて、はい完成!
部屋中に四川の香りが充満していました。作り切ったという達成感。さて、いよいよ実食。一口食べて、辛い!二口食べて、まだ辛い!三口食べて、辛すぎない……?私が作り出した激辛麻婆豆腐は、一口食べるのに水三杯必要な辛さでした。耐性が足りていない。半分ほど食べてギブアップすることにした。(続く)
2024/5/28 火
巷に出回っている「メンタルが強くなる方法」には何の意味もない。見てみたところで何も感じない。身長が2m近くあるバスケ選手に「とにかく思いっきりジャンプすればダンクできるよ!」と言われているような感覚。それができたら苦労しないんだよ。あなたの肉体と精神という前提のもとでできるものなんだよ。
そもそも、これは偏見でしかないが、メンタルが弱い人は「メンタルが強くなる方法」なんて発信したりしないと思う。だってメンタルが弱いのだから。これはADHDの処世術にも同じことが言える。いつだって、外野は賑やかである。
さて、麻婆豆腐を作り直すことにした。昨日作った激辛麻婆豆腐の量を100とすると、まだ50残っている。もちろん同じミスは犯さない。まずは麻婆豆腐を昨日と同量の100作る。そしてこれには辛味調味料を一切入れない!豆板醬も鷹の爪も一味唐辛子も入れない!こうして辛味0の麻婆豆腐100を、昨日の激辛麻婆豆腐50と混ぜ合わせる。そうすることで、辛さ1/3の麻婆豆腐ができるというわけだ。これは名案だ。さっそく取り掛かろう。
はい完成!辛さ1/3の麻婆豆腐!昨日とは、色味からして全然違う。赤ではなく茶。最高。まちがいなくうまい。一口食べて、ちょうどいい!二口食べて、……ん?三口食べて、まだ辛い!食べられなくはないが、けっこう辛い。だとしたら、昨日の麻婆豆腐の辛さよ。もう少し薄めても美味しいかもしれない。うなぎ屋の秘伝のタレのように、継ぎ足し継ぎ足しでやっ。
2024/5/29 水
目を開けると、そこには青が広がっていた。青は、上下の二層に分かれている。上の青は澄んでいて軽く、下の青は透き通っているのに重い。青と青を隔てる境界線は、ぼうっと見ると緩やかな曲線を描いていた。水平線だ。あまりにも青だったものだから気がつかなかったが、私は砂浜に座っていた。波が打つ音以外、何も聞こえない静かな砂浜。どこからか白い少女が現れた。私の横に座る。「もし私が砂だったとして、こんな綺麗な砂浜の一部になれるのかな」少女が言った。「さあ、難しいんじゃない?」と自動的に答える私。少女は「わたしはこの子になりたい」と言って、ガラスのようにちくちく光る砂の一粒を取り上げた。「なれるかな」少女。「どうだろうね」私。ひゅんっ。おもむろに、少女は砂粒を海に投げ入れた。ざざあんと波が鳴る。もう砂粒はどこにいったかわからなくなった。今朝見た夢は、たしかこんな感じだったと思う。
私は、自分の上司に似ていると感じることがある。ということは、全然似ていないということでもある。あたりまえだ。今の私が、15歳も歳上の今の上司と似ているんだから、全く似ていないだろう。上司が私くらいの年齢の時はきっとバリバリ働いていて、そこから時間が経って落ち着いてきたのだと思う。若手の内から、あんまり冷めた感じで仕事するのもよくないのかなぁと思った。
2024/5/30 木
久しぶりにミスタードーナツへ行った。ミスドは大好き。もうなくなってしまったが、地元の最寄り駅にミスドがあった頃はしょっちゅう通っていた。数あるドーナツの中でも、私のお気に入りはハニーディップ。機嫌が悪い日でも、ハニーディップさえあれば、にこやかにやっていける。
仕事終わり、朦朧とする意識の中でミスタードーナツへ到着。ハニーディップをトレイに取った後、なんだか一つじゃ足りない気がしてポン・デ・リングも取ってみた。ポン・デ・リングを食べるのは、本当に久しぶり。ふわっふわのハニーディップも最高だが、もっちもちのポン・デ・リングもまた最高である。
家に帰って、すぐさまハニーディップを食べた。私は「好きなものは後派」だが、この日ばかりは我慢できなかった。うますぎる。ハニーディップこそ至高。異論は認めない。そして、ポン・デ・リングも食べてみた。……あれ?。甘くない。いつもの砂糖コーティングがない。いつものポン・デ・リングではないぞ、これは。何かのミス、ミスドーナツなのかと思ったが、そのポン・デ・リングはけっこう私好みの味だった。生地の甘さをしっかり楽しめるし、これはこれでいいのかもしれない。ミスドーナツよ、新たな出会いをありがとう。
寝る前に気になって調べたところ、「ポン・デ・リング プレーン」というメニューがあった。意識が朦朧としていた私は、気がつかずにこのプレーンをトレイに取っていたらしい。恥ずかしい。ミスタードーナツさん、ミスとか言ってごめんなさい。
2024/5/31 金
一人暮らしの味方、noshを始めてみた。とあるnoshについてのnoteがきっかけ。そのnoteではnoshが仇敵として描かれていて、問題点や攻略法が書かれていた。にっくきnoshなのだが、読み進めるうちに、不思議とnoshが好敵手のように見えてくる。もはや仲間のように絆ができている敵。ルパン三世と銭形警部のよう。noshをとっちめてやろうと思いつつも、決して理不尽なことはせず、真正面から向かい合っている。もしこのnoteがnosh側のマーケティングだとしたら、相当やり手だなと思った(ステルスマーケティングではあるが)。
そんなこんなで初めて家に届いたnosh。あっという間に一人暮らし用の冷凍庫を埋め尽くした。なるほど、これはnoteに書かれていたように、量の調整が必要だな。私は2週間に10食届く設定を、そっと8食に変更した。
「なんだか後半は飯の話ばっかりだな」と思ったそこのあなた。正解です。いい目してるね。
復職してゆるっと仕事をしていくつもりが、気がつけばごりっと働くようになってしまった。チームが忙しい時期だから仕方ないが、もう早くも本を読む余裕がなくなってきた。今の私は、飯くらいしか落ち着いて楽しめていないのかもしれない。これは由々しき事態である。危険信号。緊急事態宣言。このままでは、また実家に戻ることになってしまう。実家は好きだが、それは避けたい。復職する際、私は家族に「アイル・ビー・バック」なんて言っていないのだ。
今月の日記はここでおしまい。この後私は、スタバで本を読みます。それが生きがいだと言えるように……。
先月の日記
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