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カウンセリングれぽ(EMDR編)-④ 虐待経験という認知

いまだにれぽ②が遅くなってしまった余波を受けている、れぽ④です。

前回は虐待のこと、トラウマのことについて少し述べたけれど、
今回はタイトルがひっくり返りかねないことを言わねばと思う。
れぽ②で希死念慮が強くなってしまったせいで、実は、EMDRをまだ一度も行って(おこなって)いない。
これは、希死念慮やわたしの未遂の遍歴などを説明したからというのもあるだろうし、おそらくだけど発達障害者(うろ覚え。ASDだけだったか…?)の極端さゆえに、自傷・自殺行動に入ることを危惧していたのかもしれない。

ともかく、カウンセリングで話すとその後調子がすこぶる悪いので、前回その旨を伝えた。そうすると強度を弱めてもらったので、それが現在である。
ということだ。
なのでトラウマと呼ぶにはやや弱そうな、でも嫌な記憶として定着しているあれこれをやっつけるフェーズに入っていこう、という感じだったのだけど、れぽ③くらいの時期に家族関係で変化があったので、その旨について報告した。
それは結構大きい変化で、わたしは母親に教育虐待を受けて(というか蹴られたり暴言吐かれたりもあったけど……)きたのだけど、そのことを誰にも言えずに生きてきた。
(なんなら、「あれを虐待っていうのはちょっと大げさだよね」なんて思っていたのだけど、虐待経験者がじぶんの体験を軽く見積もるのは割とよくあるらしい……。)
で、そのことを、話の流れで父に言えたのだった。(虐待という言葉を使うこともできた)
これは治療において報告が必要な進歩だと思えた。
だから4回目はこのことについて詳しく話し、そして聞き取りがあり、あとは最近このような変化があった・劣等感が強く出た時があったなどという話に終始した。

4回目はこれで終わり。あっさりとした回だったと思うし、読む側としてもそういう感想を持つと思うけど、翌朝起きて、いつもの不快感と劣等感に苛まれることとなった。
前と同じように頭の中がうるさくて、朝から頓服を飲む。
こうなってしまうトリガーがなんなのか、謎で仕方ない。
次回へ続く。

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