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[エッセイ]勉強について

 「人は何のために勉強をするのか?」

 この問いを常に自分に問い続けてきた。大半の人が初めて「勉強」に出会うのは学校に通う間だろう。学校で学ぶ間は、一生懸命頑張って解いた宿題に先生が花丸やシールをもらえることがうれしかった。テストでよい点数を取れることがうれしかった。良い成績を見せて、親に褒めてもらうことがうれしかった。
 思えば、子供のころは誰かに認められること、ほめてもらうことが自分の原動力だったように思う。勉強をすればするほど良い成績を周りに喜んでもらえることがうれしかった。

 しかし、学年が上がるにつれて学んでも学んでもわからないことが増えてきた。自分よりも容量のいい子や自分より賢い子はいっぱいいることが分かった。また、学友を見るにつけ夢に敗れるものや別の目標のために勉強をおろそかにしてきた人をたくさん見てきた。この度にこの疑問が心に浮かんできた。

 「人は何のために勉強をするのか?」

 テストで良い点を取るため、褒めてもらうため、1番の成績を目指すため。
 何かを得ることで得られる喜びは、その何かを得ることができなかった場合は恨みに替わることが分かった。自分が抱いていた目的や喜びは一気に崩れた。

 でも自分は、それでも勉強から逃げなかった。逃げられなかった、といったほうが正しいのかもしれない。他に生きがいがなかったから。他に取り柄がなかったから。それもあっただろう。

 でも、そうして勉強を続けたことで勉強に新しい喜びを得ることができた。「知る」ことへの喜び、そして「努力する」ことへの喜び、である。

 昨日まで知らなかったことが知れることが楽しい。昨日までわからなかったことが分かるようになってうれしい。そして、たとえ結果が得られなかったとしても、それまで苦闘しながら努力を続けた自分のことをいとおしいと思えるようになった。

 学校を卒業しても、会社で働くようになっても、この気持ちは変わることはない。人が勉強することに終わりはない。そのたびに自分は知ること・努力することを大事にしたい。
 このマインドセットが今の自分にとっての「人は何のために勉強をするのか?」の途中報告だと思う。

2023.12.31

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