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横浜がたのしかった

久しぶりに楽しかった日の話をしたいと思います。

先日、久しぶりに横浜へ行ってきました。去年の3月にCP +というイベントで行って以来、約1年ぶり。今年もCP +に行きたかったけど、予定が合わずだっだ。帰りに中華街とかで食べ歩きしてきたら楽しかっただろうなぁ。

思いは膨らむばかり。でも行かなければ意味はありません。思っているだけでは何も始まらないのです。じゃあ行くしかない。

せっかくなので、車で行くことにしました。電車の方が渋滞もないし、お酒も飲めるし良いよなぁという部分もありますけどね。

午前中の首都高はこれでもかというくらい混んでいました。一体この人たちはどこに行くのだろうか?と疑問になるくらい混んでいる。自分もそんな一人なんですけどね。前日調べた時間の倍くらいの移動がかかってしまいました。でもみなとみらいの街が見えてくると、とてもワクワクする自分がいた。ランドマークタワーの向こう側に綺麗に富士山が重なって見えたりして、出かけて来てよかったなという気持ちに到着する前から浸ることができました。

中華街近くの駐車場に停めて、街を散策します。前回中華街に来たのは何年前だっけ?とすっかり忘れてしまっていたのですが、街に入ると匂いだったり音だったり人だったり、訪れてみないと感じることのできないエネルギーのようなものを体いっぱいに感じました。訪れる人の顔もどこかニコニコしているように感じられます。平日だったのですが、それでもすごい人でした。

僕は豚まんを食べる気満々でしたので、あまり詳しく下調べもしていなかったのですが、みんなフルーツが長い棒に刺さったおやつ?を食べているんですね。あれはなんだろう?気になってしまった。答えはすぐにわかりました。どのお店の店頭にもフルーツ飴のオブジェがあって、今中華街ではこれが流行っているらしいということがわかる。前回もあったのかな?なんてことを頭の中でぐるぐる考えてしまいます。そういえば食べてるのは若い方がとても多かった。ああ、こういう子たちがインスタにあげる用のおやつなんだな、という理解に行き着きます。自分があと20歳若かったら、きっと買ってるんだろうななんてことをよぎって、ちょっぴり寂しい気持ちにもなりましたが。

最初にメロンパンの中にチャーシューの餡が入った商品を食べました。今こんなのあるんだ!という、時代に取り残された感がいっぱいの遭遇だったんですが、買おうとしたら、目の前のお客さんですぐ提供できるものが無くなってしまったと言われた。次のが出来上がるまでに6分くらいかかるらしいので「オッケー!」と待つことにします。待つ間にもどんどん売れていき、出来上がり待ちの人たちで店の前がいっぱいになってしまった。その後ろから女の子の2人組が「これって行列なのかな」と不安そうに、出来上がり待ちをしていた人の後ろ(僕はすぐ横にいた)に並ぼうとしていた。「どうする?食べる?」なんて聞こえてきたので、10秒くらいその光景を見てたんですが、買うことを決心したみたいだったので、僕は「こっちは出来上がり待ちなので、お会計は大丈夫だと思います」と声をかけた。声をかけた直後に「やってしまった!」と思ったのですが…

なんでやってしまったと思ったか?それは自分の娘と言ってもおかしくない年代の子に、横からおじさんが声をかけたら不審者以外の何者でもないからです。「え、なにこの人…」と思われてもおかしくない場面でした。普段から仕事で「何かお探しですか?」とか死ぬほどやっているので、こういう光景を見ると自然に体が動いちゃう自分がいたのです。ここは職場ではありません。声をかけることを必要ともされていません。でもスムーズにこの商品を手にいれることができた方が、結局みんなハッピーになる。なのでこれでよし!と思うことにしました。

熱々のメロンパン肉まんは、びっくりするほど美味しかった!え?こんなに美味しいメロンパンが世の中にあるの?と思ってしまった。正直、僕はメロンパンを、世の中のみんなみたいに「うわあ!メロンパンだ!」とはならないんです。例えば海老名SAのメロンパンがものすごく売れている特集とかを見ても、何も感じない。海老名で一番美味しいのはアジの唐揚げだと思っているくらいおっさんです。

本当は「メロンパンみたいな見た目の何か」にチャーシューの具材なので、メロンパンでもないんですけど、それでも美味しかった。今後誰かに「中華街でおいしいものを探してる」と言われたら「まずはメロンパン肉まんを食え!」と迷わず伝えます。

中華街に行った目的というのは「食べ歩き」です。美味しそうな店があれば食べ放題でお腹を壊すくらい中華を堪能するのもアリだなと思っていた。でもそれだと食事をした瞬間、他の店に目移りしなくなってしまうし、いろんなものに触れて、いろんなものを食べたいという欲求が満たされない。一件で全てが完結するのはツアーで訪れるときで十分です。

豚まん、焼き小籠包、北京ダック、タピオカドリンク、ネギクレープ(これも美味かった!)とにかく欲求の働く限り中華街を満喫しました。お土産屋さんで買い物をして移動します。でも、車に乗り込んだ瞬間「はぁ」というため息が漏れた。

そうなんです。食べ歩きだと、座る場所がないんです。

ちょっと離れた場所に公園があって、そこで座って食べられるのですが、何か買うたびに公園に移動するのもめんどうだし、並んで買ってるうちに前に買った作りたての商品が冷めてしまう。そこでレストランで食べることの意味を理解しました。飲食店に入って食べるということは、座って食事ができるということなんですね。色々散策したくても、歩いているとどうしても疲れてしまう。コーヒーを飲んで休憩と思っても、これほどの繁華街だと店内の休憩所も常にいっぱい。座る場所を探して移動し続けることになるんです。これは正直、時間の無駄遣いだし、まだ平日だったからよかったものの、これが週末とかだと公園もいっぱいでしょうし、僕が行ったとき以上に座る場所に苦労することになる。だから食べ歩きのお店がこれだけあってもレストランが存在する意味と繁盛する理由があるんですね。

その後、ワールドポーターズに移動して、赤レンガ倉庫をぶらぶらして、帰り道で食事して帰宅。夕食は行きたかったラーメン屋さんで食事をしました。外でラーメンを食べるのも久しぶりだったので、とても良い時間になりました。

最近「出かけたい」という衝動に強く駆られています。年明けまでは遠出するのが億劫で、休みの日も仕事を忘れることを一番に考えていたので、昼間からお酒を飲んで、どうしようもない休日を送ることも多かった。もちろん外出することはエネルギーを使います。この日も、帰ってからはすぐに寝てしまった。だけどそれをもったいないと思わずに「良い1日だった」と思えるようなメンタルになったことは、とてもよかったと思っています。

何が原因なのかはわかりません。自分の中でこれまでよりもメンタルが強くなったという認識もありません。でも、そういう状況になれたということは良い傾向です。

自分が良ければいいんです。

もう少し僕は自分勝手になっても良いかのかもしれません。それは他人の顔色を気にし過ぎる性格も影響しているでしょう。まだまだ僕は性格が悪くて、誰のためにもなったことをしていない。クズ人間であるという自覚があります。その両方が混在していて僕という人間を形成しています。どこがダメならクズなのか。どこが適当なら性格が悪いのか。その基準というのは一人一人違っています。

もう少し自由に、いろんな場所にでかけて自分の人生を送りたいと強く思います。

でも良い1日だったな。

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