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台風の次の日の話

映画を見た。レイトショー。友達が近くの映画館まで来てくれて、公開から2日目の映画を見た。
多分2人してこの映画1人で見たらいけないなって思ってた。それは正しかった。

終わって、真っ暗になったショッピングモールを無言で歩いて、外に出たら月がまるくて白くて、はっきりと空にあった。これだけでいい夜だと思った。
映画の感想はしばらく言えなくて、とりあえずなんか食べようって焼き鳥屋に入った。いつもより素直にいれた。よかったよね、って言えた。自分の記憶をたぐり寄せて、重ねて、握りしめた。ひとつひとつ自分の中にあることと合わせた。人に話すの初めてだったのかもしれないことを、話すほどでもないけどなんでか忘れてしまえない苦い記憶を渡しあった。ホルンとトロンボーンの音が吹き抜けにいつまでも響いていたね。

会話をする時に悲しいことは、相手の様子を伺って行間を読むように正解の言葉を選択しながら話すこと。相手にがっかりされないように選んで話すことに注力して思ったように会話ができないこと。投げかけた言葉が都合が悪かった場合にどこかに消えてしまうこと。

そういうのが全然なかった、ないってわかってるけど、思ったよりも淀みがなくてとてもすんでいたような不思議な時間だった。ずっと今日でいい。日々は、こういうたまにくる日を過ごすためにある。魔法がかかったみたいなその時のために。
満月だと知らなくても、月がきれいだと見つけられる人でいたい。風の匂いをかいで、季節が変わったことを話したい。一緒にいる時間が長くなるほど言葉少なでも通じてしまうけれど、たまには横着せずに話したい。「わからない」ならわかりたいし、「考えたことがなかった」なら今から考えたいよ。

別に頭が良くなくてもいいから、有識じゃなくてもいいから、そういう考えること、やめないでいたいよ。やめないでいようよ。考えすぎちゃうくらいでもいいよ。立ち止まったらまたお酒飲もうよ。映画見て焼き鳥食べて川を見に行こう。今はわたしたち、それでいい。

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