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SF読みが舌がんになった件 その4

診断編。不安な日々でも読めた本と、漫画『木曜日のフルット』を添えて

前回までのあらすじ

 口内炎だと思っていたら、大学病院で精密検査をすることになり、人生初のMRIと、新しいことの連続だった約1ヶ月、とうとう結果が出ることに……。
「SFも病もお気楽に。人生をやり過ごすのはそれが大事」をモットーにしたSF好きの体験記です。


ドキドキの検査結果

 実際検査開始から、結果を聞くまでに2週間の時間がありました。この時間はとてつもなく長く感じた日々でした。
 「きっと良性だろう」という楽観している自分がいる一方で、「悪性で、悪かったらどうしよう?」と診断も出ていないのに「舌がん」で検索する日々。そしてその手術画像を見てビビりまくるという悪循環はありました。

(いかん、このままでは「腫瘍」よりも「不安」に蝕まれる!)

 そう思っていつものようにグレック・イーガン『祈りの海』を開いたのですが、全く読めませんでした。SFだから読めない、というわけでもないのですがあまりにSF作品が頭に入ってこなかったので、SF外の積読にしていた本を消化していくことにしました。

 小川哲『君が手にするはずだった黄金について』。これは作者のメタ的小説でもあり、私小説の形をした架空の小川哲を描いているところが面白かったです。現代物で淡々と読めてしまいました。
 背筋『口に関するアンケート』 ワンコインで買えるホラー。ホラーは苦手ですが、ミステリ好きにも刺さる、仕掛けが良く楽しめました。
 夕木春央『方舟』ミステリ界隈ですごい話題作だったので、冒頭はホラーテイストで後半はびっくり(?)という感じですがSF好きとしては、状況設定の部分と動機の部分で物足りなさを感じました。
 田中哲文『警視庁地下割烹』警察小説?料理小説?どちらも正解でどちらもハズレ、みたいなギャグ小説?みたいな。軽く読めてなおかつ面白いお話です。

 こうして当時の読書歴を振り返ると、SFから離れて気分を変えたかったんだな、と思います。(リンク貼ってなかった本のみ以下にリンク貼ってます)

 さて、そんなこんなで、診察前日まで眠った気もせず、じわじわと体重が減ったのは前回書いたとおりですが、いざ診察室に入ると覚悟が決まりました。覚悟というよりようやく結果がわかるという不思議な安堵感がありました。

Dr「結果は、良くないものでした。上皮扁平がんですね。舌がんです」

(やっぱりかー)

トドメにDrは「CTとMRIでは、一応舌のところにしか見られていないのでステージ1ですが、念のため遠くに転移していないか、あと胃の中をみる検査も追加します」

(また検査なのか)「あの、先生、手術で取るのはいつ頃ですか?」

Dr「うーん、手術の予定が詰まっているから3週間後かな。検査結果を待ってたらもっと遅くなるから、仮押さえしましょう」

 そんな経緯で、無事に手術予定日も決まったのですが、当初予定していたより3週間後でした。(その間に進行するがんだったらどうするんだ、と内心思ったのが顔に出たのか、「他の手術のキャンセルがあったら優先的に入れるようにしますよ」と言ってくださったのですが、結局一番最初に聞いていた時より3週間遅の手術となるのです)

またまた検査、そしてやっぱり「こたえる」もので。

 また2回も検査のためだけに通院しなくてはならない、それからいつ手術が始まるかわからない、というシュレティンガーの猫のようなあやふやな予定に仕事を休ませてもらえるよう調整したり、入院に向けた準備などをしていたらふと、涙腺が緩むようなことも正直、ありました。

 やっぱり病は高ストレスなんですね。なんで早く取ってくれないんだ、とかこちとら家族の面倒を見ないといけないんだとか、内心憤っていた時もありましたが、仕方ない。

 そして一番しんどかったのは、寝つきの良い私が夜なかなか寝付けなくなったことです。

 一応「舌がん ステージ1」と言われていてもこの時点では遠隔転移の可能性が残っていたので正直「暫定だろ……見つかったらステージが上がるんでしょ」と思っていましたし、やっぱり普段意識しない「残りの人生何をするか?」みたいな考えも浮かびました。(元々楽観主義というわけではないのです)

 本も読む気になれないし、気楽に漫画でも、本棚から手に取ったのがこちら『木曜日のフルット』です。

 見開き2ページのショート漫画。働きたくないダメダメの鯨井早菜という成人女性のそばで暮らす野良猫「フルット」が主人公のゆる〜いギャグ漫画でありながら、SFっぽさも漂う日常ほのぼの系です。

 ちなみに漫画の右下の注意書きが「〜は⚪︎⚪︎ションですが、この作品はフィクションであり」の「〜」と「⚪︎⚪︎」のヴァリエーションが1巻から11巻まで続くという、どこまで続けられるのかを見るだけでも、楽しいお話です。(世の中に⚪︎⚪︎ションの言葉の多さを感じることができます)

 さて、その11巻 鯨井先輩の巻117で、34頁、実家からの母親からの電話で毎度お馴染み仕事しろとせかされ、いや心配されたあと、3コマ目で早菜がいつものように散歩しながら母親に愚痴るシーンが目に飛び込みました。

「人生は頑張るもんじゃない、やり過ごすもんなのに」

石黒正数『木曜日のフルット11』(秋田書店.2024,34頁)

 普段はダメダメな鯨井先輩ですが、この時ばかりは「名言だ」と思いました。

 病になると「闘病」という言葉に代表されるように闘って勝たないといけないようなイメージがあって嫌でした。なぜ大変な状態なのに、「闘う」必要があるんでしょうか? (そういう意味で「サバイバー」みたいな言い方もあんまり好きじゃありません)捻くれ者はそう感じていたのです。(むろん「闘病」の方が気力が漲る人はそういう姿勢もアリ、と思いますが)
 RPGゲームで喩えれば「木の棒でラスボスを倒せ」みたいなニュアンスを感じていました。そこに鯨井先輩の言葉は、「木の棒を使って、魔法使いでも探せ」みたいな発想で、目から鱗が落ちる言葉でした。

 このお気楽エッセイを始めたのも、万が一の時のために残しておきたいという側面もありますが、「魔法使いを探す」手掛かりでもあります。

 他人の力を借りる、という意味じゃなくてなんて言うのかな「真っ向勝負せずに緩く付き合う、そう言う発想を大事にする」ってことです。

 ですから何かしらの病をお持ちの方には声を大にして言いたい。

 「病と闘う必要はない、やり過ごす方法を見つけよう」と。

 SFもそうですが「構える」必要はないのだと思います。だから何度も何度も言っているように、「SFも病もお気楽に。人生をやり過ごすのはそれが大事」をモットーに「舌がん」と付き合っていこうと思ったのでした。

 私の場合、初期の「がん」ゆえに、大抵は手術で終わる可能性もあるらしいです(Drの経験談ですが)。それでも手術後5年間は再発のリスクが高く、経過観察のための通院が必須。また、実際に舌を切除してその部分を病理検査しないと、化学療法や放射線治療が不要とは言い切れないところもあったり、術後良好だとしても5年間くらいは「がん」との「お付き合い」が続きます。

 つまり漠然とした再発や転移の不安を抱えた未来との「お付き合い」が私の場合「がん」そのものより大きいのだ、という印象です。

 でも、そんな不安と真っ向勝負する必要はない。適当に忘れて、適当にやり過ごすことも大事。そんなわけでたまたま家にあった漫画に良い言葉をもらいました。やはり積読は大切ですね。

 次回は「放射線管理区域で休息? PET検査、そして胃カメラ」です。もうしばらく検査編にお付き合いを。

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