講師の海外サバイバル生活法その2
REV5
ブログ投稿しています。複数画像付き等最終版は此方から、ご覧ください。
海外への出張で皆さんが活用できる講師の経験を幾つかサバイバル術としてご紹介したいと思います。
もう二か月以上経過してしまいましたが、五月のゴールデンウィーク過ぎの時期に、冷や汗をかいた海外での経験を思い出すことが未だにあります。
あれは、講師が未だ現役で海外に出張をしていたころの事でした。
滞在していたのは所謂田舎に属する州だったのですが、隣がNWという何かにつけて、都会だったので、週末、良く、一緒に出張している友人の運転する車に乗せてもらい、NWに観光や買い物に連れて行って貰っていました。
その年は何故か五月の連休中も含めて出張となり、国内では連休が明けた週末の事でした。
御多分に漏れず、NWに同僚の運転する車に同乗させてもらい、何時もの様に訪れていた時の事でした。
その日に忘れもしないイスラエルという国の建国記念日でインターネットで調べると1948年5月14日との事ですが、その毎年の5月14日に実はパレードが行われている様です。(講師が体験したのは感染症が流行る大分前の事です)
当日まで講師は何も知らなかったのですが、NWに着いて、パーキングから離れて街頭に出て直ぐでした、大きな通りが、あっという間に人の波で埋まってしまい、事も有ろうかNWのど真ん中で、同僚を見失ってしまいました。
そうです、米国のNWという良くまだ知らない町で、いきなり、迷子になりました。
ハッキリ言って、頭の中が真っ白になりました。
全くどうにもならず、迷子になってしまったと認識した時から、1時間から1時間半ほどは無意味な行動を取っていました。
それは、先ず、見失った友人の影を追うというものでした。
ただ、その行為が無意味で且つ容易ではなじかったのは、パレードが始まる前は普通に反対側の道路に歩けたものが、パレードが始まると、あちらこちらで臨時の一方通行がはじまり、道路の雰囲気が様変わりしてしまっていました。
従って、この辺りでハグレタとおもって、その場所に戻ろうにも戻れない状況が出来ていました。
次に考えたのが、駐車場に戻るという選択だったのですが、小さな複数階の駐車スペースということ以外、確かな記憶もなく、また、あるいてみると似て非なる駐車スペースが沢山あり、とても確実に待っていて、友人にまた会えそうな雰囲気は一切感じませんでした。
進退窮まり、いよいよ困ったどうしようか?考えた時に、ふと目に入ったのが道路を走っている黄色いタクシー所謂NWのイエローキャブでした。
そこで、タクシーでNJのホテルまで帰れるか?と考えましたが、料金がかなり高くついて支払いに問題が出そうなことと、本当にNWからNJのホテルまで行けるのかという疑問点が頭をよぎりしました。(NWローカルな運転手でNJ迄車を転がせるのかという事です)
次に帰る手段として思いついたのが、列車(電車ではなかったと思います)を利用する方法です。
今から、思えば良く思いつけたなと思いますが、結局イエローキャブでNWの中央駅まで行き、そこからNJのホテルのある地元の駅まで列車で戻るという方法を見つけました。
実は、講師はそれまでNJのローカルなタクシーは利用していましたが、NWのイエローキャブは利用した事が有りませんでした。
ただ、列車にはNJからNWに出るときに一度乗った記憶がありました。要するに逆も可能だろうという考えが頭に浮かびました。
結果、米国のNWのど真ん中で迷子になり、2時間ほどさ迷いましたが、その後タクシーと列車を乗り継いで何とか無事にその日のうちに宿泊先のホテルにたどり着きました。
この経験から講師が得たのは、緊急時には、常日頃の体験を思い出し、対処に有効なアイテムを探す。緊急時はリスクが有る意味破裂(顕在化)した時なので、更にリスクの高い行動は避ける、といったことでしょうか?
参考までに記しますが、講師は日本にいる間一度も小さい頃からを含めて迷子なった事は有りません。その後、現在に至るまで、新たに迷子になった事はありません。
感染症明けで、TV等で人出の映像を見る今日この頃、且つて頭の中が真っ白になった迷子の経験を思い出すことが有ります。
暑くなってきた今日この頃ですが、皆さんは冷や汗を思い出すような体験をされた事は有りますでしょうか?
講師の経験が、皆様のお役に立てれば幸いです。
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