【NHK進出記念】火炎放射器で頭を焼かれているときに聴きたい音楽
本日、日付が変わって4月8日の0時ぴったりにNHKにて放送されました、『ドキュメント20min.』に僕が出演しました!!やった!!
こちらのドキュメンタリーの題材はずばり、「若者の終活」について。「終活」と言われて「いや、高齢者がするものじゃないの?」と思われがちだと思いますが、我々若者も様々な事情からしているんです。僕以外の方の詳細は番組本編を視聴していただければと思います。
そもそも僕が終活をしたのは、ずばり「"就活"恐怖症」に陥ったから。もともと周りと合わせることも競争することもすごく苦手で苦労してきたんですが、中高大すべてにおいてそれらをする必要のないほど素晴らしい友人環境に身を置いてきたものですから、そんな自分の苦手分野に挑戦する必要もなく、なぁなぁと生きてきたわけです。そんな自分に突如飛び込んできた「社会への挑戦」の時期、地獄の就活の始まりです。
相手の反応ばかり気にして、思ってもないことを言って、周りの人はもちろん自分すらも騙しているような本当に本当に苦しい時期でした。「上昇志向」とか「ガクチカ」みたいな言葉たちに踊らされ、それを軸にこの人生すべてを振り返りさせられているような感覚。今思えばそんなの考えすぎなのかもしれないですが、まるで集団妄想のようにお互いがお互いを監視し、自分だけが置いて行かれないようにするだけの毎日。「周りと合わせること・競うこと」が苦手だったはずの自分が当時食らいついていた姿は、今思い返しても成長というよりは意地でしかなく、決して健康的な成長ではなかったかのように思います。(熱しやすく冷めやすい気持ちだったようで、当時のような熱さはすでになくなっていますし)
そんな混沌の最中、いつものようにインターネットで就活情報サイトをのぞこうと、Googleで「就活」と入力しようと思ったところ誤って「終活」と予測変換してしまったことが僕のこのNHK出演のきっかけになりました。「就活してるような年齢の奴が、終活したら面白がられるんじゃないか…?」というよこしまな気持ちからはじまった、その後の一連の流れは気づけばかなり遠いところまで来てしまったみたいです。
当時、気がどうかしていた僕は大学の課題や就活の作業を差し置いて、何よりもこのnoteの記事を毎日更新することだけを日々のルーティーンとして生きていました。今思えば、この人生の沈み時を事細かに記録してやろうと思ったのかもしれませんし、それから逃げようと思っていたのかもしれませんし、それをただ正当化しようとしていただけかもしれません。その時期に生まれたこの記事をNHKのあるディレクターさんが見つけてくださったことがすべてのきっかけでした。ありがとうございました!!
今読み返すと、文体も幼いし恥ずかしいことこの上なしですが、当時の自分の苦しみとか気疲れなんかがうまく反映されているんじゃないかと思います。この番組が放送されるまでにうまいこと更新してやろうかと思いもしましたが、やっぱりやめておきました。これはあの頃の僕の叫びです。
では、本題に入りましょう。
僕の終活、というか僕"なり"の終活は、「プレイリスト」です。このプレイリストは自分が火葬される時に流れる予定です。つまり肉体との解脱の瞬間に流れている音楽です。
このプレイリスト制作の最初の動機は「"あっち"に行くときぐらい好きな曲を聴かせてくれ!」というわがままからで、何の具体性もありませんでした。当然、最初のうちは好きな曲を放り込んでうまいこと流れを作って満足していただけでした。ただ、そもそもプレイリストを作るのが大好きだった僕は、日々少しずつ形成されていくそのプレイリストに粛々と出来上がっていた骨格をすぐ見抜きました。つまり、僕の無意識が作り出した人生最後のライブのセットリストの骨格です。それはこの3つ。
僕のプレイリストはこの3つの骨格、言ってみれば制作における「マナー」のようなものの上に成り立っていました。自分の最後の時に流すという名目だけで並べただけなのに、全体的にやけに皮肉っぽくて暗くて意地悪。それは自分の好きな曲というだけでなく、僕のシニカルさが反映されていました。ただ、それは生者にしか許されない文句ということに気が付きました。世の中に文句を持ちつつ絶望感に囲まれながらも、常に視線は「死」ではなく「生」に向いています。このような自分の態度がプレイリストの骨格の大部分を担っています。
そして制作途中で僕が意図的に制定した「3つのルール」にも軽く触れておきます。先ほどのものが「精神的なマナー」だとすれば、こちらはどちらかというと「技術的なルール」と言えます。
以上の3つです。おそらく説明は不要だと思いますが、定期的に点検しているということは、先ほど放送された番組内で僕が紹介したプレイリストと、今現在僕が管理しているプレイリストは収録曲がやや異なるということです。それを踏まえて後の全曲解説を読んでいただければと思います。
1.オープニング。現世との壮大な別れ。
1.The Who - Baba O'Riley
この曲から僕の火葬は始まります。何事も最初が肝心とはよく聞きますが、「火葬音楽」において「最初」というのは言葉では説明しきれないほど重要です。だって自分に着火されるんですもの。肉体との解脱の象徴的な瞬間です。その瞬間にしけた曲なんて流してる場合じゃありません。僕はプレイリストの構想を深めるにつれて、最初の2曲には本当のロックバンドのライブのオープニングのような盛り上げをしてもらおうと考えるようになりました。例えるならXJAPANのライブでの爆発みたいなものです。炎と音楽のミクスチャーに耐えうるような曲選をしていくとなんとなく決めました。
こちらの曲、"Baba O'Riley"はその大役を任せられるに相応しい作品です。英国のバンドThe Whoの71年のアルバム、"Who's Next"の同じく1曲目を飾っています。壮大なイントロに飽き足らず、新たな世界への冒険を描いた歌詞も力強い印象を与えます。その道中で遭遇する荒廃した情景を"Teenage Wasteland"、つまり「十代の荒野」と表現しています。また「幸せの場所は近い。一緒に向かおう。歳を取りすぎてしまう前に」という歌詞からは快楽主義的な若さゆえの過ちも読み取れます。これを死者が流すというのはあまりに皮肉的ではないでしょうか?ただ、新たな世界がもしあちら側にあるのだとしたら、希望のマーチングソングとしても機能します。
ちなみに、この火葬プレイリストの制作の初動となったのはこの曲です。初めてこの曲のイントロのシンセサイザーのアルペジオを聴いた瞬間のことを耳が覚えています。それから膨大な量の音楽を聴いてきましたが、今でも世界一かっこいいイントロであることに変わりはありません。
2.AC/DC - Highway to Hell
はい、ふざけました。今から言い訳しますね。この火葬プレイリストを通して現世に残してきた友人や家族に伝えたいことは、「ワシはポジティブに死を捉えてたんやで」ということです。このプレイリストに悲しい曲や辛い別れの曲が一切収録されていないことからも明らかなように、僕は参列者の皆さんに「悲しみ」以外の感情を抱いて欲しいと強く願っています。死者が死をポジティブに、あるいは決してネガティブではないように捉えていたということは、残された人々にとっては形のない強い希望となることだと思っています。
つまり「あ、こいつ地獄行ったんだな」って笑ってほしいんです。「あいつ決して親切ではなかったもんな」みたいな。それだけのためにこの曲を収録しているので、もしここでまだみんながグスっとしていたとしたら僕は死んでるのに死ぬほどスベったということになります。
3.Queen - Somebody To Love
何度も言っているようにこのプレイリストは僕にとって最後の自己表現です。自分の気持ちを自分で伝える最後のチャンスです。これまでにないほど壮大で技巧的なものにしたいと考えています。いわゆる僕の「集大成」です。集大成のライブといえば、やはり皆さまお馴染みのライブ・エイドですよね。クイーンやポール・マッカートニーが出演した1985年に開催された伝説のライブイベントですよ。僕にとってこのプレイリストはライブ・エイドなんです。
もうお察しの方も多いと思いますが、この曲は映画『ボヘミアン・ラプソディ』のオープニングでも使用されていました。クイーンのボーカリストのフレディ・マーキュリーが自宅のベッドから起き上がり、ライブ会場に向かい、ステージに上がるという一連のシーンで流れます。この曲は僕の大好きなフレディへの僕なりのトリビュートとも言えます。人生に絶望した語り手は、そこから抜け出す手段として金や名誉ではなく、愛を渇望します。世界を助ける手段としてクイーンたちアーティストは無給でライブ・エイドに参加しました。音楽の持つ愛の力を信じていたからかもしれません。
2.生への執着。まだ死にたくなかったのに!
4.MGMT - Time to Pretend
くそ!まだ生きたかった!という悔しさを滲ませたパートが始まります。僕は人生を送っていくにあたって「何があっても後悔しないように選択する。間違えた選択をしても反省をしつつ、半ば強引にポジティブに肯定して生きていく。」という指針をなんとなく心の隅に抱えて生きています。「来世はこうなるといいな」とか全く思っていません。「ふん!!これでいいもんね!!」という精神で生きています。つまり、僕のスタイルは「生」を全ての前提として成立しています。それゆえの「生への強烈な執着」があるわけです。自殺を考えたことが一回もない、とかそういうレベルの執着ではないです。こんな人間がなぜ「向こうの世界」のことをこんなに考えているのか、と思うと矛盾たっぷりな気もしますが、「向こうの世界」でもおそらく命が与えられると感じているからだと思います。言うならばLive Foreverというわけですね。Maybe〜〜
ブルックリン発のサイケデリック・バンド、MGMTの衝撃的な1stアルバムから選曲。MGMTの代表曲であり、リリースから17年経ってもなお若者の間にじめじめと浸透している諦観とノスタルジアを反映させた名曲です。
5.The Verve - Bitter Sweet Symphony
資本主義社会下で生きることは、金銭との追いかけっこのようなものです。生きる時間がある程度長くなってくると「金はすべて解決する」という考えが間違いなく頭の中をよぎります。僕も学生時代の就職活動の際は「収入なんて二の次でまずは人間関係と職種だ」と思ってはいましたが、いざ就職に困ってしまうと絶望的なほどお金に執着し始めてしまいました。数百円の損失にすら怯えてしまい、財布だけでなく心がどんどんと貧しくなっていった感覚を僕は生涯忘れないと思います。世の中の多くの人もこの感覚を一度は覚えたことがあるはずです。
何かを欲しいという感覚。その対象がお金で買えるものでも買えないものでも、自分がもっと裕福だったらそれを手に入れられたのではないか?その感覚を満足に満たせたのではないか?こういったことは誰しもが考えたことがあるでしょう。「こんなことにケチってしまって恥ずかしい」だとか、あるいは逆に「こんなにお金があるのに満たせないこの欲は何なのか」というような力極端の感情は結局のところ金銭との追いかけっこです。持っていればより多くを求めて追いかけるし、なければ後ろから追いかけられるわけです。ただ、お金が自分の欲を満たす瞬間こそ人生の最上の喜びの一つであるのは誰の目にとっても明確。そう、この曲の通り「人生は甘くほろ苦いシンフォニー」です。
6.The Smiths - Heaven Knows I'm Miserable Now
The Whoの"Baba O'Riley"と同様にこの火葬プレイリストを作ろうと思ったきっかけの曲の一つです。最近気がついたことですが、僕はどうやらボーカルのモリッシーに強烈なコンプレックスを抱いているようです。僕がやりたいことを全部やっている・・・最強のギターヒーローの横で楽器も弾かずに、自分の暗い部屋で世の中の不特定多数に向けて書いた強烈な批判を歌詞に載せる。心から正直になり、それを人にさらけ出すことがこれほど難しく、かつそれらができることは特異な才能なのだということはすべてモリッシーから教わったようなものです。(そして次の曲のバンドのボーカルからも)
スミスは80年代のマーガレット・サッチャー政権下に活動していたバンドであり、当時のイギリスの世相を大きく反映しているバンドです。サッチャーの推し進めた政策の「サッチャリズム」は国内で失業率の増加と貧富の差の拡大を招きました。モリッシーはこんな世の中に対し、「ついに就職できたけど、なんて僕は惨めなんだ」と歌います。就職できなくても惨め。就職できてもどのみち惨め。
こんな歌が、約30年後の東の果ての島国に住んでいる僕の元まで届き、涙ぐましいほど熱烈な共感を呼び起こしました。しんどかったバイト時代にも「明日にでも辞められてしまうことになぜ自分がここまで本気になっているんだ?」と常日頃思っていたものです。しかし、前の曲と同じように生きていくには惨めながらも働くしか今のところ道はないようです。お金に苛まれながら、お金に支配された”純粋無垢な”幸せに向かって走っていくのが今のところの僕の人生です。残念!無念!
7.The 1975 - Nothing Revealed / Everything Denied
どんなことでも自分の意見を持つのが良しとされている時代。そして誰もが影響力を持ちうるこの時代では、何も言えないというのはある意味で危険かもしれません。正しさとか、嘘とか、そういったものについて真剣に考える一つの大きな分岐点になっているのが現代のネット社会なのではないかと思います。そして、嘘で満ちていること、空虚さ、つまり「真理の不在」というのがこの曲の根本的なテーマなのかもしれません。
この歌詞だけを見ると、その不在が神であることはすぐわかります。我々は信仰がどうであれ、何かしらの「真理」を望んで生きています。「正しさ」の証明、生きていくための道しるべ。ただ、それは実際に存在するのか?正しさというものは実在するのか?あるいは、究極のところ、神はいるのか?生きていくうえで最後に到達する問いなのかもしれません。僕が死んだとき、僕の中の正しさがまだ定まっていなかったとしたら、僕の人生はどういった意味を持っていたのでしょうか。「人生って何か足りないような気がする。そこに誰かいるの?」
8.Nils Frahm - Sweet Little Lie
火葬プレイリストでは2曲しかないインストゥルメンタル(歌詞なしの曲)のうちの1つ。埃がかかったような古いピアノの音が奏でるノスタルジー。シンプルなピアノのリフレインで構成されていて劇的な変化はない。そこにあるのは文字通り埃を被ったような哀愁だけ。あまりに昔なのに今でも主観映像で残っている記憶が洗いざらい呼び起こされるような優しい曲調。
タイトルは「甘い小さな嘘」。哀愁をまとった記憶がもし嘘のかたまりだったら?人生の多くが嘘まみれだとしたら?誇りを被った記憶は不明瞭だけど、それが些細で甘みを帯びたことだったことは覚えている。幼かった頃を思い出すきっかけのような1曲です。ベルリンのピアニスト、ニルス・フラームの傑作です。
ここで「生への執着パート」は終わります。今振り返ってみると、やけに「若さ」をテーマにしたものが多いです。これはある意味、意図的です。昔からメタ的な人間だったので、あえて若さを全面に押し出して人生の先輩から「甘え」みたいに言われそうなことをたくさん入れてみました。だって若いまま死んだとして死後も文句ばっかり言っていたら面白いでしょ?
3.生前の「ある時期」を思い出す曲たち
9.Holly Humberstone - Deep End
ここから火葬プレイリストの3つ目のパート、「生前のある時期を思い出す曲」が始まります。先ほどまではいわゆる「社会と自分」という関係性を描こうとしたものでしたが、こちらのパートはより内省的になっていきます。自分という「個」が消滅する直前、自分の内面に潜っていきます。
パンデミックが始まったころ、僕は大学2年生が始まったばかりでした。「人生の夏休み」とも呼ばれる大学時代の大半を僕は「自粛期間」に奪われたわけです。それが始まったころ僕は自分も含めておそらくみんなこの病気に罹って死ぬんだろう、とうっすら思っていました。人類が一度リセットされるタイミングがついにここで訪れたんだろう、と。
しかし周囲にはそんなことを思っているとは言っていませんでした。不用意に怖がらせたくはないし、自分がそんなことを思ってしまっていると自分自身が認めたくありませんでした。とにかくその頃は、自分が介入できないとんでもなく大きいことが自分たちの生活を破壊しようとしていることに心の中から怯えていました。そして世の中が少しずつ冷たくなっていくのを肌で感じていました。
内も外も恐怖感によって蝕まれていた当時、僕は1日中ベッドに横になっていて、窓から見える空だけを眺めていました。ふんわりと訪れる死の香りに怯えつつ、自分自身にできるセルフケアは音楽を聴くことぐらいでした。その頃に出会ったのがこの曲でした。
自分の不安な気持ちの深いところに、この曲の重くも優しさで包まれたような雰囲気が入り込み癒してくれました。この時感じた安心と希望は、ああいった時期でないともう感じることはできないかもしれません。何よりこの曲に出会ったのがリリースの数か月後だったので、「今」鳴っている曲が「今」の僕を癒している、という時間感覚に本当に救われました。
その2年後、ある程度パンデミックは落ち着き、ライブなどが開催できるようになりました。僕は渋谷のクアトロにホリーの初来日ライブを見に行きました。この時に聴いた"Deep End"は永遠に忘れません。
10.Fiona Apple - Across the Universe (Cover)
ビートルズが好きです。というかほとんどみんな好きですよね。音楽好きひとりひとりが何かしらビートルズに関する思い出があると思います。たとえ好きであれ嫌いであれ。僕のビートルズに関する思い出は以前のブログにも書きましたが、初めてベストアルバムの赤と青を聴いた夜、僕の人生は舵を切ったわけですね。
ビートルズの音楽のどこが好きか?という質問についてはファンの中で評価が大きく二分されると思います。それは「歌詞」か「曲」か、ということ。僕は今は「歌詞」ですね。先週までは「曲」でしたけど。先々月までは「歌詞」でした。ビートルズの中で詞がいい曲といえば、もう会えない人たちやもう戻れないあの頃を描いた"In My Life"とか、おそらく1000年後にも残っているであろう皆さんご存じの"Let It Be"なんかがありますが、僕がダントツで好きなのはこの"Across The Universe"です。この曲の歌詞はもう圧倒的ですね。
蠢くような生命の証が自分の存在を象徴していること、自分の周りにある宇宙が際限なく自分に影響を与えていること、そして何より自分は一人ではないこと。それでもなお、「何も自分のことを変えることはできない」ということ。内省的な歌詞が特徴的なジョンの最高到達点とも言えますね。ヨーコもポールもいない、自分だけの世界。その世界には自分しかいないけれど、自分のあらゆる感情が自分のことを見下ろしている。
ビートルズの曲はどれも大好きだけど、この曲はとてもじゃないほど大切。じゃあなぜ僕は本家のビートルズではなくて、フィオナ・アップルのカバーにしたのかというと、うーん、なんででしょうね。まず、すごくいいカバーだと思います。MVも素晴らしいです。狂乱の中にいながらも何の影響も受けないフィオナがこの歌詞世界を象徴していると思いますし。ただ、なんとなくですが、もし僕が今日死んでもフィオナは向こうの世界にいないけど、ジョンはいる。きっとジョンに会えるような気がするんですよね…
11.The Temper Trap - Sweet Disposition
駅のベンチで3時間ぐらい居座ったりとか、やりたくもない一発ギャグをやらされたりとか、友達に恋人ができたことを知って騒いだりとか、そういう懐かしくてもう戻れない感覚、ありますよね。そしてそういう時期に見た映画とか聴いた音楽って、そういう記憶にしつこくこびりついて残っていますよね。これは僕にとってそういった類の曲です。
『(500)日のサマー』(2009)という映画があります。世の多くのナイーブな人間を虜にした「ボーイミーツガール系映画」の傑作です。超文科系男子のトムと、出会う男子すべて虜にさせるサマーという女の子の出会いから別れまでの500日間を描いた恋愛映画なのですが、僕はこの映画に14歳の時に出会いまして、もうそれは僕の持ちうる夢のすべてを託しました。そこから僕はロミオを待つジュリエットのように、僕の毎日にサマーが現れることだけを待つ日々がスタートしました。ま、待っていただけです。
そんな中学校の一時期をはっきりと思い出すのがこの曲です。思い出すだけで胸が痛くなるような思い出とか、自分がしたこと言ったこととか、全部ひっくるめてこの曲のギターのリフに詰まっています。僕はそんな曲を葬式で流そうとしています。黒歴史を全部背負って僕は死後の世界に行くわけです。カルマなんです。言ったこととやったことは変えられないんだ!
余談ですが、なぜ2009年あたりは多くの人のノスタルジーを巻き起こす年なんでしょうか。僕の周りの人たちはみんな2008とか2014ごろが一番よかった、なんて言います。そんなよかったか?
12.Belle and Sebastian - My Wandering Days Are Over
2023年の秋ごろに、前の仕事をやめてすぐに僕は転職活動を始めました。自分にはいわゆるサラリーマンは無理だし、なりたくないというよりできるはずがないと思っていた(今も)ので、自分の得意な英語を教えるような仕事ができたら楽しいだろうな、とうっすらと思っていました。学生時代にアルバイトで塾講師をやっていたのでうまくできる自信もありましたし。
そしていざ転職活動を始めました。転職サイトに登録してとにかく手あたり次第に応募するも嘘みたいに惜しいところで落とされまくる毎日。そんなことが続く中で僕の中の楽観的な部分はどんどんと削がれていきました。貯金も減っていったし、昼間が鬱で夜は元気みたいな生活が続き、自信はどこかに飛んでいき、ただただ寝て起きて絶望してまた寝る、という時間が流れていくだけ。
途中、IT関係などの本当は微塵もやりたくない仕事にも、キャリアアドバイザーの「今後しばらくは食っていけるんで!」みたいな一声に揺るがされて応募してみたはいいけれど、そんなの興味もないからろくな志望動機も書けず当然のように落選。また鬱は続く。
この時期の就活は学生時代のそれよりもやはり緊迫感がありました。もう逃げも隠れもできない、見えないタイムリミットに追いかけられる感覚。やりたいことや「自分らしさ」なんて考えられる状態になれず、なにかできること、自分に耐えられることを探り続けるだけ。
と、そんな日々の終わりに今まで開いたこともなかったタウンワークのアプリから今の仕事と出会い、晴れて塾講師になることができました。「自分らしさ」が出せているかどうかとか、今日はやりたくないことやるのかな、とかややネチネチ考えながら僕は今日もJRに揺られてきました。はぁ。
13.David Bowie - Changes
僕は変化のタイミングを極度に恐れる人間です。一度できた友達とは絶対に離れたくないと思うし、できれば新しい場所で暮らしたくない。今ある平穏を失うのが怖いです。だからすごく近しい人が自分に影響を及ぼす変化を欲していて、自分から身体的にしろ精神的にしろ離れていってしまうのがすごく怖い。それは今の生活に強い満足感を覚えている証拠なので、ありがたいことだとは思うんですが、どうしても恐ろしいのです。
とは言いつつも、自分もすでに4つの学校を卒業しているのである程度の変化は経験してきたつもりです。僕は私立の中高一貫の学校に行ったので、小学校の友達、中高の友達、大学の友達と、3回の友達作り直しイベントが発生しました。それはもう恐ろしかった。自分はたぶん難しい人間だから、それを誰かに認めてもらえるのかが本当に不安でした。友達作りに限らず、環境の変化や職場を変えるタイミングなど、いわゆる人生の岐路を決めるのが本当に苦手です。やりたいことがないとかそういうわけではなく、変化が怖くて行動に移すのがいつも遅くたくさんの人に迷惑を掛けました。
今振り返ってみると、自分の人生における数多くの反省のうちほとんどが「変化」のタイミングで生じたことです。自分自身の変革に立ち向かうことが僕の人生最大の課題だと言っても差し支えないでしょう。
そんな僕に対して、デヴィッド・ボウイは「変化」の人でした。約50年の長いキャリアの中で彼は数えきれないほどの変化を自分自身の力で起こしました。アルバム単位というよりはほとんど自分の生活スタイルを変えるほどまでに。そこが彼の尊敬すべきポイントだと僕は思います。あるジャンルにおける名声を獲得しても、それを簡単に捨てて、別のジャンルに嬉々として飛び込んでいく。精神的な基盤をあえて持たない、そんな彼のようにならなければならないといつもボウイを聴くと思います。
14.The 1975 - I like it when you sleep, for you are so beautiful yet so unaware of it
Nils Frahm の"Sweet Little Lie"に続き、火葬プレイリストでは2曲しかない(ほぼ)インストゥルメンタル(歌詞なしの曲)のうちのもう1つ。
自分が知ってる中では最も長い名前のアルバム、The 1975の『君の寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。』に収録されている表題曲です。タイトルだけだと一見恋人への甘い言葉に見えるけど、それだけの曲じゃないと思います。
曲のほとんどがインストで、唯一の歌詞がこちら。
ここでいう「大きな電気」っていうのは自分の中で「人生の幸せな時期」みたいな意味だと解釈しています。「君には絶対に去って欲しくないけど、もし本当に行ってしまうなら僕の人生の最高の瞬間にピリオドを打ってほしい」みたいな意味。人生の最高の瞬間が死の瞬間まで続けばいいっていう祈りもあると思います。あと自分の大切な人に自分を殺してほしいみたいな意味ではなくて、それほど大切に思ってる、もしくは思ってたっていう証拠でもあるのではないでしょうか・・・
またタイトルは、本人には無自覚の美しさに気づき、その本人が認めない美しさを讃えるというものだと思っています。無自覚さを認めるというのは、その人の本質を認めること同じ。それってすごく美しいですよね。
僕がThe 1975を知ったのは大学時代。僕が生まれて初めて"間に合った"人生をかけて愛すると決めたバンドです。そんなバンドのアルバムで一番のお気に入りが今作です。詳しくは上にリンクを貼った過去のnoteでも書きましたが、このアルバムのテーマは(というか僕が勝手に感じているのは)、「不安や叫び、人々の生活に潜む見えない問題たち、そして他者と関わるときに生じる、はち切れそうなほどに苦しい感情」です。パンデミック下では不安や叫びたくなることがあまりにも多かったですし、それを経て、自分も世間の人々と同じく人との関わり方に苦労するようになりました。このアルバムは2016年のものですが、奇しくも当時の自分の感情を象徴するようなメッセージを発しています。この曲を聴くと2020年の春、自分たちの世界が壊れゆくなかでアパートの部屋の窓から空を見上げていたあの日々を思い出します。
4.現世への最後の問い
15.Wolf Alice - The Last Man on Earth
ここからがこの火葬プレイリストの最後のパート、「現世への最後の問い」が始まります。死ななければわからない超越的な問い、というかそういったものを現世に向かって問いかけるという精神的にとても重要なパートです。
世の中にはエゴにまみれた人がたくさんいて、たぶん自分もその一人でしかないと思います。みんな自分にだけは真面目だけど、知らない誰かには非情なほど厳しい。それはネット社会の前から浮彫りになっていたことです。それでもみんなが何かしらの方法で救われようとしています。ただ、自分のことばっかり考えてる人の元になんて、光は注ぎません。
自分のことにだけ集中しすぎて自分の恵まれた状況や、自分を構成するすべての物事に感謝できないまま、自分にとってのゴールを目指している。そんな人間たちが蔓延する世界をこの曲は痛烈に批判しています。現にこのバンドのボーカルのEllie Rowsellはこの曲のテーマは「人間の傲慢さ」だと明かしています。このテーマは僕が大好きな映画、"The Whale"(2022)と共通しています。自分の欲望のままに人の助言も聞かずに生き、人生の正当化を通して、贖罪を行おうとした主人公の最後から僕は人生の空虚さしか受け取ることができませんでした。傲慢さは悲劇的な結末と空虚さを招きます。
誰の言葉も胸に止めずに生きていく人々が救われるか否か、この曲はほんの少しの希望を与えて、その答えを渡さずに終わってしまいます。こんな自分が死ぬ寸前に光は注ぐだろうか?その答えはわかるだろうか?そのために自分は何をしなければいけないんだろう?
16.David Bowie - Lazarus
火葬プレイリストはいつ僕が死んでもいいように常日頃の更新を心がけています。言ってみれば「死の伏線」です。月ごとに少しずつ更新されていくプレイリストは僕の今を映します。いつ僕がひょんなことから死んでしまっても僕の葬式はリアルタイムの僕の想いを披露する場になるということです。これは特定の誰かへと届き、さらに具体性のある遺書とは異なり、よりポップで抽象性が高く、多くの人へと届きやすく受け入れられやすいものです。そして、ほかの誰かの物語を複数つなぎ合わせると、不思議と僕の物語になっているというのがこの火葬プレイリストの面白い部分です。
余談はさておき、2016年1月10日に亡くなったデヴィッド・ボウイは、その二日前の1月8日に遺作となる『ブラックスター(★)』(2016)をリリースしました。『★』はボウイの歴然とした遺作でした。そのセカンドシングルとしてリリースされたのが本作です。彼はロックスターとしては珍しく自分のタイムリミットを理解していました。そんな彼の地球への最後のメッセージが本作です。ボウイから我々人類全員に残された「遺書」です。
有名人としての自覚、そして自分の崇高なる人生を彼は理解していました。彼は自分自身の死だけでなく、ポップスターの死すらも演出していたように思います。最後の最後まで彼は演じ続けたわけです。現時点ではドキュメンタリーで放送されたかはわかりませんが、僕はNHKのディレクターの方に「あなたにとって「終活」とは何ですか?」と聞かれ、僕は「僕にとって終活とは、「演出」です」と答えました。僕の最後の「演出」には彼のレガシーが刻まれています。
17.Oasis - Let There Be Love
オアシスはイギリスでは4人に1人、日本では8人に1人ぐらいが世界で一番好きなバンドだと思いますが、僕も当然その一人です。あんなの好きにならないなんて不可能。ボーカルのリアム・ギャラガーはよく「ロックンロールは振る舞い方や話し方、歩き方までも指し示す音楽だ」なんて言っていますが、逆に僕はリアムにそのすべてを教えてもらいました。オアシスの曲を僕の最後のプレイリストで採用しないなんてことは最初からあり得ないのですが、どの曲を選ぶのかは膨大な時間をかけました。Wonderwallはもちろん、Don't look backも人生の最後に聴くものとして最高です。Live Foreverはテーマに合っていますし、Cast No ShadowやThe Masterplanなども物悲しくも人生の大切なことを教えてくれた曲たちです。
しかし僕はこの"Let There Be Love"を選びました。オアシスの7枚のアルバムのうち6枚目に収録されている曲。決して目立つ曲ではないですし、オアシス解散後ではリアムもノエルもおそらく十数年は公の場で演奏していないと思います。名曲なのに。再結成はもう諦めてるからこの曲演奏してくれ!
正直、オアシスの曲はベストアルバムに収録されているレベルのものであればすべての曲に思い入れがあります。なのでこの曲の採用理由は単純に好きだからとかそんなもんではありません。凄まじく優れたノエル・ギャラガーの作詞センスです。
この一文だけで採用を決めたようなものです。生者からの死者への労いのメッセージソング。「今、この世界に君がいなくて寂しい」っていうのを、「綻んでしまいそうな世界の太陽から魂を奪われた」って表現できるのはきっとノエルだけ。これが自分が死んだときに流れるわけだから、この曲は自分より先に旅立った自分の大切な人と、現世に置いてきた人たちにも届いてほしい愛の言葉たちです。
18.The Stone Roses - I Am the Resurrection
火葬プレイリストの最後を飾るのはこの曲。僕のこの火葬プレイリストの隠しルールとして、1曲目の"Baba O'Riley"と、最終曲のこの"I Am the Resurrection"だけは固定というのがあります。
「私は復活する者」というかなり攻撃的なタイトル。これまでの僕の人生で出会った美しい楽曲たちに包まれて天国に安らかに旅立つかと思ったらそんなの大間違い。やっぱり「もっと生きたかった!」という叫びは絶対に絶やさないという強い思いを最後に込めました。「まだ死んでたまるか、なんなら復活してやる」って言ってもいいぐらいです。この後すぐに天国でもしかしたら神様に審判を下されたり、接触するかもしれないのにほとんど神への冒涜みたいな楽曲を残して旅立つっていうのが、なんだか少しだけ挑発的な自分らしいかなと思いました。
いろんなものに甘えて、大して強い信念みたいなものもなく、今のところただ、たまたまうまくいってるだけの人生を送ってるだけの自分が救われるなんて毛頭思っていません。特に苦労もせず、自分が苦労と思っているものは自分が怠けていたから生じたカルマに過ぎず、ただ快楽主義的に生きてきた自分は今のところは神の導きみたいなものは受けられないとわかっています。だからこそ生き延びていきたいと強く思います。今まで散々と「死への伏線」を巧妙に張っていたのを最後の最後に破壊し、再度、生への執着に回帰するという大どんでん返しには製作者の僕も大変鼻が高いです。
あと完全に余談ですが、この曲は全然終わらないんです。アウトロが本当に長い。最高の演奏舞台だからファンとしては気持ちいいんですが、僕の葬式に強制的に来させられるだろう、早く家に帰りたい縁戚の子供とかをイラつかせたいという意図もあります。
長い。長かったですが、ここで僕の火葬プレイリストが終わります。ここから僕は永い旅に出ます。まずはジョンレノンを探す冒険を始めることでしょう。そして金を払ってAcross The Universeを弾き語りしてもらい、その後はまた次の冒険の計画を練っているはずです。
僕がドキュメンタリーに出演した際、まず思ったのは「自分だけふざけていて申し訳ない」ということ。人生をかけて終活をしている若者が大勢いるというのに、自分は完全な健康体でこんな道楽を終活と結び付けている。そんな自分にほんの少しだけ罪悪感を覚えたこともありました。ただ、このnote の記事の執筆と、番組出演のための思考の整理を通して再確認したことは、自分の人生をあまりに深く考え込みすぎていたということです。もちろん、自分の一度きりの人生は神聖なものですが、それは決してドラマチックでもなければ、憂いてしまうほどの現実的な終わりが目の前に立ちふさがっているわけでもありません。
さらにLazarusのパートでも書きましたが、誰かの歌を18個組み合わせただけなのに、不思議と僕の人生像が浮かび上がってくるのです。そこに火葬プレイリストの面白さと空虚さがあります。自分の人生の空虚さを認めつつ、それを埋める行為を決して諦めることはしない。それを教えてくれたのが、僕が今までの人生をかけて本気で向き合ってきた音楽たちでした。デヴィッド・ボウイは変化し続けることの重要さ、ザ・スミスは社会や環境、そして何より自分自身に正直でいること、そしてオアシスは振る舞い方や話し方、そして歩き方までも僕に教えてくれました。幸せな時や悲しい時、命の危機を感じている時や、絶望的な状況下で無力感とともに空をただ見上げていた時に聴いていた音楽が、今までの僕の人生すべてを歌っているのです。これほどまでに素晴らしい芸術、表現があるでしょうか。
僕が火葬される日、日本のどこかでこのプレイリストが爆音で鳴り響いていることでしょう。今の曲目とは多くが変わっているでしょうが、どんな曲が並んでいても将来の自分が選んだ曲たちは将来の自分の精神性を見事なほどに示してくれていると思います。僕が空に昇っていく日、そこで聴こえるのは僕の頭を容赦なく焼き尽くす火炎放射器の音と、僕の肩をつかんで天国へと掴んで昇っていく力強いBaba O'Rileyのシンセサイザーです。
小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!