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【映画: The Whale】慈愛をもって救済に向かおう。平和はその後に続くから。

 ある少年リバー・ジュード・ボトムは、1970年8月23日に「神の子供たち」というカルト宗教の家に生まれた。両親が宣教師だったため幼い頃から宣教活動に協力し、南アメリカを転々としていた。

 しかしそのカルトは幼児にすらセックスを推奨するような集団で、それに嫌気が差したボトム家は1977年にアメリカ合衆国に帰国し、それからは「再生」の意味を込めて、家族全体で「フェニックス=不死鳥」という本姓に変更。そこから彼はリバー・フェニックスと名乗ることになる。

 彼は『スタンド・バイ・ミー』に出演して以降、映画界の寵児となり人気を集めていく。アカデミー賞にノミネートされるなど着実にキャリアを築いていくが、麻薬中毒に陥り、最終的にはとあるクラブの入り口で倒れ、ヘロインとコカインの過剰摂取による心不全が原因で死亡した。

 彼の幼少期のカルト宗教での経験は、彼の人生に大きく影を残したと言われている。それも当然だ。個人の価値観が形成される貴重な幼少期に、狂った概念を叩き込まれると、困ったことに子供たちはそれを疑いようがない。それから一人で抜け出すのは極めて困難だ。リバーの場合は家族全体で抜け出したからまだよかったものの。

 カルトだけでなく、「普通の」宗教でも、それが良いか悪いかは問わず、人々に大きな影響を与える。無宗教の人々が「不運だ」と石を蹴飛ばすようなことに対して、「これは神の思し召しだ」と祈る人々もいる。全ては物事の捉え方に過ぎないのだ。


1.概要(飛ばしてもOKです)

(概要は映画内容にしか触れていないので、考察まで飛ばしたい方は第2章に進んでください!)

 映画『ホエール』(2023)の大テーマは「救済」。主人公のチャーリーは約270キロの巨体を持ちながら、いつ心不全で亡くなるかわからないような不安な毎日を抱えている。現世での心残りはただ一つ。愛する娘、エリーとの和解だけ。それだけを糧に生きている彼の最後の5日間を描いた作品。

 しかし実際のエリーは「ゴリゴリの反抗期」×「父親への長年の恨み」によって、正直ほとんど手が付けられない状態。父親の巨体をSNSにアップしてはバカにするなど、自分の周りの環境や他人を蔑むような人間だ。

 ただチャーリーは彼女のことを最後まで見捨てなかった。そんな彼女のどうしようもないような性格すら「正直なんだ」と評して、徹底的に庇ってしまう。それは彼のとある過去が遠因になっていた。


 チャーリーがここまで太ってしまったのは、ストレスからくる過食症が原因。彼は同性愛者であり、かつて恋人のアランがいた。アランはカルトの家系で結婚相手を親に勝手に決められていたものの、チャーリーと恋に落ちてしまった。同性愛者であることから家族から絶縁。その後もカルトの影響は彼の人生に暗い影を落とし、結局彼は自殺してしまう。この事件によってアランの姉のリズはカルトへの嫌悪感を高め、チャーリーは精神的に追い込まれてしまう。

 そんな中、チャーリーの魂の救済に手を差し伸べた少年がいた。トーマスはアランとリズの家と同じカルトの出身。そこで宣教師として活動する身だった。トーマスは精神肉体ともに疲弊したチャーリーを救いたいと何度拒否されても彼の家に通う。しかしそんな彼にも重大な秘密が。彼は盗みを働いて、家出してきた偽の宣教師だったのだ。

 しかし映画終盤、エリーが彼の告白をネットにアップしたことによって、彼の家族がそれを発見し、家族との和解に成功し、彼は家に戻ることに(余談ですが、このトーマスの運命は新約聖書の『放蕩息子の例え話』をなぞらえていますね)。そのお礼を言いにチャーリーの家に訪れるトーマス。そこで彼はチャーリーに向けて「アランが死んだのは、神よりもチャーリーを選んだからですよ」と言ってしまう。それにチャーリーは激怒し、トーマスを家から追い出す。


 カルトによって人生を壊されたチャーリーはそれでも贖罪を求める。それは無意識的なことかもしれないが、アラン亡き今、最後に成し遂げたいことはエリーとの和解。莫大な遺産をダシに娘との関わりを保とうとする。関係性は最悪だが、それでもチャーリーはエリーを愛し、信じ続ける。

 映画終盤、ついに死期が迫ってきたチャーリーは、「最も美しい文章」であるかつてエリーが書いた、名作『白鯨』の書評をエリーに読むように依頼する(それが劇中を通して彼の容態を落ち着けるものだった)。エリーは最初は嫌がるが、渋々読み進めていく。するとソファから自力では動くことができなかったはずのチャーリーが体を自分で起こし、エリーの元に歩いていく。しばし見つめ合った二人。チャーリーはすべて満足したように光の中へ入っていく。向かった先はかつてエリーと妻と3人で行った海だった。



2.「人生こんなもんだ」

 毎度毎度概要をまとめるのが一番骨が折れる作業です。だけど急に自分の話を始める人なんてみんな嫌でしょう?大切な作業です。

 さぁここまで読んでいただいた方は『ホエール』を鑑賞済みだとは思います。どう思いましたか?そもそも好きでしたか?かなり賛否両論ある作品ですよね。ほとんど部屋の中のワンシチュエーションだし、多くの日本人が苦手とする宗教、とりわけキリスト教がしっかりと絡んでくる作品ですからね。とっつきにくいと感じる人も多いかも。

 僕もクリスチャンではないし、聖書に関する教養もあまりない。だけど一つ言うとしたら、この映画って「人生こんなもんよ」ですよね。

 どういうことかと言うと、いろいろな人が指摘していたけど、最後のエリーが自分のエッセイをチャーリーに読み聞かせるシーンは、あれはチャーリーの最後の妄想だというのに同感します。エリーは母親に「evil=邪悪」と評されるような人で、最後の最後に父親の要求をあっさり通すような奴ではなかったと思う。だってチャーリーが呼び止めなかったら帰ろうとしてたから。あれは意識が朦朧としていたチャーリーの最後の妄想だと思います。

 だとすると、チャーリーは娘に捨てられた哀れな終わり方をするわけです。でも人生ってこんなもんでしょ?新しい愛のために家族を捨てて、その愛する人を自死で失って、太りすぎて普通の生活も健康も失って、最後には一人で旅立つ。悲劇だけどそれは彼が選んだ、選んでしまった道のり。


 しかし一つ考えるべきなのは、それは彼が「神に背いたから」なのか?

 現世での悲惨な現状から脱するための宗教上の「救済」。「恋人が死んだのは、神に背いたからだ」という考えを突き付けられたチャーリーはそれでも魂の救済を望んでいた。それは矛盾することなんだろうか?

 僕からするとそれは違う。彼の自分勝手だけど違う。彼の悲惨な現実において、彼が自ら起こしたことは「家族を捨てたこと」と「異常に太ったこと」の2つ。この2つは回避できたはずなんです。自分のせい(fault)なのに彼はなんとかそこから自分の魂が救い出されることを切に望んでいた。過去を清算すれば自分は報われると思い込んでいたんです

 そこにチャーリーの人間らしさ、つまり汚さが見えると共に、今作と密接に関わる名作『白鯨』のエッセンスが垣間見えるわけです。


3.クジラを殺せ

 『白鯨』の解説はさすがに省きますが、簡単に言えば、白鯨=モービー・ディックへの復讐を誓うエイハブ船長と彼の船員たちの闘争記です(大学の授業で読まされ、あまりに読むのがしんどかった記憶があります)。中でもエイハブの復讐心は狂気的なほどで(彼は片足を白鯨にちぎられてますから)、白鯨をぶっ殺せば自分の全てが報われるとすら思っている。そこに彼の狂気性がある。

 だってそんなわけがないんですよ。白鯨を殺したって単なる殺生に過ぎない。そこに快感こそあれ、その後に続くのはあまりに空虚な日常なんです。だけどそこには目もくれず盲目的に白鯨への復讐だけを考える。

 自分に生涯続く障害を負わせ、自分の内面すらも180°変えてしまった存在を清算し、自分の人生を達成感で満たしたいというのは、チャーリーの後悔にすごく似ている。チャーリーは家族と自分の健康な将来を自ら捨ててしまった。その「障害」を清算し、自分の人生を正当化したいんです。

僕は信じたいんだ
人生でたった一度だけ正しいことをしたと!
I need to know that I have done one thing right with my life!
劇中でのチャーリーの印象的な台詞
https://www.youtube.com/watch?v=nQ3AfKK8i4A


 ただ、それは正当化に過ぎない。さっきの僕の見解を正とすると、チャーリーは娘に最後見捨てられたし、実際娘のために出来たことなんて遺産を残したぐらい(結局、ドラッグやタトゥーに消えていくんでしょう)。

 ただ、劇中彼は最後、娘との和解を達成して光に包まれていった。彼の主観では彼は報われたわけです。そこにこの映画の自分勝手な美しさがあると思います。「美しさ」というのは主観に過ぎないですから。

 信じることがすべて、なわけです。彼の最後を最低限彩るために必要なことは。ただそれは彼が背いた神の教えと全く同じ。クリスチャンは現世で善行を積み、神を信じることで「救われる」わけです。ただ、人間とは穢れた生き物。完全に善行だけをして生きていくことは不可能。だからこそ「贖罪」を行うわけですよね。

 チャーリーはとても善行ばかりの人生とは言えなかった。だからこそ自分の過去を正当化するという贖罪を行い、それが達成されれば幸せな結末を迎えられると心から信じている。そんなわけはないのに。結局、それは達成できたのかできなかったのかは曖昧なまま終わるわけです。それは僕ら観客だけでなく劇中人物ですら知らない。そこに人生の空虚さがあります。だからこそ「人生こんなもんだ」というわけですよ。人生なんて所詮空っぽなんです。肉体の終焉を迎えるうえで、精神を良好に保つには主観を鋭くするしかないんです。

 だからこそその正当化を見せられる我々は、本来あまりに自分勝手なはずのチャーリーを愛してしまう。クジラを殺せば何とかなると思っているあまりに哀れな彼を。僕らも彼に似た部分を必ず持っているはずです。



 冒頭ではリバー・フェニックスの生涯を引用させていただきました。Wiki情報で申し訳ございません。カルトに人生を破壊された存在が最近メディアと世間を震撼させていますが、僕が真っ先に浮かんだのは彼の人生でした。

 リバーの弟にホアキン・フェニックスという俳優がいます。彼は2019年に『ジョーカー』でアカデミー主演男優賞を獲得しました。その際のスピーチの末尾を引用して今回の記事を締めようと思います。映画『ホエール』すごく素敵な作品です。ぜひ再鑑賞を!まだの方はどうぞ劇場へ!

When he was 17, my brother wrote this lyric. 
He said, “Run to the rescue with love and peace will follow.” Thank you.
僕の兄がまだ17歳だった時、こんな詩を書きました。
「慈愛をもって救済に向かおう。平和はその後に続くから。」ありがとう。
Joaquin Phoenix、第92回アカデミー賞でのスピーチ


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