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『フレンチ・ディスパッチ』を"分かったつもり"にならないために。

 まず言っておくが、これは『フレンチ・ディスパッチ』の考察記事ではない。僕もこの映画のことを語れるほどわかっていない。ただ、僕はこの記事で、『フレンチ・ディスパッチ』のことを理解している人間など、この世にほとんどいないだろうという警鐘を鳴らしたいのである。

 ウェス・アンダーソン監督の映画、僕はあまり好きでない。

 スタンリー・キューブリック並みの、洗練された映像づくりや画角、そして計算し尽されたあの世界観

 どうしてもあの「無駄がない感じ」が気に入らない。

 さらにはワンシーンごとの情報量も多く、一瞬ですべてを脳内に叩き入れなければならないのかと思ってしまう。見るだけですごく疲れる。

 …とは言いつつも、この『フレンチ・ディスパッチ』の他に、『グランド・ブタペスト・ホテル』しか見たことないので、あまり大口は叩けないのだが、僕はこの『グランド~』を見終わった瞬間に確信したのだ、「苦手なタイプの映画監督だ」と。


 アンダーソン監督の映画は、計算し尽されたディテールとあの世界観から、「オシャレ映画」だと言われることがある。僕もそう思う。かと言って、中身がないかと言われればそれも違う。

 こういう映画は、基本的に過去の映画への憧憬を表していることが多い。実際、Filmarksの記事によると、アンダーソン監督はゴールドエイジと呼んでもいいような時代のフランス映画に憧れていることがわかる。この記事でリストアップされている映画のうち、一本でも見たことがある人は、『フレンチ・ディスパッチ』を見た人の中に何人いるだろうか?少なくとも僕は『中国女』しか見たことがない。

 こういう一つ一つのセグメントを合わせていって、アンダーソンの魔法をかけたものが、この『フレンチ・ディスパッチ』なのである。これらの知識がなければ、一筋縄ではいかないし、僕のように見終わった後に「わけがわからん」としか言えないのも当然なのである。


 アンダーソン監督のこの新作は、映画ファンのほとんどを置いてきぼりにしてしまった。しかし、僕らはこの豪華すぎる俳優陣や、華麗な演出、あまりに「映える」世界観に魅了されてしまった。「わかったつもり」でいたくない。そう思わせてくれる映画だった。

 以前、紹介したように、僕の尊敬するタモリさんが「教養は得れば得るほど、遊ぶことができる」と言っていたが、これこそがそれを体現していると思う。

 僕は『フレンチ・ディスパッチ』を見て、本当にわけがわからないと思った。この感覚を大切にしたい。教養がないと、遊ばれることはできるが、遊ぶことはできない、ということを痛感させられた。『フレンチ・ディスパッチ』にはたくさんのライターたちが登場したが、僕も早く「そっち側」に行きたい。早く遊んでやりたい。

 以上、『フレンチ・ディスパッチ』をわかったつもりにならないための忘備録でした。もう1回ぐらいは見ようかな。また明日。

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