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【嵐 映画5×20】みんな、今すぐ映画館に行って5人に幸せにしてもらってくるんだ。

 嵐は僕の生活の一部だった

 思えば、2011年に叔母が突然ハマり、札幌ドームのライブに連れて行ってくれたことがすべての始まりだった。

 『Beautiful World』というアルバムのライブで、ビギナーズラックもあってか、アリーナの前の方でライブを見た。

 まだ小5だった僕は、嵐の曲は数曲しか知らなかったが、その時、子供ながらに「すごく楽しい」と思ったのをよく覚えている。

 翔くんがすぐ近くを走っていったこと、大野くんがこっちのほうに手を振ってくれたこと、断片的ではあるが、記憶の片隅にずっとあるのだ


 当時(中学生~高校生)は嵐のファンがクラスに2~3人はいて、地元の札幌でライブをする時期になると、とある週末、突然早退or欠席者が爆増する現象が頻発した。通称、「嵐早退・嵐欠席」である。

 当時のクラスでは、「え、○○早退したの?」「あー、今日嵐らしいよ」みたいな会話が横行していた。この現象は、嵐のライブがあった都心部、特に札幌、関東、名古屋、大阪、福岡の中高ではよく見られたことだろう。

 こんな感じで、僕の日常にはいつだって嵐がいた。嵐はいつでも僕らが見るテレビの向こうにいたのだ。


 それから10年経ち、僕は20歳に、そして嵐は一旦、歩みを止めた。


 嵐が歩みを止める直前、某ウイルスによる未曾有の事態に翻弄される直前、嵐の放った一瞬の輝きを閉じこめたような映画が僕らのもとに届いた。それが現在、全国の映画館で公開されている、『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories』である。


 今日見てきたが、すごく、すごく、すごくよかった

 僕は幸運なことに、嵐のライブに何度も行ったことがあるが、ここまですごい臨場感に圧倒されたことはない

 やはりライブは固定された視点でしか楽しめないために、「目の前に嵐がいる!!」という興奮はあるが、その全貌を見ることはどうしてもできなかった。

 しかし、この映画では100台以上のカメラ・ドローンを使い、嵐目線、客目線、そして空中目線の3つの視点で嵐のライブを体感することができる。もはや嵐のライブは、ただのコンサートではなく、一つの舞台芸術なのだ。

 なんなら映画として最終的に発表し、世界中のファンにいろんな視点で楽しんでもらってはじめてこの『5×20』のライブが完成するのではないかとすら思えてきた。もしそれを最初から目論んでいたのだとしたら、松本潤、恐るべしである


 そしてたくさんのカメラを用いることで捉えることができたのは、臨場感や会場の温度だけではない。嵐の細やかな表情だ

 嵐のメンバーは当然プロなので、疲れた顔など見せることはない。

 しかし、やはり人間ではあるし、年齢ももう若くはないわけだから疲れることもあるだろう。そういった様子が本当に一瞬、一瞬だけあえて使われているのが印象的だった。

 大野くんや松潤がうつむいて汗を拭く様子や、ニノが一瞬真顔になったりするシーンがあえて使われていたのはなかなかに衝撃的だった。

 だって彼らはアイドルだから。そういう一面は見られたくないはずなのだ。でもそういう編集をしたことで、これほどカリスマ性があって、ものすごいクオリティのライブをする嵐に、少しだけ人間らしさを感じることができた


 話は変わるが、嵐の良さって結局何だろう、と見ながら頭の片隅で考えていた。よく言われるのは、「仲の良さ」とかだが、本当にそれだけだろうか?

 嵐は活動休止以前では、間違いなくジャニーズ界のエースだったし、どんな若手が来ようが、嵐を越すことはできなかった。何がそれほど嵐を強くさせていたのだろうか?

 その答えは、これは自論だけれど、1つ目に「普通さ」、2つ目に「平等さ」、3つ目に「余裕さ」ではないだろうか。どう?どう?


 まず1つ目の「普通さ」。この表現、誤解されたくないんだけど、決して嵐は「普通」の存在ではない。めちゃめちゃすごいんだけどね。

 他のグループと比較したときにそれがよくわかる。例えば、デビューしたてのKAT-TUNは、当時では嵐よりも人気があった。そしてグループのエースは、亀梨くんと赤西くん。他にも嵐の次の次にデビューしたNEWSのエースは、山Pだった。

 これに異議を唱える人はいないはずだ。でも嵐にはエースはいなかった。これは2つ目の「平等さ」にも通ずる部分だが、嵐には「この人がダントツで人気!」というメンバーがいない。そして顔とか性格とかスキルとかを比較しても、割とみんな「普通」なのだ。(誰が言ってんだ!と言いたいそこの君、ちょっと待ってな。)

 他のグループと比較すると、他グループには明らかにこの人が一番かっこいいという人がいがち(自論)だが、嵐は割とみんな普通なのだ。みんな普通だから、目立ってる人もいない。さらに言えば、近年の嵐は違うが、初期~中期ぐらいの嵐はみんな少し芋っぽかった(自論)

 みんな平等だし、「ひと際かっこいい!」みたいなメンバーもいないグループだったから、ここまで人気が出たと思うのだ。(自論ね、自論) 特別扱いされるメンバーがいないから、メンバー同士の距離も近くなるし、それゆえに親近感も沸く。これが大きな理由の一つなのではないか?


 そして最後に「余裕さ」。嵐からは、いい意味で「必死さ」を感じない。なんだか自分たちの地位や名声などにはなんの興味もなく、ただただ活動とファンたちのことを大切にしているだけのようにも見えていた。

 これはメンバーが抜けるなどといったことがなかったかもしれないが、嵐は見ていて心配もしないし、なんだかいるだけで安心するのだ。そういう大物アイドルグループで珍しかったんじゃないかな?

 これほどの地位にいながら、のほほ~んとしている嵐は、やっぱりその位置にいるべきグループだったのだと思う。


 他にもアングラ番組(例:『Dの嵐!』『嵐の宿題くん』などなど)に出演し続けていたことで、ニッチなファン層を獲得したことや、単純に嵐の各メンバーのスキルがバラけていて、かつみんなすごい、という単純な理由もあるだろうが、グループ全体として考えると、やっぱりこの3つの理由に収束されるんじゃないかと思うよ。


 さてさて、映画の話に戻るが、再度嵐のライブ久しぶりにしっかりと観て感じたことがいくつかある。まず、松潤の下ハモが美しすぎるということ。

 生のライブでは音の聴こえ方が違うせいか、気づくことができなかったが、ほんと下ハモうまいよね。

 2020年のMUSIC DAYのシャッフルメドレーで、松潤たちがキンプリの『シンデレラガール』をカバーしてたんだけど、その下ハモもすごく綺麗だった。

 特に今回の映画だったら、"Find The Answer"の大野くんとのラスサビのツインボーカルがすごくよかったな~あそこの下ハモ、松潤史上最高の出来だったんじゃないか?マジで聴いてくれ。松潤の下ハモを。嵐の曲の重厚感を演出してるのは、間違いなく松潤の下ハモだぞ。忘れるなよ!!!


 あとさ、翔くんのコール&レスポンスってほんとに過小評価されてると思うわ。ほんとにすごいよね。ある程度テンプレはあるにしても、客のブチアゲる方法をよく知ってるな~と思うよ。

 曲の終わりに合わせてギリギリとラインまでラップしたりとか客沸かせたりとか。ほんとにすごいと思う。今まで見たアイドルで一番客の沸かせ方がうまい。


 まだまだいろいろ感想はあるが、キリがないので今回はここまで。

 ぜひ見に行ってほしい映画だ。

 老若男女、みんなが知っている曲がたくさんあって、見ている間、「やっぱり嵐は、みんなの嵐なんだ」と思い、ついつい感極まってしまった。

 本当におすすめの映画です。ぜひぜひ。



【追記】

 最後のモノクロのシーンの意味がずっと気になっている。どうしてファンの黄色い歓声だけを流して、舞台裏の嵐(メンバーの後ろには普通にツアーのスタッフが映っている)が横に並んで立っているだけのシーンを使ったんだろう。

 なんだが不穏な感じがした。モノクロにすると、どうしても「昔のこと」という印象を受けるし、ライブムービーのラストにふさわしいのか?とすら思った。

 でも、ああいう風に変な余韻をつけて終わらせることで、きっぱり終わらせない姿勢を作っているのかもね。

 まだまだ嵐は終わらないぞ、と。


 嵐、早めに帰ってきてくれ~

 今の日本には、嵐が必要だ~~



 また明日!


小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!