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マーベル、さすがにやりすぎ説。

 マーベルの勢いが止まらない。

 僕はマーベル映画の大ファンなんだけど、最近のマーベルの動きに正直もうついていけなくなってきている

 去年のはじめだったか、巨匠マーティン・スコセッシ監督がマーベル批判をしたことが大きな話題になった。

 スコセッシ監督は、マーベルの映画シリーズを、

「あれは映画ではない」


 と切り捨てた。この意見は多くの賛否両論を巻き起こした。往年の名監督は、彼と同じ姿勢を持つ者が多く、同じく巨匠のフランシス・フォード・コッポラ監督も、「同じような映画を何度も観て、何かを得ようとする観客がいるとは思えない」と切り捨てた。


 たしかに僕も、最近のマーベルはやりすぎだな、と思うようになってきた。

 いや、最近というか昔からマーベルはやりすぎだった

 『アベンジャーズ』を作るために、それぞれのキャラクターのオリジン(誕生秘話)をわざわざ一つずつ丁寧に制作した。

 『アベンジャーズ』が公開された後は、新キャラクターお目見えの映画がどんどんと続き、それぞれが同じ世界観に属するから、いろいろな事件が起きて、それが連鎖して、またアベンジャーズをやる。

 マーベルは今まで基本的にそれを繰り返してきた。

単発もの→単発もの→・・・→アベンジャーズ→単発もの→・・・

 といった具合だ。


 たしかにもはやこれは映画というよりは、スコセッシ監督の言葉を借りれば、これはテーマパークだ。

 芸術性というよりかは、世界を広げ、観客を喜ばせることに重点を置いている。ほんとだ、これ完全にディズニーランドじゃん

 もはや観るディズニーランドとなっているマーベルが、映画界に参入することなど、もはや最初から決められていたようなものだ。

だってめちゃくちゃ稼げるし、永遠に作れるし、飽きないもん


 ただ、マーベルが連続ドラマを作り出したあたりから、僕の熱はかなり冷めてきた

 今までは映画館という、ひとたび入ったら、その体験を終えるまでそこから抜け出すことはできないような環境から、

 自分の家という、あまりに自由で、他の誘惑に満ちた世界で、それを体感しなくてはならなくなったのだ。


 それが1本や2本だったら、別にいいさ。

 でもマーベルの供給力がやばすぎるのだ

 その例として、3つの画像を挙げよう。

画像1

画像2

画像3


 これらすべて、2021年から数年後にかけて公開されたorする予定の映画・ドラマたちだちなみにこれ以外にもいくつもある

 我々マーベルファンは、これらすべてを視聴しなければ、世界観のすべてを理解することはできないし、もしできなければ、先のアベンジャーズなどのお祭りムービーでツケが回ってくるのだ


 毎月のように新作が公開され、そして忘れ去られていく。

 文字通りの消費芸術としての体裁をとらなければ、維持できなくなったマーベル・シネマティック・ユニバースは、いい意味でも悪い意味でも、どんどんと肥大している。

 映画界は、もはやアメコミ産業に喰われている。

 これからどうなるんだろうか。



 昨日、こんな記事を見つけた。

https://www.washingtonpost.com/opinions/2021/11/18/stop-asking-directors-marvel-movies/

 この記事の内容は、「マーベルに関する質問を、映画監督にするのはやめてくれないか」というもの。

 この質問を受けて、マーベルに否定的なコメントを出しているのは、『エイリアン』のリドリー・スコット監督や、『DUNE』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督など。揃いも揃って、マーベルに文句をつけている。

 それはそうだ。だって、マーベル映画を作る人とは違って、映画の芸術性、単発性を信奉しているような人たちなんだから。

 でも問題なのは、この部分。

I understand the desire to ask the Marvel Question: 
It’s a surefire way to stoke controversy and generate heat, 
because there’s nothing fans of comic book movies 
like less than being reminded of the fact 
that “serious” filmmakers do not consider these projects serious films. 

マーベルに関する質問をしたいという気持ちは、(ジャーナリストとして)理解できます。
なぜなら、アメコミ映画ファンにとって、「真面目な」映画監督が、これらのプロジェクト(マーベル)のことを、真面目なものであるとは捉えていないという事実を思い知らされることほど、嫌なことはないからです。


 どんな映画が受けるかは、正直もうどうしようもない。

 しかし、このマーベル文化を支持する人が大勢いる(環境によっては大多数)ようなこの世界で、「真面目な」映画を作っている監督が、マーベル観によって批判され、「時代遅れ」であるという烙印を押されることは我慢ならないのである。

 どこのシネコン(大規模映画館)でも、マーベルや、特殊効果使いまくりの、迫力満タンのアクション映画や、アニメなどがウケている中で、特殊効果をほとんど用いない「真面目な」人間ドラマが共存していく道はないのか。

 商業的になったマーベルが台頭したまま、映画界は今後も成り立っていくのか。

 うーん、マーベルファンとしてはかなり複雑な部分である。


小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!