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二宮和也の「責任」と、「嵐でいる」ということについて。

 よくわからないんだけど、この前書いた嵐の記事がややバズりしていた。うれし~!!

 というわけで、嵐のファンのみなさまが見てくださっている間に、前から温めていたことを書いてしまおうと思う。


 僕は嵐の中でニノこと、二宮和也くんがずーーっと好きだ

 嵐のメンバーはもちろんみんな好きなんだけど、特にニノが好き。

 でも昔から好きだったから、その「好き」の理由も最近じわじわと変わってきていることを感じる。いや夫婦か!

 最初はやっぱりバラエティの面白いニノが好きだったし、コンサートで高音を響かせることが好きだった。もちろん今も好きだけどね。

 でも今は、ニノの考え方が好き。

 今回は、ニノの考え方ですごく感動したことを紹介してみようと思う。


二宮和也の「責任」


 先日、嵐がまだ若手アイドルだったころに出版された、貴重な文献を手に入れた。それが『アラシゴト』(集英社, 2005)だ。

 雑誌『セブンティーン』に連載していた嵐のコーナーの総集編みたいな内容の本である。

ブックオフで買っちゃいました…!

 この本、メンバーの一人ひとりの個人ページが大々的に用意されている。今回は、その中のニノのページから、2005年時点での彼の発言を見てみようと思う。(以下、ニノは「二宮」で呼びます!敬称略で!)


 二宮は、子供のころから人嫌い。それの影響で小学校ではいじめに遭っていた。しかし彼はそこから逃げることも攻めることもせずに、「群れる」ことを選んだ。

 そのような「面倒ごと」を嫌う性格は、青年期の二宮にとって大きな主軸となる部分であった。野球の厳しい練習から逃げなかったのも、怒られたりゴタゴタするのが面倒だったから。

 しかし彼がはじめて「面倒なこと」に立ち向かったのは、中学の入学前、彼の従妹が、家に彼の写真を撮りに来た直後のことだった。

 突然「オーディションに来てください」と呼ばれ、最初は嫌がったが母親に「5000円あげるから行きなさい」と諭されたことで、重い腰を上げて会場に向かった。この瞬間、彼が面倒だからと断っていたら、、、


 会場では自分以外の全員がハキハキと自分の名前を叫ぶ中、彼だけがぼそぼそと名前を名乗り、自分以外の全員がハキハキと踊る中、彼だけが一番後ろで揺れていた

 しかし、彼はなぜか合格した。

 もともと面倒くさがりで、自分に興味がないくせに根掘り葉掘り聞いてくるような人が嫌だった彼が、ジャニーズを頑なにやめなかった理由、それは「迷惑をかけたくないから」であった。

 このスタンスも、彼のパーソナリティを確立する大きな要因の一つとなった。

 はじめてジャニーズJr.として合格した舞台、『STAND BY ME』。この千秋楽でも彼の中にあったのは、達成感ではなく、自分のひどい演技に対価を払ってくれるお客さんと、自分たちのような子供にこんなに大きな会場を用意してくれるスタッフたちへの「申し訳なさ」だった。

 しかし、演技に目覚めた二宮は着々とキャリアを重ねていく。その道中で「自分のためにたくさんの大人が動いてくれること」、「少しの怠惰な気持ち(体重の増減など)で、演技に影響が出てしまうこと」などという現実を知りつつ、役者としての技量だけでなく、意識をも高めていく。

 そのようなガムシャラな日々を送っていくうちに、二宮の中で「アメリカに行って、監督業か映画製作の勉強がしたい」という気持ちが芽生え始める。「俳優になりたい」とまず思わないのは、「俺なんかが役者気取りで乗り込んでいっても、どうせ仕事なんてない」と考えていたからなのが、二宮らしくて、サイコーだ(?)

 その夢を叶えるために、資金を集め、ジャニーズを辞める決意も固めた。しかし、1999年の秋、彼の運命が大きく変わる


 

 彼は「嵐」のメンバーとしてデビューすることになった。

 華やかなデビューにワイドショーは湧いた。たくさんのファンが一度に飛びつき、8万人が集まった握手会も開催した。

 しかし、彼の心境は複雑だった。

 あのときのオレの気持ちはだれにもわからないと思う。自分の意志とはまるで逆の方向に立っちゃってて、もう後戻りできないって悟った時の気持ち。そういうときって、笑えてくるんだよね。笑うしかなかったりするの。「なんてダメなんだろう、オレって」って。
(中略)
 最初、「どうやったらやめられるかな」って考えてたのは事実。「オレみたいな気持ちのヤツがいるだけで、嵐にとっては迷惑だよな」って思ってた。「迷惑をかけたくない」っていう気持ちで仕事を続けてきて、その結果、1番大きい迷惑になるようなことをしてるのかもしれないって。

『アラシゴト』p.78

 しかし彼の俳優としての経験や、Jr.の時に培った責任感、そして嵐の雰囲気のよさ彼をギリギリのところで引き留めた

 その後、彼が嵐のメンバーとして経験した様々な仕事で、彼は他のメンバーとともに、「嵐らしさ」を追求していった。


 この記事の冒頭にも載せた過去記事にも書いたように、僕が思う嵐のよいところは「みなが平等」というところだ。

 食べるメニューですら民主主義で決める嵐にとって、嵐のメンバーの思考はすべて、「オレはどうしたいか?」ではなく、「嵐ならどうするか?」であった。

 人一倍「責任」に敏感で、集団の中の「自分」を意識でき、そして嵐のメンバーを誰よりも愛していた二宮にとって、嵐という船はどれだけ心地の良いものだっただろうか


 その後、彼のアイドルとしてのキャリアに付随して、俳優としてのキャリアも着々と重ねていく。当初は、「好きなことは個人でいくらでもできるしね。」(アラシゴト, p.80)と語っていた二宮であったが、次第に嵐が人気になっていくに連れて、アイドルとしての自分と俳優としての自分、この二面性をどのように処理するかという選択を迫られる

 これに対する彼なりの回答が見られるのは、彼が出演したハリウッド映画で、アカデミー作品賞ほかにもノミネートされた、クリント・イーストウッド(二宮なりに呼ぶと、クリント)監督作品『硫黄島からの手紙』の、ベルリン国際映画祭2007における発言だ。

 この会場で記者に、「この映画で俳優として、どのような経験をしたのか?」と聞かれた際に二宮はこう答えた。

俳優ではございませんし、
日本では歌って踊っていますし、
5人でグループとして活動していますし、
ただ本当に 淡々と伝えられたらと思って
参加してる最中はそれに尽くしていました。

ベルリン国際映画祭2007での、二宮の発言

 すごくひっかかる、このフレーズ。

 「俳優ではございません」

 今までの生活をすべて捨てて、俳優への道を目指すためにアメリカにまで行こうとしていた二宮が、嵐という自分の居場所を見つけたことで、自分のこれまでの経歴を投げうってしまうような発言をしたのである


 彼のこの考えは、嵐が活動を休止した時点まで一切揺らぐことはなかった。この2007年の発言の約12年後、Netflixで配信された、『ARASHI's Diary Voyage』における二宮の発言も見てみよう。

自分の名前が載るってなった時に
嵐の作品に自分の名前が載っかってしまう…
っていうことに関して言うと うれしさもあるけど
やっぱ責任もあるし
いや 俺は変な話
嵐の名前を借りないと、自分名義で何かを表現するって
できない人間だから

自分はもっとこういう距離感(狭い距離感)で、
こういう距離感(狭い距離感で)で、っていうものを作っていって
かつ それに関してちゃんと責任を持ってる
1行1行ちゃんと説明できるとか
この世界観をちゃんと表現できる
とかっていうものになってないとやっぱり、
その…嵐の盤に載っけちゃいけないと思ってたから

『ARASHI's Diary Voyage』における、二宮の発言


 ここでも何度も登場する「責任」という言葉と、嵐への絶対的な信頼と愛情。あれから10年以上が経って、嵐としても個人としても、様々な状況が目まぐるしく変わりつつも、このスタンスだけは変わらなかったのだ。


 さらに、二宮がアイドル兼俳優としての立場を表明する1シーンをもう一つだけ見てみよう。これは「SWITCHインタビュー 達人達」という番組における、二宮と、筑波大学准教授の落合陽一氏の対談での、彼の発言である。

自分は嵐っていうグループがあって
そこの活動を支持している人たちが映画にも来たりするから、
リアルの社会に対しての、間違った提案はしたくないの
「意味のある殺人があるんだよ」とか「これは泣く泣く仕方なくやってしまった犯罪なんだよ」とか
そんなものはなくて
犯罪は犯罪だし、人を殺したらそれはだめなことなんだから
そういうのはちゃんと、間違ったことを教えちゃうぐらいだったら、出ないほうがいいと思ってるから
だから、そこを一番気を付けてるかな

SWITCHインタビュー 達人達における、二宮の発言

 この時点で二宮はすでに「俳優」としての自分ではなく、自分は「演技をするアイドル」であることを認めている。そのうえで、これは「アイドル」としての「俳優」が心がけることは何か?という問いに対しての、二宮なりの完璧な回答であると思う。


 ここまでたくさんの、アイドル、俳優としての二宮を見てきた。

 彼の基盤にあるのは、「責任」、「俳優としての自分」、「なにより自分はアイドルであるという認識」などが挙げられるだろう。しかし、それらよりも前に、優先されるのは「嵐としての自分」だ。

 「嵐であること」を痛々しいほど自覚しつつ、そのために何ができるか?ということを徹底的に問い詰めた彼の世界観に、僕は強く胸を打たれたのだ。


 しかし、嵐は22年間の活動を機に、いったんその歩みを止めた。同時に「嵐」としての活動をいったんまとめた二宮にとって、今の「自分」とはなんなのか。「嵐」を主語にして、物事を考えなくてもよくなった時点での、彼は今、どういう状態なのか。

 彼の今の、アイドルとして、俳優として、嵐として、そして自分としての心境はどのようなものなのか。今後の彼の活躍を心から応援したい。


 最後に、『アラシゴト』の「二宮語録」というページ(pp..86-87)に掲載されている、嵐として活動し始めて5年目の時点での、彼の言葉を引用して終わろうと思う。

まだたった5年じゃん。ふり返ってどうするんだよ。ふり返るって、終わるときにする作業でしょ?そんな・・・まだ終わらせないでくれよ、嵐を。

『アラシゴト』p.86(初出は、『セブンティーン』誌 2004年7月7日号)


小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!