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『最後の決闘裁判』なかなかよかったから、みんな観た方がいいぜ。

 『最後の決闘裁判』ついに観た。

 なかなかよかったからいろいろ書いてみようと思う。


1.珍しい構造を持った、新しい歴史映画


 普通、歴史映画って起こったことを順番通りに描いていくと思うんだけど、この映画は起こったことを順番通りに描きつつ、それを何度も反復させていたのがおもしろかった。

 しかも、同じ出来事をただ何回も反復させるんじゃなくて、3人の主要登場人物の視点から別々にやっていたのが珍しいよね。

 その反復もさ、例えば、ジャックがマルグリットをレイプするシーンで、ジャックの視点では、マルグリットはそんなに抵抗しないし、レイプ後のジャックの語りかけも比較的穏やかなんだけど、マルグリット視点では、けっこう抵抗してるし、叫んでるし、ジャックの話し方もかなり乱暴になってた。


 こういうシーンから自分は、事実と真実は違う、ということを思った。

 本当に起こったことが事実で、人の解釈が混ざっているのが真実だから、この映画で語られてるのは、ほとんどが真実だ。

 本当は、マルグリットはかなり抵抗したかもしれないし、しなかったかもしれない。

 この「人による解釈」の部分に、人間同士の問題が絡んでいるのもすごく面白いと思った。

 力が強いことを誇っている男性にとっては、女性は弱い存在だから、抵抗の様子はあまり印象に残らないだろうし(たぶん)、乱暴な男性を恐れる女性にとっては、男性の口調とかは実際よりも恐ろしく記憶されるんだろう。

 それを歴史映画でやっていたのも面白かった。


2.抑圧された女性の戦いの証

 ていうか、この題材でこれやったのがまずすごいよね。

 結局、とある国の騎士の妻が、従騎士に強姦されて、それを妻が告発したことで、二人の騎士の決闘にまでもつれ込む、っていうことに過ぎないんだけど、こういう風に複数の視点を作ることで、「歴史・真実の不確実性」を説いてるのがいいっすよね~~


 最後のマルグリットの表情もすごくよかったな。あの表情ってなかなか出せないよな。カルージュはマルグリットのために戦っていることになってるけど、結局は全部自分のためで。

 マルグリットは自分の威厳だけのために、当時としてはありえない、女性が男性に性被害を告発することをやったわけだけど、結局その行方を決めるのは、自分の旦那。

 結局それは、自分は男性の所有物に過ぎないってことをすでに受け入れてしまった顔なんだろうな。


 その前のシーンにもそういうシーンがいろいろあったよね。カルージュがマルグリットのことを、自分の息子を生ませるためのものとしてしか見てないし、カルージュの母親も、マルグリットが不妊であることにめちゃくちゃ嫌味言ってたし。

 でも、カルージュの母親が言ってた言葉がすごく心に残った。

 カルージュの母親が、マルグリットに告発をした理由を聞いた時に、 

 真実に何の意味が?


 って言ったシーン。

 この言葉に、女性が男性社会の前でどれだけ諦めることを強要されてきたか、という歴史が詰まっている。

 この映画の主題は、男性同士の戦いではあったけど、一番の戦いは、マルグリットと「何者か」との戦いだったな。

 マルグリットと、男たち。マルグリットと、カルージュの母親。マルグリットと、友人たち。マルグリットと、世の中。マルグリットと、これまでの常識。そして、マルグリットと、神。

 神の導きが何?相手を倒した方が真実よ。


 マルグリットの言葉からは、非力な自分はもう何も変えられないのかも、という諦め、そして結局、神も助けてくれないのだ、という諦め。

 もう、マルグリットの救いとなる存在はいないのか・・・


 すごく重いし、けっこうグロもある映画だったけど、手法に感動しました。まったく飽きなかったしね。すごくよかったです。

 ベン・アフレック×マット・デイモンのコンビ、やっぱり最高っすね。


 また明日!

小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!