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「見える景色が変わってた」というのを能動的に起こしたい
実家に帰って、懐かしい街並みを歩いていると
そのサイズ感にすこし戸惑いというか、違和感を覚えます。
別に「小さい頃にいた」というだけではありません。
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実家のある広島には、18まではいまして
確かにそこからは広島を離れたわけですが、
盆暮れ正月にはちょこちょこ実家には帰っていました。
つまり、体格的には十分に今の状態だったころの
印象はあるわけです。#体重は別
身長・・つまり目の高さとしては
そう変化はないはず・・・なんです。
17歳くらいから変わってないのですから。。
なのに、どこか見える景色が違うんですね。
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例えば、道路の幅
例えば、塀の高さ
例えば、信号機の高さ
例えば、堤防の高さ
昔あった建物が、今はなくなって・・・
みたいな話ではなく、昔からあったもののサイズに
なんか違うように思えるのです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/69153328/picture_pc_7abd9e73949d9936ce3a06d3c13cba7f.jpg?width=800)
すごい面白い感覚だなと思うわけです。
これはおそらく普段生活をしてる福岡という環境の
いろいろな普通に自分が慣れてしまったこともありますが
それに加えて、
「スコトーマ」つまり「盲点」の影響だと思います。
40代に入り、子供も大きくなり
見える景色が変わったのは、
当時見えていなかった「スコトーマ」「盲点」が
なくなった、もしくは変わったからだと思うんです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/69153304/picture_pc_30a4df2dff5b0797e08849a922306bb2.jpg?width=800)
主に、「スコトーマ」の話は自己啓発系や
コーチングの分野で聞く言葉ではありますが、
これってコミュニケーションにおいても
同じことが言える気がします。
わからない相手をわからないということで
蓋をしてしまっては、
相手および相手の周辺の世界は
「盲点」のままです。
少しでもその「盲点」を外してみれば、
見える景色も変わってきて新たな発見があるかも
しれません。
コミュニケーションの中には
自分を磨いていくことを目的にしたものもあるでしょう。
下心満載かもしれませんが、
しっかり自分を立たせる為、自分を育てる為の
コミュニケーションも確かにあります。
見せるためには、相手のスコトーマ(盲点)を外して
もらうことに重きを置くことがあるでしょうが
成長させるためには、つまり世界を広げるためには
スコトーマ(盲点)を外すのは自分です。
気付いたら変わっている
これは環境がそうさせるものですが、
自らそれを起こすということができたら、
一歩先にいけるような気がします。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回はコミュニケーションに関わる記事を書きましたが、
特に自分自身がコミュニケーションを意識して書いたものは
マガジンにまとめていますので、そちらをどうぞ。
もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!