専門家とは?

2010年8月4日 投稿

先日、ある人から興味のある話というか言葉をお聞きしました。

「専門家とは、その分野でのあらゆる失敗を経験したもののことである」

なるほど!!と思わず感心してしまいました。

何かその分野に関係のある仕事をしていたり、ましてや大学で専門として専攻していたというのでは、決して使い物になるわけではないというのはそういうことなのかと。

よく大学や大学院の情報関係の学部や研究をして社会人になった子たちが自信満々で専門用語を吹聴したり、やたらと観念論を気取っていざ仕事をすると、まぁだいたいがうまくいかず、お客さんからも「なんじゃあいつは!?」とおしかりを受けることがよくありました。そして、当の本人は「あのクライアントは、システムがどういうものかよくわかってないんじゃないんですか?」とばかりに小馬鹿にするような言いぐさでふてくされてみたり。。。。

まぁほんとによく見かける光景です。ましてやその大学が元帝大クラスとなると目もあてられない惨状が。。。というと大げさかもしれませんが悲しいけど現実の話です。

そういうことも見かけるたびに、きっと私よりも頭脳も優秀で、学問知識が豊富な彼らがなぜそうなってしまうのかよくわからない思いでした。

くだんの言葉は、失敗の積み重ねこそが成功の確実な礎になるということ、そして、そのような礎を築くためには失敗を失敗と認め、なぜ失敗したのか?どうしたらうまくいく可能性がもっと高まったのかを徹底的に考え抜く習慣を身につけなければいけないと言うことを言下に語っているのではないでしょうか?

それは、仕事を「早く済ませてしまいたい」という姿勢で取り組んでいる人の頭には決してひらめかない発想です。
なぜなら、(自分の中で)すんでしまったことは考えたくないし、もしかしたらよくない品質のものをあいてに手渡してしまったとき、目を背けることで自分を安心させようとするからです。減点を避けることに重点が置かれているのです。

仕事を通して、何かで人をあっと言わせたい、「やるやん」と褒めてもらいたいと思えば自ずから、必ずとは言わないまでもその延長線上には、「専門家」という言葉で呼ばれる可能性が待っているのだと思うのです。

悲しいけれど、「怒られたくない」という思いだけで仕事をする人がいます。恥をかかないために努力をせず、騙しのレトリック探しに奔走する人がいます。目立たないようにして他人が困っていても素知らぬ顔で、言い訳だけはいつも用意している。。。。。誤魔化そう、そしていざとなったら逃げろ、俺のせいじゃない、今回は運が悪かった云々。。。

文句を言うつもりではなく、そういう人にはほんとに関わりたくないし、近寄ってきてほしくないですね。

セブンエージェントのメンバーである必要条件は、専門家として仕事が出来る人であると常々メンバーに語り、そして求めてきました。
それをリードする私自身がもっと真摯にそのことはどういう事であるのか?自分自身を振り返り検証し、そして具体的にメンバーに示していかないといけないのです。

そんなことを感じ、考えた一日でした。

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