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【ショートストーリー】12    大きめのスーツ

僕は子どもの頃、サンタクロースはなんて理不尽なやつだろうって思っていた。

友だちは流行りのゲームや大きな高価そうなおもちゃをもらっていたのに、僕には、僕のサンタクロースは、希望したものを届けてくれたことはなかった。

いつからか、クリスマスのイルミネーションは灰色な思い出のなかに沈んでいた。
それでも母親はわずかばかりのご馳走を用意してくれた。

外食に行く特別な夜もあった。
母は、決まって会計の時に「思ったより安かったね」と自分に言い聞かせるように僕に笑いかけた。これは今でもそうだ。

小学生の時は自転車がないから、僕は友だちと遊ぶとき、走ってついていった。おかげで足が速くなった。本当の話だ。

服や靴は従兄弟によくもらったが、希に買いに行くときは、一回り大きなサイズを買った。「まだ背が伸びそうね、ちょっと大きいのにしたら」と小学生の僕はいつものようにそんな母親の提案に従った。

きっとお金はなかったけれど、母はどんなときも優しかった。

中学生の時に、万引きで警察にやっかいになった時に、初めてあんなに泣く母を見た。僕は情けなくて、申し訳なくて、死んでしまいたくなった。僕も泣いた。一生分あの時泣いた。僕は少しだけ変わった。

「大学や高校は私立には行かせられないから」と中学生の時から母はよく言っていた。僕は地元の公立高校に進学し、地元の国立大学に進んだ。

大学生になっていよいよ就職活動が始まったときの話だ。
母親は新しいスーツを買うことを僕に提案してきた。大学に入るときのスーツは確かに就職活動にはどう好意的にみても適していなかった。

地元の量販店でスーツを選んだ。
いろいろなスーツが、並んでいて眩しい店内だった。久しぶりに見た母の背中はとても小さく見えた。
「これなんていいんじゃない?」
珍しく値札も見ずに母は僕に話しかけた。母とスーツを選ぶことに気恥ずかしさがあって、早く適当なものを選びたかった。
「いや、ちょっとスリムすぎるかな。これくらいがいいかな」
僕は無難なリクルートスーツを選んだ。
「うーん、そう。まぁ、あなたが気に入ったの買いなさいね」
一応、僕は財布に昨日バイト先の蕎麦屋でもらった給料を入れていた。大学生になってバイトばかりしていたから、お金には困っていなかったし、今期は授業料免除で、奨学金にも余裕があった。
「やっぱこれにするわぁ」
僕は少しだけ高価な方を選んで、様々なサイズでフィッティングしてもらった。

試着室からカーテンを開けると母が「いいわね」と微笑んだ。

店員が現れて裾や袖の細かな調整をしてくれた。
「このくらいでいいですか」
僕にはちょうどよく思えたが、母は、もう少し大きいのがいいんじゃないとしきりに言っていた。
「まだ背が伸びるかもよ」
「もう、これ以上大きくならないよ。母さん」
僕は笑って言った。

でも、何だか不思議な気がしていた。
母と何かを買うなんて最後なんじゃないかと、不意に思考がよぎる。子どもの頃のいくつかの思い出が急に僕を取り巻き、店内の明るさと相対して際立つ。会計は五万六千円。母は三万円も出してくれた。

一週間後
少しだけ大きめのスーツが出来上がった。

子どもの貧困率が13,5%らしい。
今、この国の子どもの七人に一人が貧困状態だという。

僕は貧困状態だったのだろうか。

買ってから15年たった大きめのスーツが、クローゼットから僕を覗いている気がした。

おしまい

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