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【ショートストーリー】8    イングリッシュ・ガーデン・サラダ

「そういえば、母ちゃんを置き去りにしてしまったぁぁ」
 碧はミニトマトの収穫に夢中で、車イスの母親のことをすっかり忘れていた。

「碧ちゃん待って」
 さやかはかけていく息子の背中を見た。ゆっくり車椅子の車輪部分を握って、少しずつ前へ前へ力を入れて畑の脇の比較的平らな道を選び進む。

「ごめんごめん母ちゃん」
額に汗が光る碧がさやかに駆け寄った。

「でも小学校で育ててるミニトマトよりもすげー美味しそうだよ」
 碧がさやかにひとつ手渡すと、宝石でも扱うようにさやかは覗きこんだ。

「ほんとだ美味しそうだね」
「そうだ、母ちゃん今日はサラダにしようよ」
「ええ、いいけど碧ちゃんさっきラズベリーのパイ食べたいって言ってなかったっけ」
「いーの。今日は碧と母ちゃんで採った野菜でサラダにする」

「わかったわ、いいわよ」

 碧はさやかの膝にミニトマトのはいったビニール袋を無造作に置くと、あと数十メートルの道のりを、車イスを押していく。背が小さな碧は、前屈みで一生懸命車イスを押すので、正面からはさやかの姿しか見えない。

 「碧、力強くなったわね」
 「当たり前じゃん。もう来年は二年生だよ、おれ」
 碧は自分で自分のたくましさを誇らしく思った。
 
 築30年の家。でもさやかは畑つきのこの田舎の家に引っ越してよかったと思っていた。自然と共に生きることが夢だったし、何より子どもたちがこの暮らしを気に入ってくれたのが嬉しかった。

 「兄ちゃんたくさん野菜とってきたよ」
 突然の声に、陽翔は碧の声のする方を向いた。

 「おー、碧ちゃん見せてよ」
 碧がミニトマトを手渡した。陽翔は、三センチくらいまで眼をミニトマトに近づけて見ている。

 「へー、綺麗な赤だね。立派じゃん。赤いのだけなの?」
 「ジャーン、黄色もあるよー」
 かご一杯の赤と黄色のミニトマトを碧は見せた。陽翔は、ひとつひとつまた、目に近づけて色を確認した。

 「よーし、今日は母ちゃんにサラダ作ってあげようぜ」
 「いいね、いいね」

 碧はさやかのいる玄関までかけていく。
 「母ちゃん、ゆっくりしててね。今日は俺たちで、サラダ作ってあげるから」

 「ありがとう。助かるわ。ふふふ」

 二人の会話が玄関で聞こえていたさやかは、微笑んだ。ゆっくり車イスから、手すりを使って歩き、茶色い大きな安楽椅子に腰かけた。

 「兄ちゃん見えにくいから、なんの野菜があるか碧ちゃんおしえてよ」

 陽翔が指揮をしながら、碧が調理を中心的に進める。赤、黄色、緑、半熟の目玉焼きもいれて白と黄色もはいれば、とても鮮やかで色とりどりのサラダが、山盛り出来上がっていった。

 陽翔は、目を近づけて鮮やかな色と野菜の新鮮な香りを楽しんだ。
 「うん、上出来だ」

 「母ちゃんできたよー」
 碧は、早く見せたい一心でリビングにサラダを抱えて走る。
 と、その瞬間ドアの縁につまずいた。

 「あっ」
 とさやかが言った時には、派手な音とともにリビングの床に山盛りのサラダが撒き散らされた。

 「碧、大丈夫?」
 そう言ったとたん、一瞬ですべてを理解した碧が、大きな声で泣き出し、大粒の涙が顔中に溢れた。
 「せっかく、せっかく母ちゃんにサラダ作ったのに……、せっかくせっかく、作った、のに……」

 「碧、何すんだ。気を付けろよ、頑張って作ったのに……」
 陽翔は、目を吊り上げて言ったかと思うと、次の瞬間にはみるみる碧と同じような顔に変わる。

 「碧ケガはない?二人ともおいで」
 透き通る声にふたりは安楽椅子に座るさやかに抱き寄せられる。涙と鼻水だらけの顔を優しくさやかは抱き留めた。
 
 二人の泣き声が落ち着くと、さやかはゆっくり話し出した。

 「昔ね、お父さんとイギリスって国に行ったの。そこでね、あるお家にお呼ばれしたんだけど、とっても驚いたことがあってね。お庭がとっても素敵だったの。赤、青、きいろ、白、ピンク、いろいろな色があってね。そう二人が作ってくれたサラダみたい」
「食べれなかったのは残念だけど、二人ともありがとう。とっても嬉しかったわ、二人の気持ち」

 「でも、食べ物ダメにしちゃった」
 陽翔は、弱々しく呟く。

 「大丈夫。この素敵なお庭のような色をしっかり見たら畑に戻しましょ。そうすると土の中の小さな虫さんたちが食べてくれて、ふんをして、土の栄養になって、また素敵な野菜ができるのよ。そうやって世界は形を変えて巡ってくの」

 「ええ!そうなの」
 さやかの話の途中で不思議そうに、でも好奇心いっぱいの眼で碧はさやかを見つめた。

 「また、母ちゃんに何回も作ってね」
 「うん」

 碧には不思議とぶちまけたサラダがちょっとした庭のように思えてきた。赤や緑や白の間にフローリングが道のように見える。碧はなんだか本当に庭にいるような気持ちになった。そして、ぎゅっとさやかの膝に顔を突っ込んだ。

 碧が顔をあげて笑って言った。
 「母ちゃん、またサラダひっくり返すね」



 さやかも陽翔も時間差で笑う。
 笑い声が遠く畑まで届いているような気がした。

 ☆おしまいまい☆

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