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【連載小説】なんの変哲もない短編小説を書いてみた3-2

前回のお話はhttps://note.com/sev0504t/n/n601a36b3f86d

 真理の家は住宅街の中にあって路地から奥まった旗竿地に建っていた。暗闇の中で外灯の小さな薄紫色が親和的な光にぼくは見えた。

「お母さんいつも遅いの?」
 自転車の鍵をかける真理の背中に語りかけた。

「うん、最近はね、ずっと。新しい彼氏でもできたのかな」
 力弱く真理は笑った。冗談を言ったつもりなのだろうがそれはちょっとした確信をはらんでいるように思えた。

 以前、真理からキャリアウーマンとして第一線で働く母親の話を聞いたことをなんとなく思い出した。会社では様々なプロジェクトのリーダーを任されているらしい。真理は言わないが中学にあがるくらいに離婚されたと誰かが言っていた。

「適当に自転車おいてね」
「ああ」
 ぼくらは顔を合わせずに話をした。

「ちょっと散らかってるかも」
 ドアが顔認証システムで開けられると、新築の家の木の香りと石鹸の香りが混じった湿った空気を感じた。バニラのような木の香りを纏う真理の後ろ姿がぼくの鼓動の高まりを後押しするのが分かった。

「おじゃま、します」
 リビングは広くきれいに片付けられていたが、所々に漆喰の白色のなかにシミのようなものが目についた。

 最近急激に家庭に普及しているバーチャルアシスタント技術のスマートスピーカーが機械音を微かに真理の元に寄ってきた。

「最新式のかな、一昔前のお掃除ロボットみたな形だね」
「私の部屋行こっか、ちょっと落ち着かないでしょう?」
「どこでもいいよ」

「モズクッ、ベースに戻って、何か音楽かけて」
「変な名前にしてんだな」
「かわいい名前でしょ?結構ね、気に入っちゃってね」

 音楽が流れ始めると、真理は階段までぼくの背中を押すように自分の部屋まで導いた。

「きれいな部屋じゃん」
「適当に座ってね」
 高校入試の参考書にパソコン。ベッドにある見たこともないクマのぬいぐるみは右肩が解れていた。

「女の子の部屋とか大地くんはじめて?」
「そうだな、ちょっと前に圭吾の妹の部屋に入ったくらいかな」
「へー、鈴見くん妹いるんだ、私もお兄ちゃんとか欲しかったな」
「鈴見のことどう思う?」
「あ、いきなりその話、鈴見くんとは何にもないんだよ」
「いや、ちょっとね」
「その話はこれ以上はしません」
「あ、ああ」

「でも、大地くんて不思議だよね」
「何が?」
「何考えてるか分かんないっていうかさ、人に興味なさそうっていうか」
「そう、かな」
「この人いいなとか、好きだなってないの?」
 真理と目があった。まつ毛長いなとか、前髪揃ってるなとか、そんなことを考えた気がする。

「よくわかんないな、好きとか、でも、まあ木元とは話しやすいかな、落ち着くような気がするけど」
「いま、ちょっと言葉選んでるでしょ?」

 ベッドに腰掛けたぼくに、真理は肩が触れるくらい近づいて横に座った。
「大地くんて鈍感な感じかな?女子が自分の部屋に男子を招き入れるなんてこと普通ないからね、漫画やドラマみたいじゃん」
「普通?」
「そうだよ」
「このあと漫画だとどうなるの?」

 普通という言葉にぼくは引っかかりを感じつつ、彼女の香りや体温を感じて理性が焼け焦げつきそうな自分を随分冷静に、そして客観的に感じていた。



 真理の身体は丸みを帯びていて肌がきれいだった。明かりを消してもそれはよく分かった。

 信じられないような世界を垣間見たぼくは、いつか見た誰かのプライベート動画のワンシーンを演じるように、でも触ればすぐ崩れてしまう砂上の彫刻を優しく撫でるように真理のことを知ろうとした。

 真理は、積極的にそれに応じた。
 時折痛みを感じるような素振りは、「大丈夫、うん」と自分に言い聞かせるようだった。

 全てが終わって、肩をわずかに震わせた真理がぼくに尋ねた。
「大地くんさ、私のこと好き、かな?」
 ぼくは何も言えなかった。真っ白な頭の中に墨汁が垂れ込んできて、空間が侵される心地に、言葉とか感情とかそんな上等な物は全て塗り潰されていった。

「ねぇ、大地くんは、今どんな気持ち?」
「分からない、な」

 ものすごく静かな夜だった。下の階では、スマートスピーカーから音楽が流れているはずなのに。

「何でもいいの。今言葉にできそうなコト、何でもいいの」
 真理の震えた声にならないような問いかけに、ぼくは何かを言わなければと思った。
「何でも、いいの」
 もう一度、真理はゆっくり言った。

 脈打つ拍動はとうにおさまり、前にはベッドのシーツから肌をのぞかせる真理の悲しそうな、また何かを期待するような顔があった。

「寂しい、気持ち…」

 絞り出したぼくの言葉は、意味をもたなかった。この世で最も軽く、そのまま宙に消えた気がした。

つづく

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はじめからは

https://note.com/sev0504t/n/n9623b38aee95?magazine_key=m3a4f64710c18


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