まだ通過地点

なにをもってゴールと言うのか?


「天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は本当の絵描きになることができるだろう」
葛飾北斎の90歳の言葉だ。

長野県小布施町に葛飾北斎 最晩年の大作「八方睨み大鳳凰図」がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ceiling_of_Ganshoin_temple_at_Obuse.jpg

私はこの鳳凰図に心を打たれて、美大に行く決意をした。


夏の暑い日に、

父親と連れ立って小布施の岩松院に行った。

畳の上に寝転んで、天井いっぱいの鳳凰を眺めた。

北斎の肉筆画には人を惹きつける魔力がある。

絵筆を持った老人が岩絵具を使い、21畳の天板に不死鳥を描き、

そこに魂が宿った。

細部には、小布施の栗のマークや逆さ富士が隠し絵となっている。

北斎特有のなぞかけにも思える。


上京し、予備校のデザイン科の講師から

「北斎の絵を模写すると勉強になるぞ」と言われて、

その足で図書館に行って本を借りた。


今にも動きだしそうな、時にユーモラスにも見える人や動物。

繊細にデフォルメされた雲や波。


江戸時代の絵師は、目の前で動いている動物や植物を

ただひたすらに観察してスケッチしたことだろう。

解剖学にのめり込んだレオナルド・ダヴィンチのように。

生涯、完全を追い求めた画狂老人。神がかりともいえる絵への執念。

私は絵描きではないし、天才でもないが、

北斎は自分と同じ道を志した師だと勝手に思っている。


そして鳳凰は、

「永遠にゴールなどないのに、どこかにたどり着こうともがく私」

を見て、少しばかり皮肉に微笑んでいるようにも見えた。


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