見出し画像

『毒になる親』のセラピー実践「自己の解放」手紙書き:お母さんへ

『毒になる親』を何回か読んで、自分の中でいろいろな整理ができてきた。それでも、あえて、自分で実践してみたくなったので、「手紙書き」という形で改めて向き合ってみることにする。

手紙を書く順番は、以下の通り。
①加害者の親
②もう片方の親
③大人である現在の自分から傷ついた子ども時代の自分
④自分の人生を第三者的に見て、その自分を主人公にして寓話化し童話を書く
⑤恋人や配偶者
⑥自分の子ども

とはいえ、①と②っぽい内容については何回かまとめている。

自分の中では結構スッキリしてきているので、①〜⑥を一通り書き終えたらいろんな意味でピリオドを打てるような気がする。

■親と正面から向き合い、はっきりと話をすること
■そのことへの恐怖心を、これを最初で最後のこととして勇気を出して乗り越えること
■親に真実を語ること
■親と今後どのような形の関係を維持することが可能かを判断すること

『毒になる親 完全版』スーザン・フォワード著

1あなたが私にしたこと
2その時の私の気持ち
3そのことが私の人生に与えた影響
4現在のあなたに望むこと

『毒になる親 完全版』スーザン・フォワード著

これらを含めることを意識しつつ、以下、お母さんとの”対決”。


お母さんへ

お久しぶりです。直接連絡を取らなくなってどれくらいたつでしょうか。父の一周忌のときも、近況はほぼ話さなかったので、私のことを話そうと思ったのはいつぶりでしょうか。

1番幼い思い出は、保育園の頃でした。幼なじみのおばあちゃんが園長をしている保育園に毎日通い、お迎えが来るのを毎日最後まで待っていた気がします。園長先生からその日の私の様子を報告して貰い、その流れで、自分がジャンプしなければ届かない鉄棒で前回りを披露して、あなたに褒めてもらった記憶があります。
褒めてもらえるのはすごく嬉しかったです。お迎えを待っている間も、もっと褒めてもらえるようにあれこれやっていたので寂しさをあまり感じていなかったように思います。

小学校にあがってからも、毎日最後にお迎えだったり、お家で一人で留守番だったりして、あなたが家に居ることは少なかったように思います。それでもお弁当の日は毎日作ってくれたし、家での食事に困ったことも、洗濯等の家事が滞ったことも記憶にないので、ほぼワンオペのワーキングマザーとして十分に頑張っていたのだと思います。それは、純粋にすごいことだなと思います。
ただ、その頃からでしょうか。あれこれ頑張っても褒めてもらえなくなり、できなかったことばかりを指摘されてできるようになるまでの厳しく接してくるあなたの記憶しかありません。体育を除き全ての科目は通知表で5を取るレベルまでにならないと、なぜ5ではないのかと問うていましたね。
ここ数年でわかったことですが、私はASDでした。それとも関係なく、褒めてもらえない、がんばってできたことよりもダメなところばかりを見られる、できないことや苦手なことがあることを許されない、とても窮屈でした。
学校終わりは自宅で一人で留守番で、家の外に出ることは許されませんでした。たまには放課後に友達と遊びたかったです。鍵を忘れた日は最悪でした。当時は連絡手段もなく、玄関先でひとりずっと座って待っていました。ワーママのあなたは、近所に友達も居なかったので途中でママ友が気づいて…ということもありませんでした。

褒めることを一切しなかったのはなぜですか?
できるようになることにそこまで価値はありますか?
あなたにも、できないことはたくさんありましたよね?
なぜ私には”できて当たり前”を求めてくるのですか?
私が学校でなにをして、どんな友達が居て、何を思っているか、気づけば一切話すことはなくなりました。聞かれることもなかったですね。
たまに友達の話をすれば、「そんな唆してくる友達はやめなさい」って言ってましたね。私の友達を否定するのはやめてほしかったし、その友達を選んだのは私です。ていうか何をそんなに否定ばっかりしてたんですか?それが小学校教員や看護師や保健師を仕事としていた人の子育てですか?

婚約破棄の時、心配だからと私の意見を聞きもせずにうちに居座ろうとして、帰ってくれと訴えたときも、あなたの返事は「親に対してその言い方は何だ」でしたね。私の話を聞くつもりがなく、この期に及んで言葉尻を掴んでくるんですね。
そもそも、親として尊敬されるような言動をしてませんよね?
何をしても否定される、キレる。そもそも私が何を考えて一人暮らしを始め、ギリギリまで親に言わずにさっさと結婚しようとしたか知らないですよね?

嫌になっちゃったんですよ、自分を否定されるのが。話を聞いてもらえないのが。褒めてもらえないのが。
家を飛び出して、私を否定せず話を聞いたり褒めたりしてくれる人にようやく出会えました。
それでもまだ私は、私の話なんて誰も聞いてくれないんじゃないか、周りの人はそのうち私を否定してくるのではないか、褒めてくれるなんて何か裏があるんじゃないか、なんていう猜疑心を抱えながら生きています。

今でも年に一度、義実家に年賀状やお歳暮等を送っているみたいですね。あなたなりの関係維持なのだと思いますが、そこに付ける手紙に、毎回私の悪口を書くのは何故ですか?そんなに至らない娘ですか?私の何を知っててそれを言ってますか?それを言うことが、私と義実家の関係維持にどう影響するかわかっててやってますか?私抜きで開かれた両家顔合わせも含めて、全部迷惑行為ですよ?

地元は今でも好きです。でも、地元に住むあなたは嫌いです。
子どもの立場での不満を述べてきましたが、親として謝って欲しいとは思っていません。あなたは私の話を受け止める気がないし受け止められない。

次会うときはあなたの葬式だと思います。それまであなたはあなたの人生を生きて下さい。

経済的に自立していなかった間、衣食住を整えてくれたことは感謝しています。ありがとうございました。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?