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産後うつの加療中に、毒親から余命宣告をされたと知らされた日の日記。

このところ、セルフなんちゃってスキーマ療法の一環で、親との関係を見直している。これまでの人生の中で、親との関係を見直さざるを得ない出来事は何度かあったけれど、その時々でなんとか日常を取り戻してそのままで終わらせてしまっていた。
今まで、自分自身の生きづらさを痛感する出来事は何度もあったけど、その時々で支えてもらいながらそれなりに生きてきたし、多分これからもそうやって生きていくのだし、これが私の人生なのかな…と思っていた。おそらく原因は自分自身のASDという特性や、毒親・機能不全家庭での育ちにあるのだろうことはわかっていた。ただ、今更あれこれ考えたところで事実が変えられるわけでもないし、人生をやり直せるわけでもない。自分の特性は日々なんとかやりくりすべく試行錯誤を続けているけれど、毒親・機能不全家庭のことをあれこれ考えながら生きるのは嫌だったので、なるべく意識から逸らすように過ごしていた。
でも、俯瞰して自分を見つめ直したときに、傷で傷を擦り続けるような生き方を選んでいるのは私自身で、それはいまだに毒親や機能不全家庭からの影響を強く受け続けていることを意味しているのだろうな、と気づいてしまったのだった。
良い機会なので、自分の感情の蓋を片っ端から開いて、整理する作業を始めた。


📝2013年6月23日。
2010年に親から逃げるように結婚し、妊娠を親に知らせることもなく2012年12月に里帰りなしで出産し、良い母親になるべく頑張りすぎて2013年1月に産後うつになった。自宅療養や諸々のサポートのおかげで、ようやく日常を取り戻して過ごせるようになってきた頃だった。
年賀状でしかやり取りをしていなかった父から電話があり、出たくなくて渋っていたら、要件だけでも聞こうと夫が代わりに取ってくれたのだった。末期がんで抗がん剤治療をするけど、余命数ヶ月とかそんな話だった、気がする。

以下、その日の日記をコピペ。

父からの電話を夫がとり、なんか10分くらい話した後に「声だけでも聞いて欲しい」とのことだったので、とりあえず声を聞く。

用件は
・色々反省している。
・母も兄も見舞いに来てくれている。
・みんなで、おまえはどうしているか心配している。
・同じくらいの年齢になればわかる。
・がんばれ。
だった。
黙って話を聞きながら、うわぁ、とは思いつつ、とりあえず子が喃語を披露したからいいかなーとか思っていたけど、返事を強要されたので「わかりました、はい」のみ応答。
電話切って夫に「かわいそう」と言われて泣いた。
世間一般的に可哀想なのは死期が迫っているのに娘に会えない父親のほうだろう。でも違うんだ、可哀想なのは私なんだ。そして人は死ぬ間際になっても変わらない。変わる意志もなければ能力もない。機会はあるはずなのに。くだらない人すぎて泣ける。育ちの家族が最期までこんなにくだらない人間だとは。

電話の最中にもいろいろ思いながら、それでもひたすら話を聞いていた、というか聞こえていただけで記憶にはほとんど残っていない。これはもはや能力だと思っている。聞きたくない話を聴いていると思わせること、聞いた端から脳内から消し去ること。ストレスコーピングとしてはとてもいい。とても。これだけは感謝している。

で、どうせならいろいろ思ったのを文字にしてきれいさっぱり忘れようと思う。昔から私は書き殴って忘れてきた。そして書いたものすらきれいさっぱり捨て去って、もはや思い出すことすらできなくなっていることが多々ある。そうやってすっきりする。ハキダメ。

以下、思ったこと。

・色々反省している。
どこをどう反省しているのかがわからない。夫の補足によれば、私が前の婚約者・・・あれだれだっけ?名前でてこない・・・ああ、そうそうよーくん?との結婚を前提とした引っ越しでちょっと渋ったとき、母が暴走して家まで来て娘のためにーとかなんだか怒り狂っていたところについて反省しているようだ。
うん、そこじゃない。そこじゃないんだよ。
教育実習生に手を出した事とか、不倫の時期が母親の入院中だったこととか、家族会議に私を入れなかったこととか、娘に対して不倫話を一切話題にしないところとか、娘が成人したら離婚とか言いながら成人するまでも特に家族として取り繕えていなかったところとか、そもそも家の中で会う時間もなければ娘の話を聞くということもなかったところとか、そっちのほうなんだけどなー。
頓珍漢、というのはこういうことかと思いながら、死期が迫っても人生の全体を反省できないのはこりゃもう末期だ
と思った。滑稽。

・母も兄も来てくれている。
へえ、よかったねえ。仮面家族、機能不全家族が最期に家族ごっこをしてくれたんだねえ!私はつきあわないけど。

・みんなで、おまえはどうしているか心配している。
心配しているのが事実かどうかはわからないが、心配しているのなら心配している相手の近況を本人に聞くのがいいとおもうよ。ああ、みんな本人の話を聞かない、本人と直接連絡を取ろうとしない、直接連絡を取れないことに対して何か思うところがあるのかな。知らんけど。
電話がだめでも、直接連絡を取る方法はあるだろうに。所詮は蚊帳の外、か。蚊帳の外でいてくれなければならないんだろうきっと。どうしているのかわかってしまったら話すことすらないとか、修羅場になるのがわかってるとか。
第一、最後に会ったのがいつかすら思い出せないうえに、母は怒り狂って人の意見も聞かずに居座るとか何とか言い出すわ、兄は陰陽師と風水にはまって「掃除しないと不幸になるぞ」とか言ってくるわ、父に至っては最後に面と向かってしゃべったのがいつかすら思い出せないわ、ろくでもない人格を見せつけてくれているので、そういう人に心配されてもへえああそうですか今更ですけどね、としか思わない。

・同じくらいの年齢になればわかる。
え、同じくらいの年齢になれば、家族の入院中に不倫することとか、娘の結婚の両家顔合わせに娘本人を不在にさせることとか、自分の入院中には家族に寄り添ってもらうこととか、家族と話をすることとかの気持ちがわかるってことですか?
わかりません。年を重ねるとかそういう問題ではなく、自業自得だと思います。

・がんばれ。
私はすでにがんばっています。機能不全家族からの負の遺産を引き継がないように、うつ病になってまでがんばって生きています。知らないだろうけど。聞きもしないけど。


許す、という行為が求められているのはわかるし、一般的な家族だったらすぐさま見舞いに行って孫の顔なんかを見せたりするんだろうなということもわかる。
でもしない。やりたくないから。やることによって私が幸せになれるわけではないから。

自分の話ばかりを延々と垂れ流す、という行為が強制できない人たちだということはよくわかった。そして、その人たちに対して自分のことをわかってほしい、という欲求を一切持ち合わせていない。ああ可哀想だなあとは思うけれど、だから自分がなにかやろう、という気持ちになるほど、私にとって大事な人たちではない。
なにも求めない。強いて言うなら、私は死んだものとして扱って欲しい。

うんざりなんだよ、どうでもいいひとに時間や体力や精神力を奪われるのは。

家族を大事にしないのはおかしい?
そうだろうね。大事にしようと思えるような家族じゃないもんね。みんな自分のことと世間体しか考えてないもんね。


不穏なのは、母は父とは違うことを思っているようだ。私がこんなにしてあげているのに、と。ああそれ読んだ。「毒になる親」「不幸にする親」に書いてある毒親そのまんま。
なので、毒親とはゲームはしない。同じ土俵には上がらない。法的に最低限必要な手続きは致しますが、それ以上は何もしないしさせない。

あなたたちと世間一般に理解されなくても、私は私の家族と楽しく暮らしています。かしこ。


あ、そうそう、そういえば今日はSSRI飲み忘れていたのだよ。でも動悸はしなかった。おおこれすごい。ストレスコーピングうまくいっているよ!すごい!

2013年6月23日にpomeramで書き殴った日記

多分これを書いた時点では精一杯強がって自我を保っていた。それから数ヶ月後、父が亡くなって49日の法要が終わるまで、ストレスからの動悸で抗不安薬が手放せない日々が続いたのは、また、別の話。


ちなみに、産後うつの話はここでしている。
いい親になりたかった、だから頑張りたかった。機能不全家庭への思いに蓋をして、腐り切った自分の思いを無視しながら強がって頑張った結果の産後うつだと思っている。
このnoteを読んでから改めて聴いてもらうと、この時点でさえまだ強がって痛々しいな、ということが丸わかりかもしれない。


感情の整理はまだまだ続く…。

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