感動と歴史、演技と歴史

ブックオフのCMを見て、「その芝居じゃ同情を買えないわ」って言ってるのを見て、ふと芝居や演技ってなんなんだろうなって思いました。

「芝居や演技ってなんだろう」といっても「芝居とは」という定義や「良い芝居」とはという芝居論ということは語れません。全然わからないので。

ただ、CMの一点のうまい芝居は感動できないけど、ドラマの芝居は感動するなぁっていう違いだけは感じまして、そこについて思いを馳せました。

CMの芝居で感動したことだったり、「うまい芝居だな」と思ったことないんですよね。芝居を独立して測る審美眼を持つ役者さんとか同業の人は学ぶものとか感じるものは多いと思うんですが。
生活を切り取ってるので普通に見えたり、あまりにも大げさにやってると臭いって思っちゃうんですよね。

それをドラマでやってるのを見ると、感動しちゃうんですよね。

CMは短くて、ドラマはその人の役柄を知ってるからとか言えると思うんですが、大枠で捉えると感動できるかどうかには「歴史を共有している」ことが大きい影響を与えているように思います。

歴史についての所感についてはこちらに書いたので、興味ある方はご覧ください。

感動させるバックグラウンドが用意されていて、観る側がばっちりそこに埋まっている、長い時間でその状況が肌に馴染んでいる状態で、見せ場があるときに感動しちゃうんですよね。
ここで言う見せ場は、決断とか裏切りとか、賭けられた歴史の積み重ねが報われるとか、なくなるとかそういった場面です。

多分これを感情移入っていったりとか説得力っていうんでしょうけど。

なので、知らない名映画の良い芝居を1シーン見ても、歴史を共有できてないので、感動できないどころか、「だから何」って思っちゃうこともよくあると思いますし、短いCMでも、よく見知ったシーンや誰かが出てるのを見ると胸アツになっちゃうのもそういうことかと思います。

ここまで話すと、感動させる芝居の要素はは芝居そのものじゃなくバックグラウンド設定にあると言えそうですが、半分当たっていて半分そうじゃない部分があります。

感動にはバックグラウンド、つまり共有する歴史が大いに影響するんですが、その歴史に耐えられる芝居が必要とされるわけです。

最近見た芝居がかったものでいうと私にとっては半沢直樹ですが、見せ場では歴史を背負った特有の登場人物が、特徴のある話し方(声量・声の高さ・話す速さ・間のとり方・声色)や動き(表情・身振り)で話せないとだめなんです。
極端に言うと老獪な日本の敏腕経営者を10代ギャルが棒読みで演じてはだめなんです。その場に合う演技や人物像の形成ができないとだめなんです。

バックグラウンドとそれに耐えうる芝居があって初めて感動できるんです。

めっちゃ当たり前のことを話しててすいません笑

朝起きてCM見たらこの思いがひらめいて、定期的にこれ思うのでまとめました

おしまい。

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