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東京ミッドタウン公演を終えて

写真:Kazushige Yamamoto

先般、3月25日に、瀬戸内サーカスファクトリーにとって初めての東京公演が、東京ミッドタウンにて開催されました。

東京ミッドタウンにはさまざまな公共アートが配置されており、その中に、彫刻家・安田侃氏の「意心帰(いしんき)」と「妙夢(みょうむ)」があります。
実は、田中は2003年に札幌と美唄で開催された「安田侃の世界~天にむすび、地をつなぐ」展の北海道新聞社側の運営担当だったことから、ご縁が繋がっておりました。

このたび、東京ミッドタウン・六本木未来会議が、初の試みとして、公共アートとパフォーマンスを融合させた「ROPPONGI STREET THEATER」というイベントを開始し、その第一回目のパフォーマンスとして瀬戸内サーカスファクトリーを呼んでいただいた次第です。

「ヨーロッパの街角のように、彫刻が生活に入りこんでほしい」

最初にこの話をいただいた時、この企画が安田侃さんと東京ミッドタウンの間で生まれたアイディアであること、侃さんが(ご自身も長年住んでいらっしゃるイタリアのように)ヨーロッパの街角のように、彫刻などのアートが一般市民の生活の中に自然に入り込んでいてほしい、という思いを持たれていると伺いました。

「公共空間」というのは、自分にとっても、大きなテーマです。
侃さんの作品と、ミッドタウンという場所を思い描き、
かつ、侃さんが何十年も大切に手掛けてきた、北海道の「アルテピアッツァ美唄」とミッドタウンの景色を、脳内で融合していました。

侃さんの作品には、タネとも、卵とも思える、母の胎内を思わせるカタチがしばしば登場します。
また、そのような形に開いた「穴」も、しばしば現れます。
その穴と卵は、見えない時空のトンネルで結ばれているようです。

そこから、ミッドタウンの作品「意心帰」の穴がある日時空の開口部になり、東京と美唄の森が繋がってしまう、というストーリーを考えました。
その穴から、にょき、にょきと、芽と根が上へ、下へ、左右へと、ぎゅううーーーーっと引っ張り合いながら出てきます。
ふるさとの森はどこ?

求めて、求めて、地上への上がります…

改めて、この侃さんの「意心帰」のシーンは、真に彫刻と対話できた、皆にとって幸せな時間でした。
もっともっと対話したい、と思わせてくれたけれど…またそんな機会がきたら嬉しいですね。

写真:Kazushige Yamamoto

実際の公演運営

天候に恵まれず、リハーサルから昼・夜、2回のうち、当日昼までは雨で、寒く、風が強く、サーカスにとっては非常に過酷でした。

大都会の公共空間はさまざまな制約があり、設営やリハーサルの時間帯が一般の方の少ない時間に限られたり、セキュリティが何重にもありました。
かつ、私たちはサーカスです。常に安全管理には十分に気を付けていますが、受け入れ側にとっても、一体、実際何がどう展開するのか、想像しにくいことが非常に多いので、初めての場合は受け入れ側と実施側の”対話”が成り立たないことはしばしばです。(今回に限らず、公共の場を使う現代サーカス公演は、いつもそうです。ただ、程度は場によってかなり違います)

シルホイールという鉄の輪の床演技は雨で滑ったり、エアリアルには危険なほど風が強かったり、その中で判断し、
できることを、できる範囲でやり切った、という感じでした。
十全の演技を見せられなかったという思いは演者に強く残ったでしょうし(彼女たちの稽古の真剣さをみれば、それがいかに悔しいか、痛いほどわかります)
プロデュース側の自分も、やはり「もっと良くできなかったのか」という後悔は残りますし、コンセプターとしては、表現しきれなかった悔しさというのも、もちろんあります。

それでも、東京の中心地の公共空間に、広い範囲を使う現代サーカスを登場させることができたことは、とても大きな成果だったと思っています。

公共空間でのイベント実施の、さまざまな壁とは。

自分ももともと新聞社の事業局で、大型の花火大会の担当などもやっていました。地方とはいえ、年に一度の、地域最大の花火大会となれば、とんでもない人出がありますし、火の粉が振ってくる、群衆が集中する、など、実際に危険なことが山ほどある、難しい現場でした。(自分が担当したのは川と海を使う、三尺玉と川を横断する100mのナイアガラ花火などがある大きな大会だったため、半年間、警察、消防、海上保安部、3つの漁業組合、市の港湾部などを、許可申請や説明のためにぐるぐるぐるぐる…回った記憶があります。)
瀬戸内サーカスファクトリーを立ち上げてからは、サイトスペシフィックが身上という団体になったので、12年間、とにかく色々な公共空間やユニークベニューで公演をやってきました。(同じ会場で行ったことはほぼ皆無!)

国定の施設で行った時の困難さを知っていたので、今回の東京ミッドタウン公演の”大変さの度合い”は、想像がつきました。
が、具体的な手続きや運用については、話合いの中でようやくわかっていく、という感じで、正直予想がつかなかった部分が多くありました。

ですが!言いたいことは、大変だった、ということではないのです。
大変なのは当たり前で、お互い初めてなら尚更です。
そこで「現代サーカスをやってほしい」と思ってくれたことが画期的だし、私たちの存在を提案してくれた安田侃さんに対しても、今後の現代サーカスのためにも、絶対に失敗できない、と思いました。
私たち瀬戸内サーカスファクトリーの、というより、現代サーカス文化にとっての成果であってほしい、と心から思っています。

切り拓く~印象に残った場面。

ずーっと続いた雨と風が、ふとおさまったのが、3月25日の1回目・昼公演が終わったあと。
ふと、台風の目の中に入ったような、不思議な空気でした。
温かいような、安心するような、非現実的な空気でした。

「妙夢を通るルートに変更します」
雨があがったら、侃さんの2つめの作品、地上の屋外設置作品である
「妙夢」に出逢えるルートを通りたいー、それは皆の思いでした。
ただ、稽古日程の間、ずっと雨が続いてしまい、妙夢での稽古はほとんどできませんでした。
それでも、時空のトンネルなので
「通る」
ことが、とても重要でした。
下からのびてのびて、上がってきた木の芽たちは、ここで大都会と出会うのです。

その後は、マジカル。
音楽の曽我大穂さんは、たとえ大都会でも、田舎でも、室内でも、屋外でも、無限の広がりと、その中での人々の集結の両方を作れる、稀有な才能の持ち主です。

この企画をいただいて、地下の「意心帰」と地上の「妙夢」をつなぎ、最後は「キャノピースクエア」で都会の森に出逢うのです。
そこまでの”行進”が、とても重要でした。

そして、果たして、
確かに、そこに、ハーメルンの笛吹きの行列ができ、そのパレードには、通りすがりの人も、地下からきた観客も、音に惹かれて寄ってきた物見遊山の人々も、本当の中世ヨーロッパのカーニバルのように、雑多な群衆となって移動を始めました。
「完璧にコントロールすることが求められる場所」では、たとえ一瞬だったとしても、ふさわしくないことかもしれませんが、
妙夢からキャノピースクエアまで、時間にすればほんの3分ほどの出来事。
その時確かに、一番見たかった景色が見え、聴きたかった声が聞こえてきました。

人は機械じゃない、生きてるんだ、自由意志があるんだ。
こんなに規則が多い場所、こんなに気をつけなきゃいけない場所で、確かに自由を感じた瞬間でした。

おうちに帰ろう

実は…
この公演のストーリーは、最後、
木々たちが、遠くからふるさとの森が呼んでいる音に気付き、新しく出会えたこの場所に思いを残しながらも、
故郷へ、駆けながら去っていくところで終わります。

このメッセージは、普通のハッピーエンディングじゃないかもしれないけど、自分にとっては心からの思いで、
瀬戸内から、東京に来て公演をする意味を考えていたときに
「みんな、おうちに帰ろう」
という言葉が浮かびました。

短い間だけど、私も東京に住んでいたことがあります。
ほとんどの人は、ふるさとが別な場所にあるんじゃないかな?
東京も良い街。
だけど、たまには
「おうちに帰ろう」

って伝えたかったのです。

寒い中、観に来てくださった皆様、お世話になった皆さまに、改めて御礼を申し上げたいと思います。


写真:Kazushige Yamamoto


瀬戸内サーカスファクトリーは現代サーカスという文化を育て日本から発信するため、アーティストをサポートし、スタッフを育てています。まだまだ若いジャンルなので、多くの方に知っていただくことが必要です。もし自分のnote記事を気に入っていただけたら、ぜひサポートをお願い申し上げます!