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世田谷人に愛された「世田谷百貨店」に最後のお別れをする

2024年2月29日。
世田谷線・上町駅にある世田谷百貨店が閉店した。

2018年9月にオープンしたときから閉店するその日まで、家族でお世話になった大切なお店。

我が家が引っ越してきたタイミングと世田谷百貨店のオープンが同時期だったこともあり、勝手ながら「我が家の世田谷での歴史は世田谷百貨店とともにあり」と思っている。

2022年の年末、店長が前任のマイさんからヂャユンさんに変わる時にはお二人にインタビューをした。強い絆、それぞれの想い、お客様へ向けた気持ちなど、とてもたくさんのものを受け取った。

今でも私にとって大切な記事。

そしてその時から、次は新店長としてのヂャユンさんにお話を聞きたいと思っていた。
今回はインタビューではないけれど、ヂャユンさんが新店長になった2023年1月以降のことを、私の記憶を呼び起こしながら書き留めていこうと思う。


アナタが進むと決めた道

2023年が始まり、ヂャユンさんが新店長に就任。
マイさんがいなくなり、新しいスタッフさんが一気に増えた。

我が家にとっての世田谷百貨店は、よく知る笑顔が迎えてくれる安心感ある場所。でもある日、ほとんどが新人スタッフさんの時があった。いつもと違う雰囲気に私は少し緊張した。

そこへ、事務所で打ち合わせを終えたヂャユンさんがやって来た。

いつも通りのニコニコ顔で挨拶をしてくれた後、私にこう言った。
「今日はほとんど新人さんなんですけど、皆しっかりしてるからすでに安心してお店を任せられるんですよ」

ヂャユンさんはおそらく、ただ思ったことを言っただけ。でも、この言葉を聞いたスタッフさんはとても嬉しかっただろうし、聞いていなくともその気持ちは必ず伝わっている。

新人だからと心配するのではなく、信用する。
きっとこれが店長としての方針、彼女が進むと決めた道だ。

一方で、お客である私もとても安心した。
これからも変わらず、同じ気持ちでここへ来ていいのだと。

ヂャユンさんは、世田谷百貨店へ集まるスタッフのこともお客さんのことも信用しているのだと気付いた。
人を信用できるのは、すなわち自分を信じているから。
ヂャユンさんの笑顔の奥にある強い気持ちと決意を見た気がして、とても印象に残る日だった。

その日、初めましてのスタッフさんを紹介されたけど一回で名前は覚えられなかった。でも、それから閉店するまでの間に、私たち家族にとってとても大切な人たちになった。

「真ん中は店長でしょう」と話している
最後のほうは、この3人にお会いすることが多かった

娘の憧れ あづきちゃん

我が家がよく行く曜日とシフトの日がたまたま重なっていたからなのか、あづきちゃんと顔を合わせることが多かった。

服飾の仕事をしているとのことで、あづきちゃんはいつも自分でアレンジした洋服や帽子、アクセサリーなどを身につけていた。そのキラキラ具合が娘の心にズキュンと刺さったらしい。

人懐こい笑顔と喋り口調のあづきちゃんを、娘はすぐに大好きになった。彼女もまた、娘のことを小さいお友達として接してくれた。

お仕事の関係で、世田谷百貨店の閉店より1ヶ月早くお店を辞めることになったあづきちゃん。最終日に会いに行くと「今日会えたら渡したかったの」と言って手作りのシュシュをくれた。

『かわいいものを自分で作れる人』として、もはやあづきちゃんは娘の憧れの人。そんな人からもらったプレゼントは、娘の宝物になった。

その宝物…。モノトーンでオシャレなので、許可をもらって時々私もお借りしている。


髪の長い さちる君

彼もあづきちゃんと同じように、私たちが行く曜日にいることが多かった。

珍しい名前なのでなかなか覚えられない。でも段々それがネタになり、行くたびに名前クイズを出され、やっと覚えることができた。

生まれた時から天然パーマの娘は、さちる君のさらさらストレートロングヘアに憧れを抱いているようだった。
でも彼はある日、そのきれいな髪にパーマをかけた。娘の憧れはその時点で幕を閉じた。

それを察知したのか、娘に会うたびに「ほら、髪の毛がおそろいだよ〜」と声をかけるように。
『自分がお金をかけて手に入れた髪の毛を、アナタはすでに持っている』というアピールが娘の心に届いたのだろうか。さちる君とおそろいの髪型もまんざらではないと思い始めたようだった。

また、カメラの勉強をしているさちる君は、夫とよくカメラの話で盛り上がっていた。マニアックすぎて私には何のこっちゃだったけど。
最後には、夫が使っていた1台のカメラが彼の元へお嫁に行くことになった。

誰からも愛されるさちる君が、あのカメラでたくさんの笑顔を捉えているといいなと、静かに願っている。


皆が大好き りんちゃん

前店長マイさんとヂャユンさんに次いで長くお店を支えてきたのが、イラストレーターであり、カメラの仕事もしているりんちゃん。

初めて会ったのはたしか、りんちゃんが高校を卒業したばかりでまだ10代(!)だった。とても緊張した面持ちで、とにかく一生懸命働いていた姿をよく覚えている。

ある日、娘が頼んだドリンクカップに似顔絵を書いてくれた。娘はそれはもう嬉しそうだった。

そんなイラストレーターの力を発揮して、世田谷百貨店新聞が作られるようになった。かわいいイラストが載った新聞を、娘は一生懸命楽しそうに読んでいた。

いつの間にか、りんちゃんはお店の顔とも言うべき存在になった。

多くの子どもが「りんちゃんに会える」世田谷百貨店が大好きだった様子。りんちゃんがいなくてガッカリしている子どもたちの姿をよく見かけた。

でもそれ以上に、会えた時の喜びが爆発している笑顔もよく目にした。


他にもスタッフさんはたくさんいた。
お喋りする機会は少なくても、皆ニコニコしながら親しみをもって接してくれた。この雰囲気こそが、世田谷百貨店を他にはない唯一無二のお店にしていたように思う。

チャーミングなヂャユンさん

ある日、娘はヂャユンさんにキティちゃんの人形をプレゼントした。マックのハッピーセットのキティちゃんを1体もゲットできなかった、と聞いたから。

早番で仕事を終えていたヂャユンさんは、ものすごく喜んでその場でリュックにつけた。そして、これから友だちと何かの『推し活』へ行くと言って、ノリノリでキティちゃんと出かけて行った。本当にチャーミングな人だ。

多くの人にこんな感じで接していたので、子どもからお年寄りまで、言葉どおり老若男女に愛されていた。

仕事が忙しすぎるヂャユンさんの息抜きは推し活だっただろうけど、世田谷中に『ヂャユン推し』が存在していたのではないかと思う。
そして、今もなお『ヂャユンロス』は続いていると推測する。 

子どもの些細な疑問にも、いつも優しく答えてくれた

守護神が走ってきた日

2024年の1月末。

いつものようにお茶をしてお店を後にした私たち家族を、ジャユンさんが追いかけてきた。青信号の点滅をものともせず、私の名前を呼びながら長い横断歩道をダッシュしている。

「本当にすっごい走る!」と思って笑ってしまったけれど(是非インタビュー『スニーカーを履いた守護神』欄を読んでいただきたい)、その時に閉店を告げられた。
数日後にSNSで閉店を発表するから、その前に常連さんには自分の口から伝えたいという、ジャユンさんらしい配慮だった。

あまりに突然のことで、体が冷えていく感覚がした。同時に、来るべき時が来たような気もした。

ジャユンさんの目をまっすぐ見たら涙が出てきてしまう。でも、彼女が申し訳なさそうな悲しそうな、でもどこかスッキリしたような表情で微笑んでいるように見えたので、私も最後の日まで笑っていることにした。 


閉店を知ってからというもの、普段よりも少しだけ多めに世田谷百貨店へ行った。娘は時間があればスタッフの皆に会いたがり、ヂャユンさんにせっせと手紙を書いた。カメラ好きな夫はできる限り写真を撮って思い出を残そうとした。
ここに載せたほとんどの写真がそうだ。

手紙を渡したら、涙を浮かべて喜んでくれた

フタをした思い出

それなのに、私はというと。
ヂャユンさんにもスタッフの皆さんにもオーナーさんにも心残りなくお別れの挨拶をしたつもりだったのに、閉店の日を境に、世田谷百貨店の思い出にフタをした。

直視したら、どこまでも悲しくなってしまう気がしたから。

でもやっぱり、ヂャユンさんたちがくれた世田谷百貨店の思い出をきちんと書き残したい。
2ヶ月経ってやっとそう思えるようになった。

そうして書き始めてみたら、書きたいことが溢れすぎて違う意味で戸惑った。でも、フタをして見ないようにしていた思い出はきちんと私の中にあって、大切な歴史となり糧となっていることを知ることができた。

ここで過ごした時間、ここでもらった優しさや温かさは、私たち家族だけでなく世田谷の人にたくさんの幸せをくれた。その事実は、お店があってもなくても変わらないし、私たちの心にしっかりと根を張っている。
その幸せのエネルギーは、きっとまた誰かを幸せにする。

あぁ、これでやっと本当にお別れができる。
たくさんの笑顔をくれた世田谷百貨店に、心の底からありがとう。
そして、さようなら。

最後は、ヂャユンさんが毎回くれていた言葉で。
「いってらっしゃい!」

娘へ向けられた、最後のバイバイ

[写真 : Masayuki Nakano 文:Marie Amano

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