【十八番な人 #1: アリク 廣岡好和さん】「また来ます」の言葉の意味を深く考えさせられた話
こんにちは、天野です。
世田谷区・松陰神社前駅にある「共悦(きょうえつ)マーケット」という名のアーケード。
2021年10月、多くの人に愛されながら、建物の老朽化を理由に62年の歴史に幕を下ろした。
とても小さいアーケードだけど、軒を並べるのは個性的な名店ばかり。
私が松陰神社という街を好きになったのは、この共悦マーケットがあったからと言っても過言ではない。
間接的に陽が差し込む、アーケード特有のほんのり薄暗い空間。そこに夕暮れが重なると、その場所一体がグレーオレンジの優しい色に包まれて、それはもう素敵だった。
マルショウアリクというお店
アーケードの一角にあったのが、硴(かき)とおばんざいとお酒のお店・マルショウアリク。
共悦マーケットが終わる最後の瞬間まで営業を続けた店舗。
アリクは62年の歴史の中では新参者かもしれない。でも、だからこその責任を以て、その場所に最大級の賛辞と感謝、そして別れを告げているようにも見えた。
そんなアリクの店主、廣岡好和さん。
硴屋さんだけど、時々ギターを持って歌っているのも見たし、松陰神社という街に色んなイベントを仕掛け盛り上げている陰のキーマンとも聞いた。
『松陰神社商店街にアリクあり』だった。と、私は思う。
最近の廣岡さん
共悦マーケット閉幕後は松陰神社の街にスパッと区切りをつけて、全く違う場所へ行く予定だった。
でも、巡り合わせとは不思議なもので、現在は松陰神社にほど近い若林という場所で期限付きアリクを再開している。物件の関係で、2024年春頃に閉める予定なので残りは8ヶ月。
そんな今のタイミングで、私は街中で3回連続して廣岡さんに遭遇。こんな奇跡はなかなかないと、3回目の遭遇時にノリと勢いでインタビューを申し込んでしまった。
廣岡さんは少し驚いた表情をしたすぐ後に、「ちょうどインタビューを受けたい気分だったからいいよ」と快諾。
「そんな気分の時ってある?」と思わず笑ってしまったけど、これぞアリク節。よき。
インタビューの中にも数々の名言が散りばめられていたので、それらを元に廣岡さんの人となりを追いかけてみたい。
ちなみに私は、ほとんど話したことがないのに、陰で廣岡さんを「アリク兄さん」と呼んでいた。インタビュー中にご本人にもそう呼びかけたので、ここからは敬意と親しみを込めて「兄さん」と記していこうと思う。
今ここで起きていることが、何より一番面白い
現店舗での営業が残り8か月となった今、兄さんは新たに2つの試みを始めた。
1つは、Spotifyという音声メディアでトークを流すこと。
内容はあえて決めない。
ゲストを呼んだトークセッションや、テーマを決めて語ることもできるけれど、それよりも兄さんにとって一番面白いのは「今お店で起きていること」。
今ここで起きていることが最高で、それ以上に面白いことはない
だから、目の前で繰り広げられるトークを急遽録音したり、時々突然歌ってみたり。
そんな『今』の瞬間の空気感をそのまま切り取って届けることにした。
「本当はお店で話すのが一番だから、皆ここへ来てくれればいいんだけど」兄さんは言う。
でも来てくれないんだったら、仕方ない。
それでいじけているよりも、この場にいない人にもここの楽しさを感じてもらおう。
こうして始まったSpotify。
その日その瞬間の一期一会な出会いから生まれる会話が、兄さん視点で切り取られ頻繁に更新されている。
知らない人たち同士なのに、誰かの話に聴き入ったり、突然爆笑したり、異常に盛り上がって乾杯したり。その生々しいライブ感が、あぁ今を生きてるな、と右脳を刺激されている感覚になる。
「また来ます」は、本気の時しか言わないで
新たな試みのもう1つは「また来ますカード」
お金を介さずに行う新たな価値の交換。
・お客さんが帰る時、また来ますカードに好きな言葉を書く
・カードを持って再び来てくれたら、兄さんからギフトをもらえる
→ギフトは、弾き語り/悩み相談/人の紹介/運転手…など自由にチョイス可
心を交わす素敵な取り組みだと思い、どんな未来を思い描いてこのカードを始めたのか聞いてみたところ。
「お客さんから『また来ます』という言葉を浴びせられる自分が気の毒だったから」
おっと、まさか過ぎる答え来た。
共悦マーケット閉幕=松陰神社アリクの終了は、その2年半前に知らされた。
それからというもの、皆が「残念」「寂しい」「悲しい」など色んな気持ちをくれて、「また来ます」の言葉も何千・何万回と浴びせてくれた。泣きながら飲み続けた人もいた。
でもさ、と兄さんは続ける。
その「また来ます」、俺は全部信じてるからね。
皆、社交辞令のように言うけどさ。
そんな大袈裟な、と思う人もいるでしょう。でも兄さんは、楽しい時間を共にした相手との会話や嗜好はほとんど覚えている(!)という驚異的な記憶力の持ち主。
その「また来ます」を元に、あの人はこれが好きって言っていたな、あの子そろそろ来るかもな、などと予想して仕入れや仕込みしている。
そして、その予想はだいたい外れる。
こんなことを繰り返し、兄さんにとっていつしか呪いの言葉と化したので、皆の「また来ます」を一旦カードに託すことにした。
「キミのこと、俺に忘れさせてくれ」と。
そんな兄さん。カードはお客さんの自由意志、と言いながら、最近は自分から渡しているそう。
「今日の俺たち楽しかったよね。きっと帰り際に『また来ます』って言うよね。だったらその前にカード渡しておくね」と。
そんなやり取りをしたお客さんのことは結局覚えているでしょう、と思ったけれど、それも含めて兄さんらしい気がした。
はっきり言って、俺のは次元が違うから
兄さんは一度見たら忘れないほどに強い目力の持ち主。そして、常にポーカーフェイス。
最初は、人にあまり興味がない、もしくは他人には一定以上踏み込まないことにしている人だと思っていた。
でも、少し話してみると印象が全然違う。やっぱり表情はあまり変わらないけど、細かい話までよく覚えているし、相手のちょっとした表情の変化をさっと読み取る。
それに加えて、新たに始めた2つの試み。
ここまで来ると、皆さんもそろそろ思いませんか。
兄さんってものすごく「人」が好きだよね?って。
それを伝えたところ。
「そうだよ、それしかない。でも俺の『人が好き』は 皆と次元が違うから」
まるで、全人類に対する愛の告白みたいなお言葉。
こんな言葉をサラッと、でも相変わらずのポーカーフェイスで言えちゃうあたりが、兄さんという人の面白さであり、魅力でもあるのだなぁと思う。
私も自分のことを「人が好き・人に興味がある」と思っていたけれど。
全人類への告白を聞いたら、自分はまだまだだと思った。
全ては終わる、だから今を誇張する
最後に聞いたのは、私がずっと気にかかっていたこと。
『ここまで人や場所を大切にする人が、共悦マーケットがなくなること・松陰神社の街を離れることをどう受け止めたのか』
珍しく一瞬考え込んだ兄さんは「終わると知った瞬間の気持ちに立ち返ることはもうできないけど」と言いながら、こう続けた。
「どこかホッとしたんだよね」
共悦マーケットは、大家さんのご年齢、建物の老朽化、自分のビジネスの才覚、いずれかの理由でいつかはきっと終わる。心のどこかでずっと覚悟していた。
だからこそ、いつか終わるための準備として、常に今を誇張して楽しむことにしていたのだという。
私の目から見ても、アリクの店舗はいつだってエネルギーが溢れていたし、終わりへと向かっていくアリクは毎晩ものすごい熱量を帯びて輝いていた。
あれは兄さんの想いそのものだったのだなと今更ながら思う。
共悦マーケットがなくなったことを、私はどこかずっと悲観的な気持ちで引きずっていた。でも当事者である兄さんはとっくに前へ進んでいた。
それを知ることができただけでも、今回話を聞けて良かったと思う。
何の因果か、兄さんは今もまた期限付きの店舗で営業している。明確な終わりへと向かっているけれど、それもまた大きなエネルギーにしているに違いない。
終わりがあることは、悲しみでも絶望でもなんでもない。ただ、今を楽しむことだから。
兄さんの十八番
さて。ここまで綴ってきたものの、兄さんいう人をまだまだ理解できた気がしない。むしろ知るほどに迷い込んでいく感覚。
でも明確にわかったこともある。
それは、兄さんが「今」という時間をどれほど大切にしているか。
そして、その瞬間を楽しむ最大風速がとてつもない、ということ。
過去を憂うでも未来を不安に思うでもなく「今を全力で楽しみ尽くす力」こそが、兄さんの十八番なのだと思う。
そのベースにあるのは、目の前にある「今」や未来に訪れる「今」をアナタと目一杯楽しみたい。
そんなまっすぐな気持ちだけ。
Spotifyもまた来ますカードも、そのために仕掛けられたコミュニケーションツールなのだ。
思い返せば、今までインタビューしてきた先達(せんだつ)も皆、過去や未来にとらわれることなく目の前のことだけに力を注ぎ楽しんでいる姿を見せてくれた。
最高の今を紡いでいけば、そこにあるのは最高の未来。
つい余計なことを考えてしまいがちな私に、兄さんはとてもシンプルで何よりも大切なことを教えてくれた。
2,30年後、兄さんは相変わらずの最大瞬間風速でその時を楽しむ、頼もしい先達となっている。
そんな素晴らしき未来が、強い眼差しの先に見えた気がした。
[撮影 : Masayuki Nakano]
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