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私が「海老蔵」と呼んでいた豆腐屋の話

こんにちは、天野です。

「世田谷」「十八番」「先達」のいずれかをテーマに、自由に書いていいと言われたこのnote。

そう言われた昨年秋から、いつか書きたいとずっと思っていた先達、みたいな人。

その昔、私が就職したのと同時に住んだ中央区で出会ったその人のことを、今回書いてみようと思います。

なぜ八丁堀なのか

私が住んでいたのは、日比谷線の八丁堀という駅から徒歩2分の場所。

銀座から3駅行ったところで、築地の隣り駅というと少しイメージがわきますか?
東京駅の八重洲口からも歩いて10分ちょっとの場所でした。

なぜ八丁堀にしたかというと、就職内定後に届いた書類にこう書いてあったから。

『あなたの部署は帰りが遅くなるから、会社に近くて、しかも研修で通うことになる海浜幕張にも行きやすい場所に住んでね(だいぶ意訳)』

その言葉を素直に受け取って、それが両方叶う場所を選んでしまったわけです。
同期の皆は、そんなのお構いなしにおしゃれな名前の街に住んでいましたけどね。

そんな場所に住めるの?

当時から「八丁堀なんて住むところあるの?」とよく聞かれました。
オフィスビルが立ち並ぶエリアなのでその質問はごもっともですが、あるんですよ。

メイン通りを1本入ればアパートもマンションもある。常連客が集う飲み屋さん、街の人が通うパン屋さんに、珈琲が美味しい老舗喫茶店もありました。

そんな街で、私が住んでいたマンションの隣りの一角にあったのが、昔ながらのお豆腐屋さん。

私が会社へ向かう時間には真っ白なお豆腐が湯気を立てていて、濃厚な搾りたて豆乳も売っていました。

温かい豆乳を買い、15分ほど歩いて会社へ向かう。
寒い日はその豆乳で手を温めながら、会社に着いて朝の一杯を飲むのが幸せでした。

こう書くと、とてもハートフルな話っぽいですが。

海老蔵と呼ばれた親父

この豆腐屋の親父さんこそが、私が陰で「海老蔵」というあだ名をつけていた人物。

当時で60歳前後だったと思われる親父さんは、私のイメージの中の『江戸っ子』をまんま絵に描いたような人。てやんでい、べらんめえ口調で、女性を見れば「遊び行こうぜ!」と声を掛ける。

「うちのかあちゃん、怖ぇんだよ」と言いつつ奥様のことが大好きで、娘さんのことを溺愛している。
面長で坊主。まん丸お目々をいつもギョロっとさせている。

様々な観点を考慮しての呼び名。
敬意と親しみを込めて、ここからはあえて敬称なしの「海老蔵」と呼ばせていただきます。

海老蔵に初めて声を掛けられたのは、引っ越して少し経った頃。
「おう、ねえちゃん。最近よく見かけるなぁ」
引っ越してきたことを伝え挨拶すると「この辺の男の家に通ってるかと思ったよ」と言って、言葉通りガッハッハと笑っていました。

それ以来、通りかかるご近所さんに「これ、新しい俺の女」と紹介されて毎度迷惑だったわけですが。
そうして紹介されたご近所さんとはすぐ顔見知りになるので、挨拶を交わすようになりました。

朝早くと夜遅く、会社と家を行き来するだけの殺風景な日々。
そんな毎日に、下町情緒溢れるご近所付き合いの風を吹きこんでくれたのは、海老蔵だったと思います。

忘れられない豆腐の味

海老蔵は季節を問わず、半袖白Tシャツにダボダボズボン、黒いビニール長靴を履いていました。平日は毎日早朝から豆腐作り。
町内会の消防訓練には誰より真面目に参加して、豆腐屋が休みの土日深夜は拍子木を持って火の用心の見回り。
八丁堀の氏神様を教えてくれたのも海老蔵でした。

そうして何年か経った日に起きた、東日本大震災。

震災の翌日に私の顔を見た海老蔵が「ねえちゃん、大丈夫だったか!!」と、ものすごい形相で心配してくれました。
自分だって大変なのに、時間があれば自転車で近所を回り、安全確認もしてくれていました。

いつだったか、会社へ向かう私に「ねえちゃん、食べるかい」と豆腐を1丁差し出した海老蔵。
出来立ての豆腐をパックに入れて、蓋もせずそのまんま。

『今から会社へ行くんだけど…』と一瞬迷いました。でも、朝が早いお豆腐屋は閉まるのも早いし、土日もやっていない。
なかなか買うタイミングのない幻の出来立て豆腐。

ありがたく頂戴し、冷蔵庫にしまうため家へ引き返しました。

時間がなかったので迷ったけれど、醤油を垂らして一口だけ食べたお豆腐。

フワフワで大豆の味がしっかりして、今まで食べた豆腐の中で一番美味しかった。
ものすごく急いで食べたけど、あの時の感動ははっきり覚えています。

それから1年もしない間に、私は結婚を機に八丁堀を去ることとなりました。
夫と挨拶に行くと「俺の女を取りやがって」と憎まれ口を叩きながら、ニカっと笑って祝福してくれたのも良い思い出。

「またいつか豆乳やお豆腐を買いに来ますね!」そう伝えて八丁堀を出ました。

久しぶりに八丁堀へ行った

あれから約10年。
今年の初めに、八丁堀に縁のある友人と久しぶりに会うこととなり、八丁堀で待ち合わせました。

お店はかなり変わっていたけれど、ビルに挟まれた下町の雰囲気はそのまんま。歩きながら「やっぱりこの街好きだなぁ」としみじみ懐かしくなりました。

もちろん海老蔵のお店にも寄りましたよ。

年齢を考えても、お店を畳んでいるか代替わりをしている覚悟はしていました。いや、本音を言えば、あわよくば今も海老蔵がお豆腐を作っていて、豆乳かお豆腐を買えたらと、ちょっぴり思っていました。

でも、そうした覚悟や期待を全部超えて、そこには何もなかった。
店舗兼自宅だったはずの建物は全て壊されていました。

お店をいつ閉めたのか、海老蔵は今どうしているのか。もう知る術はない。
わかっているのは、最後に交わした「またいつか」はもう二度と来ないということ。

その場所を目にした瞬間を思い出すと、今でも下を向きそうになります。

見るのは前だけ

とはいえ、私がそんな感傷に浸ることを海老蔵は望まないでしょう。

海老蔵のおかげで、私は八丁堀ライフを満喫したし、今でも大好きな街のひとつだから。

色々書いていたら、思い出が芋づる式に蘇り。
当時のブログに海老蔵のことを書いた気がしたので探してみたら。なんとありました。
 
これが、当時の海老蔵と私。

毎日遭遇するので、海老蔵に見つからないようにこっそり会社へ向かっていたら「今日はいらねぇのかよーー!」と大声で呼び止められたので、引き返して豆乳を買った。
 
「メロンやるから会社で食えよ」と、いきなりメロンを6等分してそのままスーパーの袋に入れて渡された。ハッキリ言って迷惑だった。

遭遇すると「飲みに行こうぜ」「海に行こうぜ」「ディスコ行こうぜ」もしくは「町内の消防団に入ってくれよ」のいずれかで声をかけられる。
女性消防隊員を募集しているらしい。
 
「海の家の玉子丼ならおごってやるから海行こうぜ」と誘われた。
適当に聞き流していたら「本気だぞ!他の女の子も誘っていいぞ!」と言われ、それが狙いやん!と思った。

・・・まじか。
 
記憶よりも相当癖が強い。
想像以上に絡まれているし、想像以上にひどい対応をしている私。
 
そのブログの最後には、こんなことが書いてありました。

「こんなメロン、会社じゃ食べにくい」と伝えたら「んだよ、面倒くせぇな〜」と言いながら大きな豆腐包丁で小さくカットしてくれた。

「メロン腐るから早く食えよ〜!」と大声で叫んで見送ってくれた。

会社で食べたそのメロンがとても甘くてジューシーで、1日頑張ろうと思えた。

はぁ。無理だとわかっているけれど、もう一度会いたかった。
そして、話をしたかった。

もし先達として話を聞きたいと言ったら、海老蔵はなんて言ったかな。
「おい!人のこと、じじい扱いすんなよ!」と叫んだかもしれません。

そう言いながら、案外真面目に話をして、写真を撮ろうとしたら緊張して硬くなっちゃうんだろうなぁ。

そんな海老蔵にとっての十八番とは。
お豆腐作りはもちろんだけど「ただひたすらに毎日を目一杯楽しむこと」なのかなぁと思います。

ちょっとお節介でだいぶ暑苦しい、でもとんでもなく温かい海老蔵が明るく照らしてくれた日々。

私にはそうした時間があるのだから、きちんと前だけを見て、温かさが循環するような人付き合いや場所作りをしていきたい。改めてそう思います。

きっと記憶の中の海老蔵も「面倒くせぇよ〜」と言いながら強く背中を押してくれるでしょう。
その時には皆さんも、是非ご協力をお願いします。

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