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電車の通過待ち中に考えたこと

最寄り路線では、途中駅で速い電車が遅い電車を追い越すことがある。よくある電車の待ち合わせ、通過待ちというやつだ。急行の通過待ちをしますなんていう案内が流れる。

各駅停車が速い電車をやりすごす方法は2種類あって、一つは、その駅に停車する急行電車を接続待ちするパターン。この場合は、最初に各駅停車が駅に到着して、ドアを開けて急行電車の到着を待つ。急行が到着して、同じくドアを開けて乗降客の往来が生じる。急行と各駅停車は同じホームに停車するので、相互に乗り換えることができる。先に急行が発車して、各駅停車が後から発車する。

もう一つのパターンは通過待ちによってやりすごす方法。ある駅に各駅停車が到着。この駅には急行は停車しない。急行は、各駅停車が停車している線路の横にある通過線を通り過ぎることにより各駅停車を追い越す。ここでは、2つの電車の乗客が相互に乗り換えることができない。急行から各駅停車に乗り換える場合は、この先の急行が止まる駅で急行から下車して、あとからくる各駅停車を待つことになる。

前者は電車同士の接続があり、後者はただ後ろから追いかけられているものを避けてかわすだけなので、微妙に違う。

人と人との会話でも、これと同じようなことが、少なくとも私の中では起こっている。人と対峙するとき、私は会話や意思疎通をきちんと行うことや、自分の意思を相手に伝えること、徹底的に議論することを避け、ただ、相手が自分に感情の発散をするのを終えるのを黙って待っていることが多い。会話の中身などどうでもよくて、早くこの人の発散、感情の吐露が終わってくれないかなと考えているのだ。一見、対話しているように、対峙しているように見えても、ここでいう、電車の通過待ちのように、ただ、待避線で相手が通り過ぎて去っていくのを待っているだけのようだ。そう感じる場面が最近本当に多い。

誰と話していても落ち着かない段階から、誰と話していても感情の電源をオンにしない段階へと推移してしまった。だから、人とのコミュニケーションが楽しくない、重荷だと感じてしまい、一人ですごす時間がどんどん楽になってしまう。すると、内向的な性格がさらに強まったり、独りよがりになってしまうことも増えるだろう。

通過待ちをするならば、できるだけ短い時間が理想的だと思う。

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