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吉川由美(文化事業ディレクター) - 地域の人々が生活から醸し出す不可視な文化、そこに触れる場所としての「美術館」

editor's note
2021年11月にリニューアルオープンした八戸市美術館オープニング展のディレクターを務める吉川由美さんから伺ったのは、公共の美術館という場を通じて地域の営みを知ること、またその地域に住む人々の文化と風景の固有性について。
吉川由美さんは、文化を生み出し、地域らしさを形作っている「人そのもの」に徹底的に光をあてる文化事業ディレクターです。観光コンテンツとして知られるような地域文化や食文化、地域の風景にも、それらのすべてに地域の人々のリアルな生き様が染みついているのです。私たちが地域を訪れることによって目の当たりにして、真に感動するのはそのような人々の強さや美しさなのかもしれません。

表紙画像:©KOSUGE1-16 「インバウンドおじさん」


美術館を通して「地域の営み」を知る

まちは何でできているかといったら、人でしかありません。その人々がつくる文化や風景が固有の魅力を生み出します。震災の津波でほとんどの家や建物、それに伴う風習などが失われた地域がありますが、それでも、人さえいればまちは続きます。人々の営みこそが地域の資産で、それをまとめたら百科事典クラスの分厚い本ができるし、世界の人がそれを見たら、暮らしの中に豊かな文化が共存していることにびっくりすると思います。

ですから美術館は、訪れる人にとって、地域の人が生活から醸し出す不可視な文化に触れる場所でもあってほしいと思います。八戸市美術館のオープニングを飾る企画展「ギフト、ギフト、」では、過去から未来へ、人から人へと巡る「贈与=ギフト」、これまでの社会で求められてきた価値とは異なる豊かさをテーマに、アーティストたちが地域でのリサーチから作品を展開しています。

©田附勝「decotora

例えば、写真家の田附勝さんが撮影したデコトラ(デコレーショントラック)のですが、これも八戸の人々の営みから生まれた大切な文化です。高速も冷凍車もなかった時代、新鮮な状態で届けようと、ドライバーたちはトラックに八戸で獲れた魚を満載して、寝ずに走りに走りました。そして、築地に入る前にはトラックをきれいに洗車したらしいんです。そんなピカピカの真っ赤なトラックが築地に到着すると、「来た、来た、八戸からいい魚積んできたぞ」とユニック待ちのトラックの行列の先頭にぱっと入れてもらったという話を、ある方からお聞きしました。こんなトラックの運転手さんがいたから「魚のまち八戸」というブランドがあるわけで、私はこの話を聞いたときに、ハッとしました。何か特別な人じゃなくて、そうやって地域の毎日を営んでいる人たちがやってきたことが、その地域を作っていくんだということに改めて気付かされたんです。美術館を訪れる人に知ってもらいたいのは、このような人々の営みの中に育まれた美しさなんです。今回の田附さんの作品には、それが見事に表現されています。

地域におけるギフトの循環

今、社会はいろいろな課題を抱え、その問題と日々向き合っている人たちがいます。医療の現場、福祉の現場、教育の現場、それぞれが目の前にある逃れられない問題をどうにかするために四苦八苦している。

他方で、美術館というと、何か日常生活からは遠く、ハードルが高いイメージがあるかもしれません。現実世界は課題だらけなのに、美術館はそれとはまるで無関係に、限られた人だけがアートを鑑賞する場だというのは、ちょっと違うような気がして。美術館はもっと福祉や医療と繋がって、インクルーシブに地域が抱える課題に一緒に向き合う存在であってほしい。問題を抱えていたり、社会に対して疎外感を感じているような方でも、美術館に来ると一瞬でも “人生” を生きる豊かな時間を取り戻せる。そんな場所であってほしい。それを可能にするのが、アートの持つ大きな力だと思っているんです。

八戸市には300年続く「八戸三社大祭」があります。八戸三社大祭は、重要無形民俗文化財やユネスコ無形文化遺産に指定される文化資源ですし、毎年多数の観光客を呼び寄せる観光資源でもありますが、「ギフト、ギフト、」が光をあてるのは、八戸三社大祭が地域にもたらすギフトの循環です。八戸の市民が何十年何百年とやってきたお祭りには、人々の互助・共助が詰まっています。災害や分断、病気や孤独が絶えない社会の中で、人々は助け合ってそれらを乗り越えてきた。三社大祭は、強固な地域コミュニティ、そして多様性を認めあう文化を育んできました。祭りは、利他の心、孤独からの解放といった目に見えないギフトの循環を生み出します。目には見えにくいし、あまり数値化されていないけれど、地域コミュニティの中で育まれた関係性は、多面的なセーフティネットとなっていて、ソーシャルコストを減らしている。その価値を理解し、評価している人は実はすごく少ない。ソーシャルコストの低減化も経済価値なのに、そこが見落とされていることは危険なんじゃないかと思います。美術館はアートを通じてこういうところにも光をあてる存在であってほしいと思います。

地域文化を支える場はこのように多面的な役割を担っており、ひとりひとりの人生を輝かせる力をもっている。今、地域文化はインバウンド観光向けの絶好のコンテンツとして、地方創生の起爆剤であるかのように注目されていますが、どれだけ集客できたかというような表層的な値踏みをしている限り、地域文化を支える人たちは搾取され疲弊するだけではないでしょうか。「ギフト、ギフト、」の一部屋では、KOSUGE1-16による大型立体作品 “インバウンドおじさん” が、無目的に虚な目つきで淡々とインバンドか否かを判定し続けます。無意識のうち何かを判定していく指標、そしてそれを無自覚に受け入れる無関心・無関与の危うさを、ユーモラスに、かつ痛烈に突きつけてきます。

地球規模で様々な問題が起きている今、世界中の皆が、どうやったら解決していけるか、人間にとって幸福な道とは何かを考えています。そんなグローバル規模の大きな問題をローカルな目線から問いかけているのが「ギフト、ギフト、」です。訪れてくれた人が、目に見えない八戸の豊かな地域資産の存在と、そこに忍び寄る危機を感じていただく場になったらと思います。

吉川由美(文化事業ディレクター)
コミュニティと地域資源、文化芸術、観光、教育、医療、福祉などをつなぎながら、地域に活力と新たな価値を創り出すべく仙台を拠点に活動している。八戸ポータルミュージアムはっちで、2010年からアートプロジェクトのディレクションを手がけてきた。八戸市美術館のオープニング展「ギフト、ギフト、」ディレクター。南三陸311メモリアル(2022年10月開館)の展示ディレクションを担当。

八戸市美術館
青森県八戸市大字番町10-4
八戸市美術館開館記念「ギフト、ギフト、」
https://hachinohe-art-museum.jp/exhibition/963/

第三章 地域文化の固有性 - 考察
地域文化の固有性 - その地域ならではの豊富な文化が存在し、その価値に触れられる状態にある

第三章 地域文化の固有性 - インタビュー

300年の歴史ある地域文化に、自身が取り組む意味とは
- 谷口弦(名尾手すき和紙 / KMNR™主宰)

近代化の過程で失われた文化と地域のアイデンティティ
- 山内ゆう(紙布織家)

神楽の本質を伝え、文化を継承していく
- 小林泰三(石見神楽面職人)

地域の魅力を発見していく起点としての「美術館」
- 杉本康雄(青森県立美術館長 / 青森アートミュージアム5館連携協議会)

地域の人々が生活から醸し出す不可視な文化、そこに触れる場所としての「美術館」
- 吉川由美(文化事業ディレクター)

回っていく、つながっていく、引き継がれていく人、場所、アーティストの信頼関係
- 向井山朋子(ピアニスト / アーティスト / ディレクター)

観光の真ん中で「文化の祭典」を構築する
- 河瀨直美(映画作家 / なら国際映画祭エグゼクティブプロデューサー)

地域を知るなかで立ち上がってくる身体、言葉をパフォーマンスに凝縮させる
- 森山未來(ダンサー / 俳優)

文化庁ホームページ「文化観光 文化資源の高付加価値化」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/93694501.html

レポート「令和3年度 文化観光高付加価値化リサーチ 文化・観光・まちづくりの関係性について」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/pdf/93705701_01.pdf(PDFへの直通リンク)
これからの文化観光施策が目指す「高付加価値化」のあり方について、大切にしたい5つの視点を導きだしての考察、その視点の元となった37名の方々のインタビューが掲載されたレポートです。

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