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満州からの手紙

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満州からの手紙
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満州からの手紙#1をお読みいただく前に

 これからお届けする150通の手紙は、昭和13年から当時通信兵として日ソ国境警備へと出兵した若き日本兵が、故郷(愛媛県宇和島市)に住む父母に宛てた手紙です。  そこには一人子として遠く離れた戦地にありながら、故郷に残した父母への心温まる思いや、帰還を夢見る若者の恋の悩みと葛藤が生き生きとえがかれています。 また満州北部の悠々たる自然や日本兵の日常の描写など、コッケイとも言えるジョークを交え、美しくも壮大に描いた感動のドキュメンタリーです。  時を超え現代によみがえった忠勝

満州からの手紙#1~#5

満州からの手紙#1 お母さん。 元気で暮らしているでしょう。 先月の二十六日以来、今日迄( 二十二日夜) 一ヶ月近くも通信することをとめられていたのでお便りが出来なかったのです。 お父さんは相変らずお務めに忙しい毎日を送っておいでに成るでしょうネ。自分は勿論常変わりなくピンピンです。元気で御奉公していますから安心して下さい。  次に今日小包がとどきました。軍用犬は名前を目下考案中ですからいずれ後便でお知らせしましょう。マスコットにします。  宮本の叔母さんからの送

満州からの手紙#6~#10

満州からの手紙#6 お父さん。 後五ツ寝たらお正月ですネ。 『もう五ツ寝たらお正月だよ。』 幼い頃よくそう言われたお父さん達のあの声を今なお懐しく懐しく思い出します。 お父さん。僕達もお父さん達も又ーツ年をとってお爺さんに近づくのですネ。僕も今度の正月を向かえば明けて二十四才の春を向かえる訳です。  昔、紫野の大徳寺に一休と言う非常に名識の高い坊さんがありました。その人はお正月を歌いよんで、 『門松は三途の川の一里塚 めでたくもありめでたくもなし』 と言われて、元旦早々人間

満州からの手紙#11~#15

満州からの手紙#11 お父さん。 新年おめでとうございます。 さぞよいお正月を向かえられたことでしょう。 私も感謝して十三年度を送ることが出来ました。 除夜の鐘は聞くことが出来ないけれど、私も確かに二十四才の春を向かえました。    夜が明ければ正月元旦です。 私は元旦早々営兵で歩哨勤務につくので、お父さんに差し上げる第一報を現在こうしてかいているのです。 一日の朝九時から二日の朝九時の交替が来るまで一昼夜、不眠で服務するのです。 試練の第一歩が早くもやって来たので、私も張り

満州からの手紙#16~#20

満州からの手紙#16 お母さん。 お手紙今日 (十四日) 確かに受けとりました。 昨日はお父さんからお便りが来たのですよ。 僕も大安心です。皆元気で何よりです。  正月も昨年の僕がいた時以上に愉快に過ごしたそうですネ。 僕もお母さん一人を残してこ んな辺凛の遠い異国の土地へ来て居ても皆がそうしてお母さんに優しくして呉れたり、力に成って呉れたりすることをよく知っているので、どんなにどんなに安心だか知れません。 いつも、皆に心から感謝しています。    僕が家にいた頃皆に親切だ

満州からの手紙#21~#25

満州からの手紙#21 お母さん。 たびたびお手紙ありがとう。 又、今日は待ちこがれていた小包を確かに受け取りました。とてもとても嬉しく思いました。本には餓えていたのでさっそく読みはじめました。 ほんとうに有難う。 『親思う心に勝る親心 今日の訪れなんときくらん』 孝心深い松陰先生のうたわれた {三/ミ} {十/ソ}{一/ヒト} {文/モ} {字/ジ}(和歌)を心に思いうかべて『吉田松陰とその教育』の本を読んでいると胸にジイン!!と生温かいものを感じて来ます。    お母さん

満州からの手紙#26~#30

満州からの手紙#26 二月十四日出の信敏叔父さんのことが書いてあるお手紙たしかに今日 (二十一日) 受けとりました。 暫くお手紙が来なかったので何処かお体でも悪いのではないだろうかと心配しておりました。    お母さんも随分偉く成りましたネ。 すべてを神の御さばきにまかせて、人を憎まず罪をさえ憎まず許すとは、お母さんのあのお手紙で教えられる処が非常に大きかったと思います。 叔父さんはすでに罪に対する罰を神から受けて苦しまれているのです。この上せめるのはよくありません。  叔