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満州からの手紙#1~#5

満州からの手紙#1

 お母さん。
元気で暮らしているでしょう。
先月の二十六日以来、今日迄( 二十二日夜) 一ヶ月近くも通信することをとめられていたのでお便りが出来なかったのです。
お父さんは相変らずお務めに忙しい毎日を送っておいでに成るでしょうネ。自分は勿論常変わりなくピンピンです。元気で御奉公していますから安心して下さい。
  
 次に今日小包がとどきました。軍用犬は名前を目下考案中ですからいずれ後便でお知らせしましょう。マスコットにします。
  
 宮本の叔母さんからの送り物嬉しく嬉しく戴きました。とても温かくてお蔭様で寒い目をしなくて済みます。
ショウガ板、唐饅有難う存じます。新聞やキングを読み乍ら戦友達と一緒に好仲く食べました。懐しい故郷のうわさをしつつ。

 僕達はもう錦州の兵営にはいないのです。
封筒のあて名に書いてある通りの処へ駐屯しているのですから雅さんに頼で地図で尋ねて教えて貰いなさい。
湖のすぐそばに自分達のいる半截河の部落があるのです。

 色々ニースを知らせれば山程あるけれど、今日は止めて置きます。
今後勤務その他のことにさしつかえぬかぎり通信は許されるのですから、軍規にふれぬ圈内に止めて色々変わったことを知らせます。

 次に松本の叔母さんから過日送り物を戴きました。
お母さんからお礼を言っておいて下さい。
皆自分が欲しい欲しいと思っていたものばかりだったのでとっても有難く思いました。正月には皆で写真をうつしてぜひ送って下さい。
特にお父さんの写真 (小形でもよいから大きく半身程にうつしたもの)が欲しいけれど無理もいえないですネ。

 満州へ来て以来あれだけ来ていた歌子君からの便りが一通も来なく成ったのです。二、三度お手紙したけれど勿論返事も来ません。
昇君が帰ってからのことです。 ハ・・・・・・。
    
 この手紙がついたらお父さんとお母さんの確実な生年月日をしらべて直ぐ通知して下さい。お願いの第一です。

 それから雅さんは清美君のことを言って恐縮していたけれど、そんな心配はいらないと伝えて置いて下さい。いずれお手紙しようと考えていますが。 
そして雅さんとお母さんに特に言って置きます。
清美君を悪く言ったり軽蔑したりすることは、たとえ二人の間のうわさであっても決してそういったことのないように充分慎んで下さい。
くれぐれも心して置いて下さい。

 最後にもう一ツお願い。
それは入営の時、越智の兄さんから送られた吉田松陰先生のことがかいてある本が本箱の中に入れてありますから雅さんに言って出して貰って送って下さい。
今後菓子を送るかわりに本も送って下さい。
本は沢山いりません。そして一度に送らなくてよいのですよ。
本を送って戴く時は必ず兄さんに(越智の)相談して兄さんのすすめられる本を買って送って下さい。

 目下の処、前に言った松陰先生の本と漢書小学の参考書を買って送って戴きたいのです。漢学者の大家に成ろうと思いましてネ。 ハ・・・・・・・・。
ではどうぞたのみます。
 慰間袋を送って戴くだけの価値は目下の処ありますよハ・・・・・・。

 それで一ツ雅さんや藤チャン達で慰問袋を戴きたいネ。勿論先程も言った様に菓子はいらない。何かために成るものとか有意義なものでお金のかからぬものを。

 今日は難勤務後で体が疲れているからもう止めます。
明日の勤務にさしつかえてはいけませんから。
では、お体大切に。サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ
二十二日夜十一時



満州からの手紙#2

 世界一優しいお母さん。
K町からこの半截河の部落へ異動して来て最初のお手紙を今日戴きました。 (二十三日) きっときっとお母さんから来ているぞ、と思っていましたら案の定十三日発の手紙がありました。
全部で六通、昨日はお母さんからの小包がとどいたし、ここ二、三日福の神が舞い込んで来たようです。 ハ・・・・・・。
 
 昨夜かいた手紙は今朝出して置きましたから、この手紙より先にお母さんを訪れて僕のことを一生懸命心配しておいでに成るお母さんをきっと安心させてくれるでしょう。  

 お父さんも元気なんですネ。
なんだかこの頃はお父さんもお母さん程好きに成って、お母さんにお手紙あげてお父さんに あげないとお父さんに申し訳がないように思えてならなく成りました。
でも『お母さんは体が弱いんだから』と考えると、今夜こそお父さんにお手紙しようと思っていても、ついついお母さんにお手紙かいてしまいます。
 
 お母さん、僕の処へは色々の人から沢山お手紙が来ます。そしてその人達は皆一様に『家のことは心配するな、それにしても君はやさしい父母をもって幸福だ!!』とかいてあります。僕もほんとうにそう思います。

 お母さんは僕の幸、不幸はみんな自分の幸、不幸だと考えられているでしょう。僕もお母 さん達の幸、不幸は自分の幸、不幸よりもずっとずっと深刻なものだといつも考えます。だからどうぞどうぞ僕のために体に無理をしたり、無茶に働いたりしないで、時々は体をお 父さんと二人そろってゆっくり休養させて下さい。

 僕はお母さんが僕達のことを思って一生懸命働いて戴く気持はほんとに導くて有難いけれ ど、人の体はいつまでも無理の通るはずがありません。
はりきった気持は一時的に人間の体を鞭うって驚く程確固たる気力をしめすけれど、やがてその精神的な気力は非常な力で体をむしばんでゆくため、とりかえしのつかぬ結果をまねくことがあります。よくよく心して下さい。
 
くりかえして言います。
昔から仕事でも、勉強でも、恋愛でも、結婚でも、無理は大の禁物、必ず失敗の元!! 自然の波に乗って自覚の発露のままに、うるおいのある落ち着いた、あせりのない生活をして下さい。

 お母さんの体はもうするだけの無理は充二分しつくしているのですから、これ以上の無理 はたべるに困難ならいざ知らずそうでないかぎりは謹んで下さい。
自分がかえる迄ほんの二人が食べる程のことだけしておれば、後は僕のする役目。
若い者のする事まで年取った者がするのは属に言う『年よりの冷水』あまり感心出来ませんよ。
これ以上かきませんからよく考えて下さいネ。

 次に清美君が嫁入りされたとかほんとうに結構なことだと思います。嫁入り先が解れば雅さん達で何か記念に成るものでも買って送って上げて下さい。
僕も内ショでなら少し位でかまわぬならお金を送りますよ。
あの人の幸福を心からいのっています。
 
 それから歌子君が来るのですネ。あの人の父母様には色々送り物を度々して戴いているの ですから、お母さん達の出来る囲内でいろいろもてなして上げて下さい。

 何処の人も子供の可愛いのは同じこと!!
そしてもてなすのは形式よりも心でもてなすのを第一にすること。軽率な話しや約束をしたりしないこと。
僕の考えも、こうして試練されてゆくと共に様々に変化してゆくのですから、人の誠心や純情をふみにじったり、不義理なことに成ったりしないように、お互いに心掛けて置きましょう。
 
 いつまでたってもかわらないのはお母さん達にあまえつきたい気持だけ。僕だけは、お母さん達にとってはいつまでも赤ん坊です。 ハ・・・・・・。
 
 次に僕がお手紙を上げたのが全部のけてあるでしょう。
あれを全部アルバムと共に密封して人の手のつかない処へのけて下さい。
なおこの手紙を最初として『思い出のしおり』とかいた表面をつけて藤チャンにリボン (青) で綴させて下さい。 封筒も一緒に奇麗に切開して。
解りましたネ。
 
 それからお母さんにもう一ツお願い!!
それは越智先生に一冊だけ本をえらんでもらって、それが難しい本であっても、又わからない本であっても毎夜五分間だけ読んで下さい。
感じたこと、感心したこと、思いついたことを書く気に成った時は日記か帳面にハッキリかいて置くこと。
字はていねいにくずさず、下手でもかまわない。誠心のこもった字で。
きっとですよ。
家にかえったらみせて貰います。
 
 みどり君に時々見舞いのお手紙を上げていますか。月に一回程は忘れずあの人を見舞ってあげてくれませんか。

 今日は外は零下二十五度。でも室内はスチームとか温爐、ペーチカ等が昼夜通しでたいてあるから汗がにじむ程温かです。心配しないで下さい。
 
 田中君、石田君、冨永君、水谷君にお手紙戴いて忠勝が非常に喜んでいると伝えて下さい。

 お正月はよい年をとって下さいネ。
 
 お月様を眺めながらお星様を眺めながらお母さんとお父さんのことを今日も静かにおいのりしてこの筆を置きます。
サヨナラ。
忠勝君
お母さんへ


満州からの手紙#3

 お母さん。
僕のために誠心込めて神様に毎朝毎夕お母さんがお祈りをして戴くお陰でしょう。
今日も恙無く一日の勤務を終えることが出来ました。
 
 そして今日は僕が聯隊して以来一通もかかさないで大切に保存して置いたお母さんからの お手紙を出して来て、一通一通封筒を切開いて手紙をよこして貰った順に重ねてピンで止めました。
これは今度外出した時、渋い感じのする上品な色のリボンを買って来て表紙を付して『思い出のしおり』としていつまでも記念にのこして置く考えです。

 宮本の叔母さん元気でしょうか。温かい覆面を使用する度にやさしい叔父さんの誠心が身 にしみて有難く感謝しております。
四六四九お伝えして下さい。

 お母さん。
僕達が急にK町から異動してこんな辺凛な処へ移住したので定めて色々心配しておいでに成るでしょうが決して決して心配しなくてもよいのです。
原隊にいた時と同じように、K町のS兵営にいた時と少しもかわりのない、平和な物静かな毎日を送り向かえているのですから。
こうして懐しいお母さんにもいくらだってお手紙することが許されているし、暇な時をみて自分の好きな読書も出来るのです。
又極寒期に入りつつあるので演習もあまりやらないし、無理な勤務につくこともありません。
くれぐれも僕のことについての心配はいりません。

 今日は町の様子を少し知らせましょうか。
K町に競べれば勿論日本人も少ないし、町も一條町だし、奇麗な家屋もなければ、たいした商店もありません。まあ町と言ったよりも部落と言った方が適当な言葉でしょう。だからk町よりはズーと貧弱な処です。
たとえて言うなら宇和島の町と近永を比較した程の違いでしょうネ。

 それでも日常の用務にさしつかえる程の不便な処も感じません。
町の建物はすべて実用的で極寒にたえ得る様に窓を少なくして、土をねってあつくかべが出来ているので芸術的なうるおいのある建築は一軒だってありません。
店屋も家の中に戸を開いて入ってみないと、まったくみすぼらしい同じようなかっこうの家ばかりで解りません。が店屋の入口には大抵赤い色の紙や布で造ったフキナガシ様のものがたててあるので、売っている品物が何かわからなくてもどうやら尋ね尋ねして用件だけは果せます。

 菓子屋もあれば果実屋、文具屋、靴屋、 帽子屋、服屋、さては写真屋、風呂屋、旅館といったものまでありますが、内地のそれと比較して考えることは出来ません。
教会も僕達兵舎のすぐそばにあります。
電灯はなくてランプが十九世紀の遺物をとどめている様にはばをきかせています。
娯楽機関としてお母さんに教えてあげるようなものは何もなくて••••••。
強いて言えば『田吾作』とか『ミス国境』といった飲屋と言ってよいのか••••••か解らぬ情無く下等な遊び場があるけれど、これは娯楽機関なぞの中に入れて考えたくありません。

 但、淋しく思われるのは本屋のないことです。
住民は大抵満人(土着)が多く、こんな辺凛な処ににあわぬ美しい姑娘(クーニャン)を時々町角で見うけるのは嬉しいです。 ハ・・・・・。
しかしこの土地の人達は寒い故か、内地の人達にくらべてあまり働きませんネ。ボサッ!! としてやっぱり大陸的と言った方が適当でしょう。

 写真を近々のうちにうつして送りましょう。
たのしみにして待っていて下さい。

 今日はこの辺で止めて置きましょう。
明日のお便りをたのしみにして待っていて下さい。
今夜のお母さんの夢が楽しい夢でありますように。
アーメン。ハ・・・・・。サヨナラ。
忠勝   
お母さんへ


満州からの手紙#4

 お母さん。一昨日も、昨日も、お手紙出しましたよ。
忠勝君に呼吸のあるかぎり、通信を許されている以上必ずお手紙出します。
『お母さんにお手紙を上げるのだ』と考えただけでもう僕は一日一日の自分のしたすべてのことを静かに反省する気持に成るのです。
 
 お母さんとこんなに遠く離れていても、僕はいつもお母さんと一緒にいる気持です。僕は生まれつきそそっかしくてよく軽率な言葉や行動をとって、思わぬ誤解をされて一人くるしむ時が度々です。(こう言った所は現在矯正をしようと思って、懸命に努力しているのですが)

 けれども僕の心は決して卑怯者ではありません。自分が正しい気持でした行為に対しては、なんらやましい考えをもたぬからです。
ただその場合自分の軽率に対しては当然罪に対する罰をうけるべきだと考えていますから黙ってしかられるのです。
 
 それでも中学頃のあのまけん気が、時々ヒステリーの様に頭をもちあげて瞬間理性も何も吹き飛ばして火の玉の様な烈しい気持に成る時があります。
しかしそれも心の中に、いつも僕と一緒においでに成るお母さんが、僕に『悪かった!!』と言う考えをそっとささやいて教えて戴くので数かぎりない失敗も恙なく終ってゆきます。
 
 みんなみんなお母さんのお陰だと点呼時の一刻、お母さんに感謝のいのりをささげるのです。
 
 お母さん。僕がいつも 『お母さんお母さん』 と言っているので戦友は笑います。しかし僕は 『子供だとか、赤チャンだ!!』とか言ってお母さんの姿を心におっている僕を笑って いる戦友を不幸な人だと思います。
何故ならそんな男はお母さんの有難味をほんとうに知っていないからです。
 
 子供は親のことを思い、親のことを心配ししている間は親は必ず子供の心の中に生きているのです。だから決して誤った道に子供をみちびいてゆくことはありません。
そう言った無形的なものの中に真の親子が眺められるのです。
笑っている者にはわらわせるより仕方がありません。
僕は笑われても世界で一番幸福な自分を嬉しく考えます。
 
 お母さん。今日も又わけのわからぬことをかきましたネ。もっとお母さんに喜んでもらえるような愉快なことをかけばよかったのに。

 戦友のKが宇和島の蜜饅頭をたべたいと言うのです。 自分もたべたく成りました。 送って下さい。

 鬼ヶ山おろしの空風が吹いて、随分無理を続けて来られたお母さんの体にひどく寒さがこ たえることでしょうネ。
無理をしないで下さいネ。 又明日お便りかきましょう。今夜はこれでお休みなさい。
ランプの光にて
夜十二時
忠勝
優しいお母さんへ


満州からの手紙#5

 お父さん。
お手紙を一ヶ月余も出さなかったので心配だったでしょう。異動のため通信することを許されなかったのです。
元気にやっていますから安心して下さい。
 
 一昨日(二十二日夜)から手紙の通信が許されたのでさっそくお手紙した訳です。
二十二日には小包を、二十三日には、お母さんからのお手紙をはじめ六通の手紙を受けとりました。
これはこの地に来て最初のお手紙を貰ったので、先月二十六日来の便りがたまっていたわけです。
 
 手紙の中に期待していた懐しいお父さんの便りがなかったことは少なからず僕を寂しく物足りなく思わせました。
年末の忙しい毎日、毎夕を送りむかえておいでに成るお父さんにこんなことを平気でかく僕の考えが非常に間違っていることは僕もよく知っているのだけれど、何かにつけて案じられるものですから、ついついわがままを言いたくなるのです。許して下さい。
 
 そしてこの手紙がお父さんの処へつくのは調度正月の元旦か二日頃だと思います。正月は会社は休みでしょう。
故郷のお父さんのお手紙が欲しくてたまらない僕にその休みを利用してお手紙下さいネ。
 
 次に若松から歌子君が僕の家に冬休みを利用して来るのだそうですネ。お母さんがそう言っておいでになりました。
「将来お嫁に貰ってもかまわない。」と考えたこともありましたが、現在の処そう言った女に対する決定的な考えや観念は慎むべきだと思っています。それに歌子君に逢ったこともないし、また学生だし、自分もお父さん達の温かい懐を離れてこうした男一生に一度の試練をうけているので、結果無事で最後まで自分の力量をねることが出来得るか、途中で果てなくも倒れるか、たとえ倒れなかったとしてもそうした試練の結果からどう自分の考えが変わってゆくか、まったくどちらをみても未知でしょう。
 
 どうか歌子君に対する態度や話しを軽率に表わさないで下さい。
あの人の純情や、叔母さんへの義理をふみつけることのないように今から考えて置いて下さい。お母さんにもお父さんからよく話して置いて下さい。
 
 こちらは日一日と寒さが本格的に成りつつあります。零下四十度余り下るそうですが目下の処二十五、六度から夜間は三十度ぐらいのもので極寒地のこちらでは、まだまだ一驚するにたりぬでしょう。

 マーチョウ(馬車)のゆききの合間に、{橇/そり}をみかけるのも国境の町らしい風景です。
この部落は満人が種だけれど、日本人の娘さんも沢山カフェーまがいの処で働いています。自分はかつて未だ一度もそう言った処へいったことがありません。酒も煙草も呑みません。
お父さんと入営の際約束した自分の身を謹むことだけは絶対的に胆に銘じて自覚していますから安心していて下さい。
 
 越智先生にかわる人格的に高潔な人を隠れた兄として、友としてもつことが出来た現在の僕は誰よりも幸福です。
僕は誰がなんと言っても、きっときっとお父さんとお母さんのため真面目にお務めを果してゆきますよ。

 僕のことは必ず心配しないで下さい。

 あまり長く成るので今日はこの辺で止めます。
淡いランプの光りでやっとかいたのです。
では、お体大切に大切にして下さい。 サヨウナラ 

信頼して止まない
お父さんへ
忠勝








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