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満州からの手紙#16~#20

満州からの手紙#16

 お母さん。
お手紙今日 (十四日) 確かに受けとりました。
昨日はお父さんからお便りが来たのですよ。
僕も大安心です。皆元気で何よりです。

 正月も昨年の僕がいた時以上に愉快に過ごしたそうですネ。 僕もお母さん一人を残してこ んな辺凛の遠い異国の土地へ来て居ても皆がそうしてお母さんに優しくして呉れたり、力に成って呉れたりすることをよく知っているので、どんなにどんなに安心だか知れません。 いつも、皆に心から感謝しています。
 
 僕が家にいた頃皆に親切だったから、お母さんに皆が親切にして戴くのだとお母さんは言われるけれど、そんなことはありません。
どちらかと言えば、僕は皆をいじめてばかりいたのですから。喧嘩ばかりしていたのですから。
お母さんが皆からそんなにして懐しまれ親しまれ優しくされるのは、やっぱりお母さん自身が皆に親切で優しかったからです。

 家に来ている人達や近所の人達から便りを戴く度に、涙ぐましい気持で陰乍らそっとお礼を言うのですよ。どの人達も心から優しく僕を励ましていただくし、 家のことを心配するなと言って戴くのです。
 
  次に、今日千波少尉殿と一緒に錦州の兵営でうつした写真が出来たと言って、少尉殿が当番にもたしてよこして戴きました。
二人でうつしているのの後ろ側に (僕の) 立っておいでに成るのが千波少尉殿です。 松本の叔母さんに顔がよくにているでしょう。この半截河の町へ来てから三、四度遊びにゆきました。
着ているのが防寒外套です。戦闘の際は袖の真中頃にカラゲみたいな処があるでしょう。 あのところから袖が離れて、銃をあつかうに都合よく成るのです。

 それからレンガ造りの家 (兵舎) がみえるでしょう。こちらの兵舎は殆ど全部灰色のこのレンガで建てられています。(錦州付近)
この錦州の兵舎は、張学良の弟がたてたのだそうです。一人写している方に大きな柳の木があるでしょう。ヘイの向こうに葉の無い木の梢が真っ直ぐに天に延びているのがみえるでしょう。みんな柳 ({楊/ヨー} {柳/リュウ)) です。錦州あたりにはこの柳以外には樹木はまったくありません。

 この錦州では最低温度が零下五、六度で風が吹く日など人体に感ずる寒さは約十度といった処でした。それでも随分たまらないと思いました。けれどもこちらの零下二十度、三十度 四十度に競べると問題ではありません。

 錦州あたりの建物に (民家) 競べると、いちじるしくこのあたりの家はその形においてちがいます。屋根の形も錦州あたりは丸いのですが、こちらは内地の家と同じかっこうの屋根をしています。

今夜は不思議に文章がつまってかけません。
明日かきます。しりきれとんぼを許して下さい。
ではおやすみなさい。
お母さん(十五日夜)
忠勝

満州からの手紙#17

 お母さん。
今日、朝営兵勤務からかえって午前中グッスリ眠りました。昼食後浪花節の慰問があったので大隊本部へ聞きにいったのです。
けれども期待した程あまり上手ではありませんでした。
  
 お父さんからお手紙が来て中に抄本が入れてありました。これでお父さんやお母さんの生 年月日も明確に知ることが出来ましたよ。

 昨日は懐しい越智先生から嬉しいお手紙を戴きとても感激しました。
今も昔と少しも変わりない先生の愛と導を得、どんなに心強く考えたか知れません。
お母さんからお礼を申し上げて置いて下さい。

 私も軍隊へ来て、色々と未知の世界を少しずつ知ることが出来ました。 単純に育てられた私は想像もしなかった世界を否応無しに見せつけられたのです。それが今どんなにどんなに 私の尊い体験としてしのばれるか知れません。
 
 お母さんは私の為に足袋もはかないで日参されているそうですネ。 私は日参して戴くのは 嬉しく感謝するけれど、一層寒く成って来る折から足袋もはかずに外へ出ると言うことはあまりよいことと思いません。
止めて下さい。

 病気はほんの一寸したことから起こり勝ちです。そしてその些細な不注意が、終にこの上なく大きな不幸となって一家の者に悲しい思いをさせなければならぬ羽目に成るのです。 お母さんが真実私を思って戴くなら、私の為にお母さん自身の体を、もっと大切にして注意して戴くことです。
目先のことよりも、その向こうにある真の大きなものを常に目標として進みましょう。

 手紙はいつも、この便箋の計の中に字をかいて欲しいと思います。 そして『ハ十の手習い』と言う言葉もあるのですから、今からはつづけた文字をかくよりも一字一字丁寧に誠心こめてかくようにされては如何でしょう。
もっともお母さんは忙しいのでそれもなかなかのことでしょうが、善いと考えられることは無理にもやってみると、案外思ったより生むが易く実行されてゆくものです。

 字の上手下手よりも手紙は読み易く、解り易くかくのが第一でしょう。そう言った点に人の誠はうかがわれるものではないでしょうか。
字が上手に成るためには手本をみて、はじめ堅い字(くずしてない字) をかくことです。

 私も字が下手で度々赤面することが多いのですが、字を真面目にかく人は手紙を貰っても 非常に好感がもてます。けれども、ていさいばかりかざった文字でかいてある手紙は、その人の誠心の多少が考えられ不快です。
このことは藤チャンや稚チャン達にも言って下さい。
そして時々はペン字の四角い堅い字 を皆で練習すると非常によいと思います。(勿論手本で) 婦人倶楽部等の附録にあるでしょう。
 
お父さんが度々便りをよこして戴くので非常に嬉しいと思います。
お体大切に。又明日かきましょう サヨナラ
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#18

 お父さん、御無沙汰して済みません。
過日は懐かしいお手紙嬉しく拝見しました。
お変わりないとの事なので心から安心しましたよ。
忠勝君はとても元気で風邪一ツひきません。
元気旺盛軍務にいそしんでおりますからどうぞ心配しないで下さい。
 
 この頃は何かとお父さんのお便りが心待たれます。 しかし、お父さんの思慮深くて厳格な天性をよく知っているので、別に無意味な心配はやりません。
やはり気になるのは、体の弱いくせに無茶を敢えてせられる事の多いお母さんの事です。
そうした気持ちから、自然お母さんへはお手紙が多く成ってお父さんには御無沙汰がちに成るのです。
お父さんとは黙っていても、気脈相通ずる処を明確に意識していますが、しかし、やはり親子でそうしたむつかしいことを考えたり論議したりするよりも、胸裏を開いて考えたり、思ったりした事をどんどんお手紙したり、貰ったりする方がなんとなく心嬉しいと思います。

 僕はこの頃よくお父さんと二人でしんみり北満の思い出話をやりながら、お酒をくみかわしてのんでいる夢をみるのですよ。そんなことを演習の暇々にボンヤリ空想して憧れているからかもしれませんネ。 ハ・・・・・・。
 
 斑の戦友の中には色々の種類の人間がいて、中には囲ゴの上手な者もボツボツみうけます。
満期でもしてかえったらお父さんを一番敗かしてやろうかな、そう言った無邪気な功ミョウ心にかられて、日曜日の宵など一人前のような手つきで文句を言いながらヘボゴをやるのです。ハッハ・・・・・。
正目フウリン!だなんてお父さんはそんなゴをしっていますか。兎に角、楽しみにして息子の腕前に期待を思っていて下さい。
宣戦を今から布告して置きます。
 
 僕は幾ら酒を呑まされても、フラフラしたり、考えがなく成ったりしません。お父さんの血を引いたのでしょうネ。しかし、酒はどっちかと言えば嫌いな方ですから、止むおえぬおつきあいの他は、自分からは一度も呑みません。
兵九郎に一人前の交際をせまるような野暮な人間は少ないので、心配無用です。なにしろ給金が少ないのですから。
半蔵河に来て久保本班長殿や斑の戦友達と一回、それから他班の戦友と一回、二回のみました。
煙草は現在も全く呑みません。これは一生通せそうです。

 しかしどんどん年はとるし、責任は重く成るし、一寸考えていると将来に対する自信をもってはいても不安な点もあるのですが、世の中のすべての人が立派にやって行った事なので、自分もどうまりやれると考えているのです。

 僕はデッチからでもよいから商売がしたいのですが、これはお父さんにしかられて熟考反省中です。
やっぱり年をとっても苦労しらずのボンボンでは何かにつけて夢が多くて困ります。

 実際にあたってくだけてみるまではなんとも言えぬので、大きなことを言うのは止めて置きます。 ハ・・・・・・。
お父さんも年をとった後まで、ものさくな息子のために色々と苦労の多いことですよ。

 世の中は色々と不平に考えて不満に思っても、自分の考え通りには行かぬものですから、自然の恩恵に反ばくせず、あたえられる運命の中に親とし、子とし、社会人としての喜びを思って行くことが無難だと思います。

 色々つまらぬことをならべてすみません。
又次にお手紙しましょう。
くれぐれお体大切にして下さい。 サヨウナラ。
忠勝
お父さんへ

満州からの手紙#19

 お母さん。
歌子君の写真が入れてあるお手紙、確かに二十三日受けとりました。
有難う。
今日はお父さんからお手紙を貰いました。
お変わりなくお務めの御様子なによりです。
 
 次に、お父さんがあまりお手紙を度々家へよこすのは、僕のためにもお母さんのためにも、よくないと言われるのです。
毎日、お手紙かくとそうした点もあるのです。
それに、お父さんがそう言われるのですから、今後五日に一回の割でお便りしますからそう思って下さい。(勤務の都合で正確には言えませんが)
お手紙かく時間を勉強にあてるのです。

 本や菓子を送ってくれたのですネ。
たのしみだけど、半月以上かかると思います。
勿論書留で送って戴いたことと思いますが、 それからエチフンは沢山いりません。 五本送って下さい。 異動の折、私物があると大困りで身にもてないとどんな物でもすてるより仕方がなくなるのです。 だから注文以外の品物はあまり送らないで下さい。
小学の本は原本がこちらにあるのです。
しかし参考書は無理になくても結構です。 送らなくてもかまいません。
 
 越智先生からもお便りを戴きましたが、色々お世話をおかけしたのですからお母さんからも四六四九お礼を申し上げて下さい。
小包はとどかない場合があるそうですから、必ず大切なものは書留にして送って下さい。荷物が途中でこわれることがあって宛名がわからなく成ったりすることもあるのですから、必ず宛名はハッキリと、荷造りは確実にして下さい。
 
 今日は演習に出ないで戦友三人と一緒に被服庫の使役にいきました。
その他、別に報告する程のことはありません。

 今日は二十四日ですから、今度のお手紙は月の終りにしましょう。
体を大切にしなさい。ではサヨウナラ
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#20

 お母さん。
一月二十日出のお手紙確かに今日 (二十六日) 戴きました。
有難うございます。
お母さん。手紙を読みかえせばかえす程温かいお母さんの慈愛が身にしみて、とうとう我慢出来なく成って泣いてしまいました。
そんなにまでも僕のことを思っていて貰うのか、と考えれば、今更に一層親孝行の真似さえもしていない僕の昔が思い出されてたまらない気持ちです。

 僕は世界一幸福です。送り向かえる毎日毎日が少しも淋しいことはありません。
僕の体はお母さんが守って貰っているんだと本気に成って僕は考えているのです。
 
 お母さん、僕はお母さんに遠慮なぞしてはいません。これで精一杯あまえているのです。だからそんなことをかかないで下さい。
本だって、密饅頭の注文だってしたでしょう。 お金は隊で沢山貰ってお菓子代にも、日用品代にも困らない上、貯金してそれでまだあまっているんです。
この上欲しいものを言ってくれと言われても、幾等考えたってないのです。

 又、月に三度も四度もの慰問袋は多過ぎます。
一ヶ月に一度か、二ヶ月に一度で結構です。
欲しくない慰問袋を度々造って送って貰って、無駄をお金を貰うより、僕の将来のため、そのお金を貯金して置いて下さい。
その方がどんなにどんなに嬉しいか知れません。
僕も無事に御奉公を終ってかえるとしたら、すぐ様世の中に乗り出して働かねばならぬのです。そのためには多少のお金も必ず入用に成るのですから、その時のことも考えて置いて戴くようにお願いして置きます。
 
 お父さんはそう言った先のことを考えて、一生懸命働いておいでに成るのですから、多少 ユズウがきかないで、ガッチリしていたとて、決して決してお父さんを頑固屋だなどと言わないで下さい。
お父さんがガッチリされるのも、お母さんと同じに僕のことを心から思っておいでに成るからです。
 
 お母さん、人間は欲をおこせばかぎりのないものです。だからその時その時の境遇に応じた、感謝と喜びの心を持って毎日を送りましょう。
それがお互いのために一番幸福な、めぐまれた日々の送り方だと思います。

 越智先生とお母さんの誠心のこもった本がとどいたら勉強します。
今よりもっともっと一 生懸命に、そして満期してかえる迄には少しはしっかりした男に成ってかえりますよ。
それ迄はどんなことよりも体を大切に大切にして、一層体を丈夫にして置いて下さい。
僕も公務以外の時は体を大切に大切にして、病気などには決して敗けませんよ。心配しないで下さい。

 若松先生が亡くなられたとか、あの元気な先生にそんなことが・・・・・・  信じられない気持です。お母さんも僕も随分お世話に成った人でしたが、人間はいつどんなことが起こるか知れないものですネ。
お互いに一層自重して、そんな不幸な目に逢わない様に注意し努力しましょう。

 故郷の月は美しいとか。
しかし、お母さんが眺めておいでに成る月も僕がみる月も同じ月。
ここで眺める月も又、この上なく美しい月だと思います。
では、今日はこれでサヨウナラ。
 忠勝
お母さんへ


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