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満州からの手紙#11~#15

満州からの手紙#11

 お父さん。
新年おめでとうございます。
さぞよいお正月を向かえられたことでしょう。
私も感謝して十三年度を送ることが出来ました。
除夜の鐘は聞くことが出来ないけれど、私も確かに二十四才の春を向かえました。
 
 夜が明ければ正月元旦です。
私は元旦早々営兵で歩哨勤務につくので、お父さんに差し上げる第一報を現在こうしてかいているのです。
一日の朝九時から二日の朝九時の交替が来るまで一昼夜、不眠で服務するのです。
試練の第一歩が早くもやって来たので、私も張り切っているのです。

 来年からは精神的知識の向上、経済的観念の養成、自己の将来の開タク法等に関し、計画的にすべてを現在の境遇から割り出してゆく決心です。
又その方針計画については、後日お父さんに手紙で相談しましょう。
 
 一月一日を期としてお父さんから先に一日かわりでお父さん、お母さんに手紙を出すことに定まりました。毎日出すと勉強とか仕事につかえるからです。

 金も上等兵に成ったので、一ヶ月十円二十五銭貰うことに成っています。この金を予算をくんで有効につかう考えです。
私も大分自分の将来のことが気にかかって来ました。やっぱり年ですネ。 

 女のことはもう気に成らなく成りました。 ハ・・・・・。
不思議な程。

 ではお母さんと共にお体大切に。 サヨナラ
お父さんへ
忠勝

満州からの手紙#12

 お母さん。
写真が出来てきましたから、送ります。
戦友が僕によく似ていると言います。
随分大人に成ったでしょう。あけて二十四才の春を向かえたのですからネ。
写真屋が注文通りにしていないのですが仕方がありません。
千波少尉殿と一緒にとった写真は、今日少尉殿が焼付けすると言われていますから、出来次第さっそく送ります。
 
 ここ二、三日、営兵 (歩哨)、中隊当番、 馬屋不寝番等々連続勤務で手紙をかく暇がなんとはなくみつからなくてお便りしなかったのです。
 
 千波少尉殿と二人でうつした写真は、少尉殿が今日焼付けすると言われていますから出来次第に送ります。
 
 正月に写真をとりましたか。
もしとっていたら出来たら送って下さい。 たのみます。

 今日は昨夜徹夜しているので眠くてたまりませんからこれでやめておきます。

 体を大切に大切にして下さい。

 皆に一枚ずつ写真を送ってくれるように言って貰えぬでしょうか。
たのみます。ではサヨナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#13

 錦州あたりで柳の木が多いように、このあたりでは白樺の林がとても多いのです。
お母さんは白樺の木の皮を知らぬでしょう。
錦州からこちらへ来る途中一面坂 (イーメンバー) と言う処へ汽車が停車しました。その時、戦友の僕と同じ宇和島の男で田窪と言うのが白樺 (駅構内にはえている)の皮をはぎとってかえったのを一枚分けて貰ったのがありますから、その時の日誌文とをかいて一緒に送ります。
 
 十二月九日、九時三十三分一面坂着
『此処で四十分停車する予定だから便所へゆきたいものは行って来い』
隊長殿の線の太い声が貨車内にガン!!と響く。昼食の給与を受けた。
僕は便所へ行くため大急ぎで貨車から飛び出した。もう一時間も前からうずうずしていたのだ。

 駅の付近一帯の家屋は、なんだか外国風の建物で、クリーム色のとても感じのよいレンガが 使用されていてこの上なく美しい。
白樺の林がそこら一面に散在して、満州烏の一羽、二羽飛交っているのは不思議と調和した感じをあたえた。
 
 黒い焼杭の柵が細い道にそって白樺林をぬけ、優美なそのお伽の国を思わせる小町にのびている。フト左方の陸橋の上からロシヤ婦人の美しい姿があらわれて、例の小径へ消えていった。

 大急ぎでチョッキと靴下を出して身につけた。
これらの駅にせまった山麓の部落、否、町と言った方が適当かもしれないが、雪の中に平和な物静かな感が非常に深く思われた。
   
 こう言った調子で、何の技巧も加えない文章でもって移動四日間の様々のことを、約四十四頁にわたってノートにとっています。元気で満期したらお母さんにみせようと思って、ガタガタゆれうごく貨車内で寒さに手をこごえさせてかいたのです。
この白樺の皮は記念に成ると思って、ノートの一面坂の処へはさんで置いたものですから、お母さんも大切にのけて置いて下さい。

 書物は買って送って戴きましたか。
注文以外の品を沢山買って送らぬようにして下さい。出動でもあればみんなほおりすててゆかねばならないことに成るのですから。
 
 今日は、田舎の子供がつくって山へもっていって薪などとってくる時つかうきんま (橇) をつくりました。 明日は昼食携行の行軍です。
早く寝ていないと、又移動してこちらに来る時あごが出た如くあごが出るといけないから今日はこの辺で止めて置きます。
くれぐれお体大切に。
 
 今日は別に変わったことはありません。
頬ペッタが両方とも凍傷にかかって一寸はれているけれど、極軽いのですから三、四日もすればなおります。心配はいけません。
皆に四六四九、 では good by
忠勝
お母さんへ。

満州からの手紙#14

 お母さん、今日は日曜日。
けれども自分達は土曜日が日曜日とされているので日曜日は普通と何等変わりません。
演習はあまりしないのです。

『今日は九時整列、 徒手巻脚半の服装』
週番下士官殿がそう言って各班を廻って来られました。
徒手だから銃も剣も何もいらぬのです。防寒靴をはいて巻脚班をして外に出る。
大仏馬の運動なのですが、残余の者で使役をするのです。
使役とは色々な雑事をすることです。

 通信隊の各班には馬がいますが、自分のいる指揮班は衛生兵、喇パ兵、馬当番 (隊長殿の) それから伝令として三人の者 (自分達)がいます。それで馬はいても馬当番がいますから、馬の運動へは人員のたらぬ時以外は出ません。自然使役に廻るのです。

 この時する使役は舎外(兵舎の廻り)の清掃(掃除のこと)、機材庫、被服庫の整理の手伝いとか、炊事の使役とか、最後に便所使役等があるのです。
便所の使役はこの前知らせた通り、小便の凍った奴を掘りかえして棄てたり、金黄色の糞のカチカチに凍結して高く積重なっている奴をたたきおったりするのです。 ハ・・・・・・・・。

 今、この手紙をかいている間も盛んにコツ!!コツ!!音がするのは、すぐ横の便所で氷破りをしている音です。 ハ・・・・・。
 
 今日は炊事の使役で、私と召集兵殿と炊事掛の上等兵殿と三人で食料を貰いにいきました。リアカーを引っ張って。
カチカチ音がする (凍結しているので) 玉ねぎと大根を貰って後、鳥取県から送って来たじゃがいもを貰いました。 一ツを足の下にふまえて力一杯ふみつけてもこわれません。
トーフはやわらかかった (出来だて) けれど、もうすぐ凍ってレンガの様に成ります。 ハ・・・。
こもにつつんで送って来られた肉を、大マサカリでグワングワン破って分けたので驚きました。
すべてがカチカチに凍っているのだから仕方がありません。

 それでも錦州にいた時より余程楽です。
食器をあらっても、洗濯をしても、どんどん燃やしてある温爐の上にブリキ缶一杯水が入れててわかしてあるので水は一切つかいません。 風の吹きさらしでは何もしないのですから、聯隊にいる者より実際は楽です。
又、風呂だって毎日わくのです。
通信隊だけの中にあるのです。酒保もその通りです。
一装用ですよ。ハ・・・・・・。

 今日はお知らせはそれだけ。
お体大切にして下さい。 サヨナラ
皆に四六四九
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#15

 お母さん。
今日この地に来て出した手紙の返事を川崎から最初に貰いました。
二十三日の晩出して二日に受けとったので、即日返事をくれたのだそうです。(調度十日目です。)

 川崎は元旦に僕の家へいったでしょう。
『お母さんが心配されていた』 とかいていますが、今から先どんなことで異動するか、又は忙しくて便りが出来ないか、手紙を出すことを差し止められるかわかりませんが、お便りが一ヶ月、二ヶ月或いは半年ゆかなかったとしても無駄な心配はしないで下さい。
戦いでも始まって不幸にして戦死すれば、たいていそんなにながくたたないでも通知がゆくし (こんな心配は無用です。 ハ・・・・・・。) 病院に行くにしても、 病気に成ったとしても、手紙はたとえ人にたのんでも出せるのですよ。だから手紙がながくゆかぬ時は元気で御奉公 しているけれど、忙しいか、 作戦上在所を知らせる訳にゆかぬ時だと思って下さい。
体は自分一人の体ではないのだから大切にします。

 それよりもお母さんの方こそ無理をして体をいためないようにして下さい。
戦友の中には父のなく成った者や兄弟のなく成った者もあります。そしてそんなのは悲惨です。
キトク(市長証明)の電報さえくれば戦闘中でないかぎり、往復の旅費から何からみてかえして貰えるのですが、そんなことでかえして貰えるのはたまりません。ハ・・・。

とにかくこの辺一帯の空気は大分緊張しているようです。が線をかついで走る僕達は、直接戦闘を交えぬので、弾にあたってくたばったらよくよく運が悪いのですネ。ハ・・・・・・。
 
 今日十日分の給料を貰いましたよ。今の処金持ちです。

 便箋がこれきりで終りです。 

 くれぐれも体を大切にして下さい。
今夜はこれで止めます。 サヨナラ
忠勝
お母さん。



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