見出し画像

満州からの手紙#26~#30

満州からの手紙#26

 二月十四日出の信敏叔父さんのことが書いてあるお手紙たしかに今日 (二十一日) 受けとりました。
暫くお手紙が来なかったので何処かお体でも悪いのではないだろうかと心配しておりました。
 
 お母さんも随分偉く成りましたネ。
すべてを神の御さばきにまかせて、人を憎まず罪をさえ憎まず許すとは、お母さんのあのお手紙で教えられる処が非常に大きかったと思います。
叔父さんはすでに罪に対する罰を神から受けて苦しまれているのです。この上せめるのはよくありません。

 叔父さんがこれで自覚されなかったら、今度こそこれ以上の大きな罰が下されるでしょう!!
勿論、叔父さんはもうすでに醒めた生活をされていると思っていますが。
僕はお母さんがそうした落ち着いた考えをもって貰ったことを心から嬉しく思います。そして尊敬します。
 
 お父さんはそんなにやさしくされるのですか。
叔父さんに対しても、お母さんに対しても。
僕はお父さんに感謝しています。やっぱり僕のお父さんだとしみじみ信頼を深めました。
お母さんもお父さんのその涙の出るような誠心に報いるだけの気持に成ってつくして上げて下さいネ。

 風紀をみだす変な処は驚く程沢山あります。 日本の婦人も幾十人となく見受けます。鮮人、満人の女の中にまじって!!
けれども僕はお父さんとお母さんの写真を自分の肌守りの様にして、常々離さずもっています。
僕はこの父さん達の写真の前に頭をたれるような不純なことは、たとえ殺されても絶対にしません。心配しないで下さい。
 
 過去1ヶ年間の軍隊生活は、あの死ぬような試練の毎日が続いた軍隊生活は伊達ではありません。
不幸を重ねた僕が異郷のこんな処へ来てまで、うそをついてお母さん達をだまそうとは思いません。

 人は知らず!! 僕だけは信じて下さい。

 戦友も准尉殿もよく知っていて戴くことです。
必ず必ず心配しないで下さい。
お父さん、お母さんのことを考えていると、僕にはそんなでたらめは死んでも出来ない。 男の名に置いて断言します。

 お約束のものが遅れます。都合あって。
敏夫ちゃんにはやって置いて下さい。
 
 皆にお手紙がゆくとそんなに喜んでくれるのですか? 僕はお母さんが色々お世話に成るのだからもっと度々お手紙したいのだけれど、何分軍務についている体!! その点を知って貰 って無信の処は許して貰って下さい。

 みなで住所氏名を書いたよせがきを作って送って下さい。(家へ来る人全員)
小学の参考書は送ったのですか。未だに受けとっていませんが。
送る時は書留にして送って下さい。
慰問袋は二ヶ月に一回と決めて置きます。
それ以上絶対送らぬこと。

ではお体くれぐれも大切に。 サヨウナラ
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#27

 お母さん。
今、 慰問袋がとどきました。 (二十五日十二時)
小学の参考書をありがとう。
 
 戦友のたれより僕の袋が一番大きなので嬉しくてたまりませんでした。
ドロップス、ショウガ板、ドングリ、イワオコシ、風船、下帯、チリ紙等確かに受けとりました。(前の小包の中に入れてあった写真、たしかに戴きました。)
ちり紙はこの間、便箋、ハミガキ粉、手械、石ケン等と一緒に四ヶ月分一ペンに貰ったので沢山ありますから今度からいりません。
あまり荷が多いと処置に困ります。

 下帯がなくて困っていたところでした。多謝多謝。
もうこれでかえにも困りません。 ハ・・・。
今度から慰問袋はもっと実際的にたのみます。
小さな町でも菓子屋もあるのですし、酒保もあるので甘いものにはたいして困りません。
 
 実際的と言っても案がつかぬでしょうから、例を上げてみましょう。
食べ物では、『いか』 なぞは上品過ぎる方です。 が、まあ副食物に成る、いか、とかのり (まきずしにつかう)、 かいぼし、いりこ、ひらき、とか言ったものですネ。
班には沢山の戦友がいて皆と分け合ってたべるのですから、上品なものを送って貰っても仕方がありません。
 
 副食に成るものは慰問品の中でもありがたいですネ。飲物ではコーヒーなどあれば、戦友の皆とメンコにコーヒーをたてて点呼前の一刻を故郷のうさ話しにきょうずることが出来るでしょう。砂糖は売っていますから。
たれの小包にも申し合わせた様に入れてあるドロップスには閉口します。勿体ない話しだけれど。
どんぐりは近来の大出来でした。
 
 将来嫁にゆくような娘さん達が十人も二十人もよっていて、もう少し実際的な考えがわかぬものかなと考えました。
慰問品を貰って文句を並べたらしかられるかも知れないけれど、こんなことでは夫から感謝されるお嫁さんにはなれません。
こんな処への送り物は上品なものなぞ意味無しです。
 
 今度の慰問品は、お金のかからぬもので、もっと実際的なものを皆で考えて、その品物はたれがえらんだのか、名前をつけて送って下さい。
では今日はこれで止めます。

慰問は月に一回で結構、二ヶ月に一回でも結構。
度々すると有難さがうすく成ります。
ではサヨナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#28

お母さん。
随分ながくお手紙かかなかったので、何からかけばよいのか見当がつかなくて困ってしまいます。
お体お変わりありませんか。そして皆元気で暮らしているのでしょうネ。
 
 僕は足に豆が出来て、診断の結果行軍不能で、戦友達より一日早く(七日)演習地から汽車とトラックに運ばれてかえって来たのです。翌八日の夕刻には戦友達もかえって来ましたが、それから僕は直ぐ週番についたので色々と忙しく、お手紙をかく暇がどうしてもみつからなかったのです。

 今、僕は点呼が終って事務室へ来たのです。
そして消燈までの一時間を利用して、こうしてお手紙かいているのです。
演習については移民団の人達の家へ泊まったことや、行軍途中のことなぞ色々とかきたいけれど、近々ノートにまとめる考えですから、その時お知らせしましょう。
たのしみにして待っていて下さい。

 次に、昨日写真を同封して久保本班長殿がお母さんにお手紙されました。
僕を精神的に善導して戴くのはあの人一人です。越智先生のような感じのする人です。僕は心から久保本班長殿を尊敬しています。
あんな人に成りたいと正直いつも考えます。
お母さんも久保本班長殿にはお手紙をしてあげて下さい。
 
 お母さんのお手紙は僕は知らないけれど、班長殿は自分の母とよく似ていると言われていました。お母さんのことを。
僕の妹達にも、兵隊さん兵隊さんと言って戦地の兵隊さんと仲好くするのは非常によいけれど、どうせ仲好く交際するなら久保本班長殿の様な精神的に人間味のある人と交際せよ!!
僕がそう言ったと伝えて下さい。
尊敬出来ないような卑劣な男もないではないのだ!! 口と心の中の反対な!!

 お母さんも、大勢の娘さんをあずかっているのだから自覚して『兵隊さんだから!!』そう言った考えでたれかれ無しにあっさり交際したり、させたりするようなことのないよう特に注意を申し上げて置きます。
僕が何も知らせないのに、僕のことを色々言って家へゆくような男もないでしょうが、そうした人にだまされないこと。
 
 恩をうければ僕はきっと報告します。
久保本班長殿以外の人達に、あまり親しいお手紙をしては困ります。
色々と心配しなくてはいけないことが出来たりするから。

 消燈ラッパがなっています。
もうモーフをかむって床へもぐり込まねばなりません。
大急ぎのお手紙で字も乱雑!!
なんだか嫌な気持だけれど今夜はこれで。
ではサヨナラ。 
お体大切に。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#29

 お母さん。
今日は土曜日で休日です。
私は勤務があったので外出が許されなかったけれど、勤務の無い者は外出が許されました。
しかし外は近頃にない大雪で、夜に入った今も降り続いています。
こんなに雪の降る日は大変暖かいのです。
 
 この頃の外気温度は朝四時頃の一番寒い時で零下十度~十五度、朝が零下六、七度で日中に成ると普通温度の三、四度になることさえあります。
防寒被服を返納したので二、三日みの虫がみのをはがされたように寒くて困ったけれど、もうなれてなんでもなく成りました。
 
 今からは日一日と暖かく成ってゆきましょう。
それでも未だ草の芽さえ出ておらず、みわたすかぎり褐色の一色のみなので、なんだかみょうに物淋しく思います。
山もこの部落の西門を出ると遥かな曠野の果てに南山と言う高い山がみえるけれど、潅木一本みあたらぬ丸い褐色の坊主山です。

 自分達のいる兵舎(満人家屋を臨時兵舎に改造したもの)の隣は、この部落唯一人の鮮人医者が住んでいます。
この医者の家の入口には沢山ピジョン(鳩)がかってあります。
鳥は雀が物凄く沢山います。内地の雀とかわりません。烏は満州烏と言って白い斑点の入った奴が人家とか白樺の林の中で群飛んでいます。鷹も時々見受けます。
 
 キジは沢山いますよ。 ○○へゆく途中なぞ幾十羽と群をしています。
心懐しく故郷のことを思い出させてくれるのは{雁/カリ}です。夕方なぞ夕焼けの空をカギに成りサヲに成って飛んでゆく雁のゆくえを見送っていると、胸に熱いものを感じます。

 お貯金が十六円九十銭出来ました。 ハ・・・・・。

 戦友達は今夜お酒を買って来てのんだので、さっきまで歌をどなっていたのが眠ってしまいました。疲れたのでしょう。
僕は一人でこうしてわけのわからぬことでも、お母さんにお手紙する時が一番たのしいのですが、この頃は忙しくてろくろくお手紙が出来ません。許して下さいネ。
 
 今度から小包を送る時は軍隊クツシタ、テブクロを各々一枚ずつ入れておいて下さい。これはチリ紙のかわりに常にたのみます。
一度に送らないで下さい。

西条からお手紙がゆきますか?
若松からはどうですか?
釜山の川口淑子君から写真が来ました。いるなら送ってあげましょうか?
 
 今日は別に何もこの上かくことがないので止めます。
くれぐれお体だけはどうぞ大切にして下さい。
それのみが僕のたった一ツの最大の希望です。ではサヨナラ
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#30

 お母さん。
 今日 (十三日) 送りもののことが書いてあるお手紙を確かに受けとりました。歌ちゃん、兵頭達からもお手紙が来ました。
週番ですから、僕が大隊本部へ手紙と小包を毎日一時頃受けとりにゆくのです。
 
 隊へ帰ってからが大変です。
泣きごとを山程並べられたり、感謝されたり、実際故郷からのお手紙や小包、慰問袋のことに成ると幹部の人達までが目の色かえて悲喜交々と言った調子です。 ハ・・・・・。
自分達の班では断然、河野か自分です。
しかし、手紙も自分の家からのお便りが一番たのしみです。
 
 次に班長殿には色々お世話に成るのですから時々お手紙するのは結構ですが、あまり僕のことを言ってはいけませんよ。
越智先生と同じような精神的に一致出来る久保本班長殿ならどんなことをかいても理解をして戴くでしょうが、 僕の軽く言った言葉を重く考えて、あまりたれに対しても深く考えないで下さい。
 
 お母さん。精神的に尊敬出来る人を一人兄とし、友としていれば百人の友にも勝るのです。僕は沢山の友があるけれど、心の友たった一人をもって、その人と結ばれてさえいればそれで幸福です。この上なく。
僕のことは心配しないで下さい。
 
 善兄、善友さえあれば無自覚の中に必ず一層真面目な自覚ある人間になれます。 僕が凱旋するのは一年先か二年先かわからないけれど、必ず立派な男に成ってかえります。
忠勝
お母さんへ


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?