見出し画像

28年目、人生初の家族写真

妹が生まれてから28年目、私と妹、父と母が4人揃った家族写真を初めて撮影した。

大まかな前置きとしては前回のnoteに書いてあるのだけども、ざっくりと言うと私の妹は障害者施設に入所していて、妹の育児等を理由に両親は私が小学生の頃に離婚している。仲が悪い等で離婚したわけではない。

いつか家族4人が揃った写真を撮りたいという思いを漠然と抱えたまま29歳になり、ようやく気付いたのは「気合いできっかけを作らないと4人揃うことは絶対にない」ということだった。

もともと私の妹は、3-4歳くらいまでしか生きられないだろうと言われていたらしい。その妹は、今年の12月で29歳を迎える。余命なんてクソ喰らえと言わんばかりに長生きしている。そんな生命力に溢れた妹ではあれど、今後も長生きできるかは分からない。

いつか家族写真を撮りたいと思って29年、このまま私も含めた4人が生存している状態を維持する事は出来ないと悟った。そもそも私が成人して以降で私と両親の3人が揃ったのも、私の自殺企図で警察に通報された事が理由だった。

家族写真を撮りたいと思っていた当の本人が一番先に命を絶とうとしていたのは滑稽だけど、だからこそ家族全員が生きてる間に写真を撮りたいと思った。

もともとは私と夫の身内だけの結婚式に妹も参列して貰えたら撮影できると思ってたのだけど、夫の仕事が忙しいのもあり、正直身内だけの結婚式ですらいつ実現するか分からない。

そんなすぐに人は死なないと言いたいところだけど、人は必ずいつか死を迎える。そのタイミングは、その人自身が決められるものではなく、理不尽なタイミングで訪れることも珍しくない。

焦るという程ではなかったものの、結婚式での妹参列を待ち侘びているだけでは家族写真が実現しない可能性もある。

誰かが死んでから「本当は4人揃った家族写真を撮りたかったんだ」なんて葬式で言ってみろ、地獄の幕開けパーリナイでしかない。遺体を3人で囲んで4人での家族写真は、残念ながら解釈違いにも程がある。私は私を含めた4人が生きている状態で写真を撮りたいのだよ。

そう思った私の行動は早かった。たまたま母と電話した時に「家族写真が撮りたい」の旨を伝え、母から施設に確認を取ってもらいOKが出てから父に打診した。

正直、両親それぞれに家族写真を打診するのが自分の中ではとてもハードルが高かった。普通に今でも会えば話す仲が悪くない関係とは言え、2人とも妹に対する思いは全然違う。そこに加えて、今までになかった私の提案だ。家族写真を撮りたいなんて、言ったことは一度もなかった。

嫌がられないだろうか。嫌がられなくても、やんわりと断られないだろうか。ただ私のエゴを両親と妹に押し付けているだけではないだろうか。OKが出ても、実はそんなに乗り気じゃないとかではないだろうか。

そんな懸念を抱えたまま両親それぞれに話したところ、あっさり承諾が出た。私の心配を返せとは言わんが、私がウンウン唸りながら「あ〜〜!電話したいけどしたくね〜な〜〜!!あ〜〜!」とか思いつつビビりながら電話したのは何だったんだと思わなくはない。

まぁそれはともあれ、私と両親で妹が入所してる施設に面会に行き、写真を撮る日が決まり、無事2024年6月19日に撮影することが出来た。

元々面会自体は2人までしか出来ないと言われていたので、撮影自体は妹を車椅子で屋外に散歩へ連れて行って撮影することになった。

前日は私が「絶対今日は一歩も外に出ないぞ」と決めるくらい豪雨だったものの、19日は在宅ワークな私が熔けそうになるほど晴天で、ありがたいくらいの撮影日和。

撮影してくれるカメラマンがいるわけではないからどう撮影したものかな〜とは考えていたので、私が仕事でストリートビューを撮影する時に使ってる三脚や自撮り棒、Bluetoothの手持ちシャッターを持参して撮影した。

仕事の備品がこんなところで役立つことになるとは思わなかったな、というのが本音ではある。

妹はあまり屋外に散歩に行くことがないらしく、キャーキャーと歓声(?)をあげてはあちこちを見ていた。機嫌が良さそうで、姉としては何より。

私が三脚とかをセッティングしてる間に両親が妹と交流している姿は、私が求めていた光景だったのだろう。不思議と心が暖かくなった。

母は父が妹にどう接するか不安だったらしい。でも、撮影前後で父が妹の脱げた靴を履かせていたり、父が妹の手を握っていたりする姿を見て、今まであった心の溜飲が解けたらしい。それを聞いただけでも、家族写真を撮りたいという私のエゴが救われた気がした。

思えば、私と妹が対面したのは10年以上前のことだ。きっと私の事は分からないだろうなぁと思いながらの面会ではあったけれど、両親や私を見てご機嫌そうにしている妹が可愛かったのでそこら辺はどうでもいいな、と思った。

そして撮影できたのが、一枚目はこの写真。

悪くないんだけど何だかな〜と思ってたところ、父が自撮り棒を持ってくれた状態で撮影した2枚目がとても良かったので見て欲しい。



家族写真を撮りたいと思ったのは私のエゴ、これは事実だ。私のエゴで実現したとはいえ、家族全員が揃って笑ってくれている写真が撮れた。これだけで私の夢は叶ったのだからありがたい話だ。

個人的には、たまたま撮影できた父と妹が見つめあっている写真が凄く好き。何だろうね、よく分からないんだけどほっこりする。



撮影が終わって妹を病室に帰す時、父に外で待って貰い私と母が付き添った。すれ違う看護師さんには「お姉さん似てますね!」と言われ続けたけど、母と2人で「そんな似てる?」なんて話した。

少し面会時間に残りがあったので母が妹の爪を切ってる間、私は妹の事を見続けていた。私と妹って似てるところあるのかな、と母と話しながら妹を目に焼きつけるように見ていた。

元々肌が白いところや指が骨張ってるけど全体的に細い指が似ている。手を触った時の質感は、本当に私の手を触った時の質感とそっくりだった。そんなところが似るものなのか?

元々妹は一重まぶただった筈なのだが、ある日気付いたら妹は両まぶたとも二重になっていたらしい。ほぼ同じDNA構造なのにズルいぞ、妹よ。姉ちゃんにも分けてくれ。

頭を撫でて感じる髪の質感は、私と全然違った。髪が細くて柔らかめの私とは正反対に近い、しっかりとした固めの髪質だった。妹の髪質は母に似たのかもしれない。

眉毛がフサフサなところは、ケアをサボった姉とそっくりだな我が妹よ。これは両親のどちらに似たのかは分からないけど、お互いもうちょい薄くても良かったね。

妹の顔をじっくり見ていると、何となく父の面影を感じた。何処が似てるかと聞かれると分からないのだけど、何となくそんな感じがする。

私がメイクをすると若い頃の母に似るように、この子もメイクをしたら母に似るのだろうな。そう思う顔立ちだった。

母が爪を切っている間、妹が大人しく切られていたのはお散歩で疲れたからなのか、母を母だと認識していたからなのか。妹が静かに爪を切られている間、私はそんな事を考えていた。

妹の手足はとても細く、私が少しでも力を入れたら折れるかもしれないと思うくらいの細さだった。それでも、私が妹の手を握った時に握り返す妹の手は力強くて少し安心した。

10年以上会っていなかったのに今更、と思われるかもしれない。それでも、私はずっと妹に会いたかった。これは事実だ。

コロナ等で面会できなかったのはあれど、おそらく私は怖かったのだと思う。私が妹に会ったところで何が出来るのだろうと思ったり、私が妹に会うには母の存在が不可欠だから母の負担にならないだろうかと思ったり。そんなビビり精神が高速で反復横跳びをしては、妹に会うのを躊躇して10年以上が経過してしまった。

少し言い訳がましい話をすると、私のうつ病に伴う精神状態の悪化がマシになり始めたのが3-4年前の話であり、それまでは心の余裕がより一層なかったのもある。

私が妹にとってお姉ちゃんだと認識されているかは分からないし、本人に確認することは出来ない。10年以上会ってなくて今更面会に来ては急に写真を撮る妹不幸な姉なのだけれども、改めて思う。そんなエゴを背負っても構わないと思うほど、妹が愛おしいと。

母が面会後に「妹が健康だったら2人で並んで散歩とかしたのかも」と話したのだけども、健康だったら健康だったで「私のプリン食べたでしょ?!」みたいな喧嘩をしていたかもしれないし、もしかしたら仲が悪い姉妹だったかもしれない。

私は障害者支援の観点で言えば「きょうだい児」と呼ばれる、兄弟姉妹に障害者が居る存在だ。中には、兄弟姉妹としての障害者の存在に悩まされたり、苦しめられたりするきょうだい児もいるのは知っている。

だとしても、私は私がきょうだい児だとしても妹が可愛いし愛おしい。障害があろうが無かろうが、私の妹であることには変わらない。そもそも私自身が精神障害を持ってるので、その点で言えば妹もきょうだい児という事になるのでお互い様じゃね?くらいに思ってる。

きょうだい児で恨み辛みを抱く人がいるのは知っているけど、私はそれに該当せず妹が可愛い。もちろん、幼少期に当然ながら母が付きっきりになる妹を羨んだ事はあるけど、特に「妹がいなければ」シリーズを考えた事は無い。

私は妹が好きだ。私が父母が好きだ。これだけシンプルな感情なのに、人間の情緒的な心理が働いただけで家族写真を撮るのに28年もかかってしまった。長かった。

誰の命も絶えることなく家族写真を撮影できる、というのは一般的には簡単で、いつでもやろうと思えば出来ることなのかもしれない。

いつでも出来ることだから、撮ろうとしなければ家族写真は実現しない。

私の家族は自営業だったり有給が取れたりしたから妹の面会日に全員が顔を合わせることが出来たけど、学生や会社員が混在する家庭ではなかなか予定を合わせるのは難しいかもしれない。

家族のうち誰か1人の命が途絶えた時や故人を懐かしむ時に、故人が写った写真の少なさに虚しさを感じる未来を迎えたくなければ、せめて家族写真を今のうちに撮影しておいて欲しい。

誰か1人が欠けてから「家族写真って1枚も残ってないな……」と後悔してからでは遅いので、家族の関係性が良好な人は家族写真を撮影する機会を気合いで捻出する事をオススメする。

後悔のない死が訪れる事は少ない。だからこそ、誰か1人が欠けた時に少しでも後悔を減らすため、家族写真を撮影してみてはどうだろう。

それは両親揃ってとか、兄弟揃ってとかでなくとも構わない。自分と配偶者だけでもいいし、自分と子だけの写真でも、友人同士の写真でもいい。大切な人が自分と同じ時間を生きている証を残せるのは今しかないから、将来の悔いを減らすためにも、大切な人との写真を残して欲しい。

一度生存を諦めて投げ捨てようとしたものの、何だかんだで生き延びて新しい家族を得た身である私からの、経験談。

追記

妹との面会が終わったあと、私と両親は近くのスタバでお茶をすることになった。

向かっている最中に私が「今の期間限定なんだろうね〜」と適当に言ったところ、2人からはこんな回答が返ってきた。

母「何とかチーノじゃない〜?」
父「俺も何とかチーノだと思うな」

何だろう、その100%合ってるんだけどそうじゃない回答はどうかと思う。そりゃこの暑い時期の期間限定は何とかチーノだろうよ。

でも、この適当で緩い感じは自分にも心当たりがあって、あぁ私はこの2人の子なのだなぁと、少し笑いそうになった。

そしてこの後、父は人生で2回目のスタバで「何とかチーノに挑戦しようと思う」と宣言した。メニューを見ながら何とかチーノと言うくらいだから、多分覚える気があんまりないんだと思う。

初めてスタバに入ったのはドライブスルーだったらしく、その時は「アイスコーヒーを中くらいのサイズで」と注文したらしい。

まぁ通じるが、流石に店員さんも何とかチーノじゃ分からん。父は普段コーヒーを飲む人なので、取り敢えずエスプレッソ アフォガート フラペチーノをオススメしてそれを注文。

ちなみに母は季節限定のバナナブリュレフラペチーノ、私は抹茶フラペチーノをエクストラホイップアドチョコレートソースに豆乳変更でターンエンド。

母と私が慣れたフラペチーノを飲む中、はじめての何とかチーノデビューをした父は悪くなさそうに満足気な顔をしていた。

この記事が参加している募集

サポートしていただくと、私が喜びます。喜ぶと頑張ろうかなーと思う機運があります。