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約10年間で"10kgの娘を3人分"蓄えたわたしって。

このタイトルを読んでどのように解釈しただろうか。

子供を三人産んだってこと?
そう解釈した人もいれば、

10kgが3人分ってことは30kg?え…ま?
ってなった人もいるのかな。

他にも解釈はあるだろうか。
うん、あってもなくてもいいのだけど。

このnoteでつらつらと書き始めるのは、約10年間で30kg体重が増えた正真正銘わたしのお話。


30kg増えたレキシ

(脳内BGMがなぜか「きらきら武士 ©️レキシ」だったので、見出しがこうなったよ)

まずはじめに、前提として伝えるのは、32歳の現在に至るまで基本「ぽっちゃり」系の人生を歩んできたということ。
(「ぽっちゃり」っていう言葉は誰が作ったのだろう、改めて聞くとなんかポップでかわいいワードだね?)

だけれども中学高校と、部活や登下校・アルバイトなどと食べる分、運動していたので標準体型に近かった。(とはいえ友人たちよりは少しぽちゃっとしていた気がするが)

きっとこのnoteを読んでいる皆さんにも一度や二度のダイエット、なんなら万年ダイエッターよ!という方もいるかもしれない。

私も、標準体型といいつつも、お腹が気になるなぁと思ったらダイエットをしたり、恋をしたら突然ウォーキングを始めてみて体を絞ったり。そんなことを学生時代は時々やっていた。

あとは実家にいたことで、ある意味「管理下」にいたのだなぁと今になって思ったりする。暴飲暴食せずにいられたのは母親の存在が大きかったみたい。

そして社会人1年目を迎えて、大阪から東京に上京。

そんな中で私の転機が訪れる。

明確に言えるのは、心身を壊して休職をする直前くらいからじわりじわりと体重が増えていったこと。
そう、私は仕事で抱えたストレスなんかがそのまま全て食事へ昇華されるタイプだった。

「なんでそんなに太ったん?」

数年前に、高校時代の友人たちと飲みに行ったときにポロッと友人がこぼした

「なんでそんなに太ったん?笑」

んん笑 そうやなぁ、一人暮らしで料理にハマって、一人やのにいっぱい料理を作ってはそれを食べてっていうのを続けてたからかなぁ。。。笑

…なんて返した。
けど、家族以外にどストレートに「なんでそんなに太ったのか」と問われることは初めてだったので、笑って返したけどあたふたしたのが本当のところ。

とはいえ、このときの返しもあながち間違いではない。実際にこの回答も体重増加の一因といえる。

それにしても関西弁って「なぜそんなに太ったのか?」という文章をおもしろおかしくしてくれる、世にも奇妙な方言だわ。(なんの話なのか

話は戻って、友人が思わず問いたくなる気持ちもわからなくはない。だって、その友人はこの過去の私を知っているからだ。

京都嵐山で楽しそうにする30kg痩せている頃のわたし
音楽活動をしていた頃に撮影いただいた写真

高校時代・大学時代の友人や、新卒時代の同期や諸先輩方は、この頃の私を知っているから、グラデーションのようにどんどん大きくなっていく私を見ていたといえる。

その逆に、20代後半以降に出会った人たちは写真を見ても誰?となるだろう。きっとこのnoteを読んでいる人たちは、ほとんどがこちらに属していると思う。だから驚かせてしまっているはず。

人生のパートナーに出会い、最愛の娘にも出会い、幸せな「変化」も経験した一方で、私は自分の望まない形にも「変化」したのだった。

これを書こうと思えるまでに長い道のりがあったし、どんな風に思われるだろうと一縷の不安があるのは確かだ。だけれども、私は自ら「変化」しにいくと決めたから、いまこのnoteを書けている。

新しい自分を見にいくと決めた

ここで少し横道の話をする。
2023年ももう残り3ヶ月もないが、今年は自分でたくさん内省を重ねる年だった。

内省をすると、自分の「のびしろ」を正面から「のびしろ」として受け止めることが必要なときもある。
これはとてもしんどい。見たくない自分の事実を見ることになったりするから。

だけど、ちくりと痛みながらも、自分の「のびしろ」を受け止めて進もうと思えたとき。この丘の先にはどんな景色が待っているのだろうとワクワクする。今の私はまさにこの感覚。

まだ見ぬ景色にワクワクしている。
そしてきっとその景色が見えたとき、自分の「膿」もなくなっているかもしれないと本気で思っていたりする。

読者の皆さんは、どんな「膿」を持っていますか?心の中に浮かびますか?

きっと濃淡はあれど、誰しも「膿」は持っているはず。

ー その「膿」が消えてなくなるかもしれないと思って

2023年たくさん内省をしてきたと言ったが、その集大成ともいえるのが、働いているSHEincで開催された「visionプレゼン」という自分に最大限向き合う社内イベントだった。
そしてそのなかで、約2ヶ月間じっくり自分の内省をしながら導きだした私の今のvisioがこれだった。

"違い"を抱きしめながら進んでいった先で
「幸せのものさし」を見つけた人々が「幸せだなぁ」とポロッと言っちゃう世界

今回じっくり内省を進めて、自分の身近な人たちはもとより「みんなが幸せであること」が自分の中でとても重要であることがわかった。

そんな世界を見にいくには、今の私ではいけないと、芯で思った。自分の膿を出すのだと。

約10年かけて濃ゆく濃ゆくなったこの「膿」を出し切るのだと。
そう決意するととても晴れ晴れした気持ちになった。

新しい自分を見にいくと決めた瞬間だった。

どうせ自分がやるのなら、一人でも多くの幸せを

内省を経て、新しい自分を見にいくための「きっかけ」を私は得た。

そして「きっかけ」は日々いろんなところにあって、それを「きっかけ」とするかどうかはその人次第。
事実、私も高校時代の友人に「なんでそんなに太ったん?」と言われたあの瞬間は、人によっては「きっかけ」になっていただろうと思う。だけど私には恥ずかしながら「きっかけ」にはならなかった。

「きっかけ」を得て、動き出す私の頭に浮かんだのは、自分だけが変わるのは違うな。誰か一人でも多くの変わりたいと考えている人も一緒にポジティブな変化をして、一つでも多くの「幸せだなぁ」を聞きたいと思った。

だから、温めてきた「大事な場所」のことを10/20(金)にお知らせさせてください。
10/20が読者の方の「きっかけ」となりますように。



後記
このあと、コミュニティをリリースに至りました。


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