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弥生時代まで遡ってみると

 今、京都で生まれ育った朝鮮人の方が書いた本を読んでいる。
所謂、私史である。
ざっくり言えば、著者の父親が朝鮮半島から日本へ来て、日本での暮らしを書いたものだ。私の知らなかった世界がそこには在り、その世界は複雑な経緯を辿り今日まで続いている。

 ここまで書くとその著作について述べると思われるだろうが、ちょっと視点を変えてみたい。本を読んでいて思ったのは、日頃から朝鮮人と日本人と分けているけれど待てよ?ということだ。
 私には東京の上野にある国立科学博物館のガラスケースの中の展示が頭に浮かんだ。弥生時代のコーナーである。学校の歴史の授業でも習うが、『稲作の技術は大陸からもたらされた』、ここがかなり重要だ。
 つまり朝鮮半島から日本へ渡って来た人たちが稲作の技術を伝え、交流を持った。渡来人と日本に居た人々の間に子どもが生まれ日本は繁栄して行った。
 ということは、すでに弥生時代には、朝鮮人、元からいた日本の人、その間に生まれた人たちが混在し始めていたということになる。これを考えれば、朝鮮人と日本人を分けるということの意味があるのか?と思うのだ。
 私自身の遺伝子を調べればルーツを持っているという分析結果がでてもおかしくはない。いや、弥生時代の事を考えればそれが自然かもしれない。
 
 話を少し初めに戻す。
 今、読んでいる本には79年前に終わった戦争前からの話が語られる。それを読んでいくと朝鮮と日本には深い関わり合いがあり、朝鮮抜きに日本を語れないというのも理解できる。だから歴史はとくに近代史を詳細に学ばなければならないが、学校の教科書はそれを避けているように思える。
 教科書に載らない歴史が山ほどある事だけは憶えておくといい。それは誰も教えてくれない、自分から求めないと知る事ができない。
 知ろうとする時は、例えば日本からの視点だけではなく、朝鮮からの視点も持ち合わせて知ることが大事だ。この視点の持ち方は、何に於いても要となる。

 現代も庶民は大きな力に翻弄させられるけれど、真実を見極めながら、分かち合うことを忘れずにいたい。みんな仲良く。哀しみをつくらないように。
 
 余談。
 稲作技術を伝授され太古の昔より作り続けている「米」は、日本人の中心だ。昨今の米不足は、政府の減反などの政策ミスで起きているということだ。アメリカ米を輸入して、馬鹿者が!という話である。日本の農家を守れ。
 
 
 

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