見出し画像

涙は、花が咲いたときに

紫陽花の葉に新芽が出てきたのを見ながら、今年も咲いてくれるの花を待ち焦がれる自分がいる。毎年、当たり前のように咲く花だけれど、毎年、咲くというのは、本当は奇跡なのかもしれない。

画像1

父が息を引き取ったときも涙はでなかった。自宅に棺を安置している間も、出棺のときも、火葬場の炉の蓋が閉まった瞬間も。

さっき、父の入所していた施設の方から届いた「お荷物、まとめさせていただきました」のメールを見て、せつないものが込み上げ、目頭が熱くなった。

亡くなっても、まだ施設にいるような気がしていた。だから涙が心の扉から溢れてはこなかったのかもしれない。

メールを読んで、ああ、本当にいなくなってしまったんだなと思ったけれど、その実感がまだ少しだけ遠い。荷物を引き取ったとき、私は漸く父のいないことを感じる気がする。

父も見た庭の紫陽花。主がいなくなっても、忘れずに花を咲かせますように。私も親を亡くした子になりました。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?