子育てから自分の心の闇を知る
正論、ルールに縛られて生きてきた私
私は、子供の頃、割といい子として育った。
親に対しては、反発もいっぱいしてきたけれど、学校では、出来るだけ目立たないように存在を消して過ごしていたような気がする。
学校の規則、先生に対して思っていること、色んなことを感じていたはずなのに、
学校のルールは守るべき
先生の言うことは聞くべき
ものすごく、自分の中で、正論に縛られながら、生きてきた。それが当たり前だと思っていたから、そのことに疑問すらも感じていなかった。
でも、私だって、いつもいい子でいられるわけじゃない。
誰とでも仲良く。
人のことを悪く言ったらいけない。
誰にでも親切に。
協調性のある子。
いつも明るく、前向きに。
忘れ物をしちゃいけない。
整理整頓。
計画的に時間を有効に使う。
嫌なことも我慢してやることが出来るのは、立派なこと?
諦めない心。
学校で教わったこと。
そんな完璧な理想の姿になれるはずもなく…。
人に優しく、親切にの呪縛
無意識に理想な姿を目指していたから、
それが本当に自分が心からしたいことなのか、それが、いいことだからただしているだけなのか、自分でもよく分からなくなっていった。
偽善者
誰かを助けようとして手を差し伸べた時、もう1人の私の声なのか、
偽善者
という言葉が浮かぶようになった。
自分が誰なのか、自分の本当の姿って?
自分が本当は感じている心の奥深くの気持ちって?
自分自身を生きていなかった。
だから、いつも理想の自分と現実の自分とのギャップの差に悩まされ、苦しんでいたんだと思う。
いつも理想の自分を無理に演じてた。そんなことは、子供の頃、全く気付いていなかったけれど。
そんな自分をごまかし、ごまかしながら生きてきた。生きづらさは何となく感じていたけれど、その場、その場をどうにかやり過ごして自分の心の問題と向き合わず、避けて生きて来れた。
子育てによって感情の蓋が外れる
でも、子供が生まれ、子育てが始まった瞬間、今まで私の心の奥深くに押さえ込んでいたドス黒いネガティブな感情が感情の蓋を突き破って、一気に溢れ出した。
子供が生まれ、自分がこんなにも怒りっぽい性格だったなんて思いもしなかった。今まで、誰かにイラッとすることがあっても、自分の感情をあらわにするってことがなかったから。
子供の行動にこんなにもイライラしてしまうのは、私が正しさというルールに縛られ過ぎて生きてきたから。ルールは守って当たり前。大人の言うことを聞くのは当たり前と思っていて、本当は、守りたくもないルールに我慢して従ってきたから。
それを、全然守ってくれない、ルールよりも、自分の気持ちを優先している子供に対して、子供の頃の私が怒っている。ズルい!!って。私は、自分の気持ちより世の中の正しさ、ルールを優先してきたから。
ホントは、自分の気持ちを何よりも優先出来る我が子が羨ましいんだよね。わがまま言える子供が羨ましいんだよね。
子育てを始め、自分の理想通り、思い通りになんて、全くならないことを思い知らされる。親の理想を押し付けようとすればするほど、子供に反発される。
始めは、自分の中で何が起こっているのか、全くわからず、こんなことですぐイライラしちゃうなんて…って自分を責めたり、親の言うことを聞く素直で優しい子供に育てなくちゃって、子供を自分の都合のいいようにコントロールしようとしてみたり…。
外側ばかりに意識が向いてた。自分の外側を、一生懸命変えようと努力してた。外側に意識を向けて、何かのせいにしてばかりいた自分。でも、現実は変わらない。
何かがおかしい。自分の内側に目を向け始めると自分の中で何かが少しずつ動き始める。そして、現実も少しずつ良い方向に動き出す。
読んで下さった方、ありがとうございます。
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