継続が力になりますように

 意思が固いという評価をしてもらえることがよくある。
 素直に有難い評価なのであるが、僕自身、それほど意志が固い人間だという自覚はない。

 ただ、何かを長く続けることを失敗しないための心持ちを操作する技術にはある程度自信がある。

 飽くまでも僕自身が決めたことでのみ効果を発揮する技術なのであるが、その方法は対象の事柄によりまちまちである。

 最近では煙草を吸わないことをかれこれ9ヵ月近く続けている。そして全くストレスを感じていない。
 
 昨年の夏に新型コロナに感染したときに1週間ほど喫煙する気にもならず、折角ならこのまま吸わずにいようかというのが今日まで続いている。
 僕はこれを禁煙とは呼ばない。禁煙と名付けた時点で我慢を強いられていることが僕の中で露になる。
 我慢というものはそもそも無理があって、そうそう長く続くものではないと思っているから、そこをうまく誤魔化すテクニックが必要になると考えている。
 「今はとりあえずやめておいて後で吸いたくなったらその時に吸おう大作戦」である。大胆且つコンパクトなネーミングである。センスがきらりと光る。
 後で吸いたくなった時にも同じことを繰り返す、その連続で今に至る。まだ吸ってない、というだけである。禁煙ではない。
 あれ?気づいたらもう今となっては吸いたくなるタイミングもないや、ということに気付く。
 吸いたいことを忘れる程度には残念な頭脳で助かった。助かりっぱなしである。

 数年前に行った減量ダイエットの時も似たようなテクニックで、その時もそれほどストレスを溜めることなく成功した。

 あとは、けがの原因にもなったウォーキングであるが、これにはまた少し違ったコツがあって、一つだけ自分にルールを設けている。その日ウォーキングに行きたくない理由が面倒くさいというものの場合は却下するということである。

 足が痛い、なら休んでよし。他の用事で忙しい、でも休んでよし。雨が降っている、これも休んでよし。しかし、面倒くさい、は僕にとって理由にならないと決めている。
 掟は一つだけなのだからイージーである。けれど実際やってみるとわかるのだが、たいていの休む理由はその、面倒くさい、なのである。
 これさえ決めておけば殆ど休むことなく続けられる。
 ただ一つウォーキングにおいて気を付けなければならないことはアスファルトのめくれである。そこに足を取られようものなら2週間ほどの休息を余儀なくされる。

 僕の採用する方法は、クレバーなのか根性論なのかわからないようなものだが上手に自分を騙すということはこの種の継続には非常に有効な手段なのである。

 noteの継続に関しての工夫は今のところ、書きたいときにしか書かない。というものだけである。また別の工夫が必要になる未来もそう遠くないのかもしれない。
 

 

 

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