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「いかなる花の咲くやらん」第12章第3話 「心が通う虎女と母」


歳月人を待たず。永遠がどんなに嘆いていても,月日は以前と変わらず過ぎていった。夏がいき、秋も深まろうとする頃、永遠は母親の万劫御前が箱根権現で兄弟の供養をなさると聞き、自分も共に供養したいと申し入れた。万劫御前はたいそう喜んだ。亀若も一緒に行きたいと思ったが、五郎にとどめを刺したことが気にかかり、万劫御前に会うのが怖かった。詫びを入れなければとおもいつつ勇気が出なかった。また、最近は気鬱になり、臥せっていることが多くなっていた。もうしばらく大磯で休養するように菊鶴にも言われ、とりあえず永遠は虎御石だけを供に曽我へ赴いた。曽我へ着いた虎を万劫御前は一つの部屋に通した。
「ここがあの子が暮らした部屋ですよ。掃除はしてありますが、あの日あの子たちが出て行ったままにしてあります」
「十郎様・・・」十郎が使っていた文机、硯、「ああ、ここで手紙を書いてくださっていたのね」部屋の掛け軸には、箱根の山が描かれていた。「この絵を見て、いつも『箱王は今頃何をしておいででしょう』と気にかけていました。何を見ても二人を思い出してしまう。いまにも『母上、只今戻りました。』と、そこの縁側から帰ってきそうな気がして」十郎の面影が溢れている部屋で、十郎に包まれているような気がしていた永遠であったが、万劫御前にそう言われて縁側の向こうに目をやると、草深くなってしまった小路、積もった落ち葉が、踏みつける人のいないことを思い出させた。涙にくれる永遠を万劫御前はそっと抱き寄せ「十郎が深く深く愛したお方。あなたに会いたかった。十郎を愛してくださってありがとう。あの子たちは仇討ちをするためだけに生きたのなら不憫でなりませんでした。あなたのおかげで十郎の人生にも楽しい時間があったのだと知れて嬉しく思いました。五郎にも良い人がいたら良かったのに。お兄ちゃんが大好きで、兄の後ばかりくっついて歩いていたものだから、楽しい思い出の一つもないままに逝ってしまった」
「お母様、五郎様にも心ひかれあうお方がおいででしたよ」
「そうなのですか。あの子も人並みに幸せな時間があったのですか。お聞かせください」
「はい。お相手は亀若さんといって、私と同じ店で働いています。私の大事な友だちです」
「ああ、その方にも是非お会いしたい」
「亀若さんも、お母様にお会いして、共に箱根権現での供養をしたいと望んでおります。ただ、訳がありまして、彼女はお母様にお会いする勇気がないと。申し開きのできないことをしたと言っております」
「私に申し訳のないこと?」
「そして、そのことで心を病んで、臥せっております」
「どういうことですか」
「お辛い話ですが・・・。お伝えしてよいものか」
「私はこの短期間に四人の子供を亡くしました。病で亡くしても悲しい物を、あの子たちは失わなくても良い命をむざむざと・・・。これ以上の悲しい悲しみはありますまい。どんな辛い話でも、十郎と五郎の話なら、全て聞きたいと存じます」
永遠は亀若から聞いた十郎と五郎の最後を万劫御前に、自身も泣きながら語った。
「・・・そうして、亀若さんは五郎様の胸に短刀を突き刺したそうです」
「おー、おー、五郎、五郎。痛かったね。可哀想そうだったね。最後まで取り乱さないで、立派だったね。亀若さんのおかげですね。そんなに深く愛されてお前は幸せだったね」
暫くの沈黙のあと、万劫御前が尋ねた。
「亀若さんは、仇討ちを導き、五郎の最後の命を絶ったことで、私に会えないとおっしゃっているのね」
「そうです。私にも沢山謝っていました。自分が手引きをしなければお二人は仇討ちをしそんじて、まだこの世にいたかもしれないと」
「永遠さんはどうお考えですか」
「今回の巻き狩りに出立する際、十郎様はその御決心を私に打ち明けてくださいました。もし、仇討ちに失敗しても、お二人がこの世にとどまるとは思えません。亀若ちゃんのおかげで大願成就できて本当に良かったと思っております」
「そうですね」
「また、五郎様の最後については、苦しみの中で亡くなりましたら、五郎様の魂はどうなっていたでしょう。亀若さんに愛されながら亡くなった五郎様はきっと成仏できているとおもいます」
「私も同じように考えました。この世の兄弟を助けたばかりか、魂までも救ってくださった。ありがたいと思います。それなのに、そのことで、この母に悪いことをしたと悔い、心を病んでおられるというのか。なんということでしょう。永遠殿、このまま二人で箱根に参るつもりでしたが、申し訳ありませんが、一度大磯のお戻り願えませんか。亀若さんに母の感謝を伝えてください。こちらで養生して、そして共に箱根に参りましょうと」

参考文献 小学館新編日本古典文学全集53曽我物語
第12章第4話「いかなる花の咲くやらん」に続く

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