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「いかなる花の咲くやらん」第12章第1話 「悲しみに身をゆだね」

亀若は大磯へ帰ってきた。何処をどう帰って来たのか、自分でも分からない。着物は着崩れ、髪は振り乱れ、草履が擦り切れた足からは血が滲んでいた。途中水だけは飲んでいたようだが、もう何日も食べものを口にしていなかった。本能だけで大磯まで帰ってきた。通りをふらふらと歩いて来る亀若を見つけたのは、高麗神社から戻った永遠だった。
「亀若ちゃん。どうしたの」
永遠の腕の中に倒れこみながら、今まで無表情だった顔が崩れた。乾ききった頬に涙が溢れた。「五郎様を、五郎様を、私、五郎様を殺してしまった」
「え、どういうこと」
亀若はそのまま気を失ってしまった。十郎の仇討ちは成就したのか。十郎は、五郎はどうなったのか。何もわからないまま、永遠は鎌倉からの呼び出しで連行された。
由比ガ浜の御白洲で、永遠は二人の思いが遂げられたことを知った。そして愛する十郎がすでにこの世にいないことも。十郎の恋人ということで、関与を疑われた永遠であったが、何も知らなかったということで無罪放免された。
大磯に戻ってきた永遠に亀若は全てを話した。
「ごめんね。ごめんね。永遠ちゃん」
「どうして謝るの」
「だって、だって」
「悪いことをしたと思っているの?」
「自分のしたことは、間違っていなかったと思う。でも、私が何もしなかったら、あの二人はまだ生きてここにいたかもしれない。永遠ちゃんに笑いかけていたかもしれない」
「間違えてないと思うならそれでいいんだよ。あの二人は今度首尾よく事を終わらせることが出来なかったら、自害して悪霊となり、祐経殿に取り付く覚悟だったのよ。そんなことをしたって本当に悪霊になんかなれるかどうかわからない。ましてや取り付いて殺すなんて。そんなことができるなら、お父様の祐泰様や、お爺様の祐親様が、とっくにしている。亀若ちゃんのおかげで、二人は本望を遂げることが出来た。幼い時から、仇を討つという決意は揺らぎがなかった。どんなに私が望んでも、その気持ちは変わらなった。私と十郎様は生まれ変わったら、次の時代に必ず添い遂げようと約束したの。悪霊なんかになられてしまったら、その約束が果たせないじゃない」
「永遠ちゃん、私を恨んで良いよ。私は永遠ちゃんが望むなら命を絶っても良いと思っている」
「恨むなんかあるわけない。あの二人は一族の怨恨を断ち切るために恩赦を願いでず、その場で打たれることを選んだのでしょう?ここで新たな恨みを生むわけにはいかないわ。第一、恨む必要がないでしょ。恨むどころか亀若ちゃん、私は感謝しているわ。私は、ことが終わった後、二人を恩赦してもらうために、あちらこちらへ働きかけていたの。でも、それは十郎様と五郎様が望んだことではなかったかもしれない。私たちは、二人のために自分にできる限りのことをしたと思う。亀若ちゃんはすごく頑張って二人を助けた。尊敬するよ。亀若ちゃんだって悲しかったでしょ?どうしていいかわからないくらい辛らかったでしょ?なのに、なのに・・・亀若ちゃん偉かったね。本当に、本当にお疲れ様」
「永遠ちゃん、本当にそう思ってくれるの?」
「思うよ。すごく頑張ったね」
「ありがとう永遠ちゃん。私ね、無我夢中で二人を手助けしてしまったけれど、永遠ちゃんに恨まれることが、すごく怖かった。永遠ちゃんが恨んでいないと分かった今、すごく悲しい。やっと、悲しみだけに身をゆだねられる。」
「そうだね。悲しいよね。私もすごく悲しいよ。私ずっとお念仏唱えていたの。その時にお題目が共鳴した気がする時があったの。十郎様亡くなる前にお題目唱えたのでしょう?その時だと思う。それからずっと私の魂は十郎様と一緒にいるような気がする。そばにいるから安心して泣いていいよって、言ってもらっている気がする」
永遠と亀若は夜が明けるまで泣き続けた。

参考文献 小学館新編日本古典文学全集53曽我物語
次回 「母の悲しみ」に続く

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