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「いかなる花の咲くやらん」聖地巡り 二宮、曽我編2

二宮駅から東海道線で4分、国府津駅で御殿場線に乗り換えます。沼津方面へ4分乗車したら下曽我駅です。

下曽我駅


乗り換えがスムーズにいけば10分程で着きます。そうじゃない時は30分くらいかかる場合もあります。

下曽根駅で下車したら徒歩10分で城前寺さんです。国道松田御殿場線を目指して歩き、ミニストップを右へ曲がり坂を登って行きます。
鳥居は曽我神社の鳥居なので、くぐらず右の道を行ってください。

ミニストップに向かって右側の坂を登ります

城前寺さんは曽我屋敷があった所で、兄弟は伊豆から輿入れしてきた母の万劫御前とともに、こちらへ移り住みました。兄弟亡き後その菩提を弔うために、今はお寺になっています。お寺から眼前には曽我の町並みが美しく広がります。

正面が箱根です。

城前寺さんには、兄弟の墓、継父の曽我祐信の墓、母親の万劫御前の墓があります。



境内には兄弟発願の像もあります。



兄の十郎が弟の五郎に本当の父親は工藤祐経に殺されたことを告げ、共に力を合わせて敵討ちをすると誓った時の像です。「いかなる花の咲くやらん」第3章第2話「夕日に誓う決意」に出てきます。

https://note.com/sepera_0203/n/n176812cc39df

城前寺さんの回りには、五郎の足型か付いた石(何故足型が付いたかは「いかなる花の咲くやらん」第9章第4話「母のおもかげ」をご覧下さい)があります。


https://note.com/sepera_0203/n/n6fd3416b0754


城前寺さんから登って行くと曽我屋敷あとがあります。


坂の下まで曽我の屋敷だつたようで、「いかなる花の咲くやらん」第9章第5話「さよなら母上」で、十郎が暮らしていたのは城前寺さんより上の屋敷で、母親の万劫御前が暮らしていたのは坂の下辺りだったのだと書かれています。間違えていたらごめんなさいm(_ _)m

ここから山道を25分程登って行くと六本松があります。徒歩でも車でも厳しい道で、今は一本の松も残っていませんが、十郎と虎女が最後の別れをした地なので、是非訪れたいところです。「いかなる花の咲くやらん」では第9章第3話「千夜一夜」にその別れの様子が書かれています。

https://note.com/sepera_0203/n/n6d5b9785aff1

この時の会話はぜひ吾妻鏡で読んでいただきたいです。

六本松までの写真がありません。
迷い迷い歩いたので、どれが正しい道のりかわからなくなりました。
近いうちにまた参るつもりですので、その時に写真を撮って記事を更新したいと思います。

現在の曽我は梅の里として有名です。
せっかく曽我を訪れるなら、梅の季節が良いですね。
実際に梅林が今のように整備されたのは江戸時代のようですが、当時も梅の花は多くあったと思われるので、話の中では既に一面の梅林があったように書かれています。

https://note.com/sepera_0203/n/n0acd80914d1b




梅の季節を逃した方は5月28日に訪れると良いと思います。その日は曽我兄弟の仇討ちの日です。寺では兄弟の冥福を祈って傘焼きの神事が行われます。
何故、傘を焼くは、仇討ちの際、傘を松明代わりにしたと伝えられているからです。「いかなる花の咲くやらん」では、第10章9話「亀若の操」でその時の様子が分かります。
ただ番傘ができたのは江戸時代とも言われていて、蓑笠ではなかったかという説もあります。

二宮、曽我編はいかがでしたか?
次の聖地巡りは箱根を巡りましょう。


今年は2月3日から梅まつりが開催されます


曽我兄弟に興味を持って下さった方へ。
第1話から是非お読み下さい。


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