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「いかなる花の咲くやらん」 聖地巡り 箱根編1

箱根は湯元からバスで周ります。

箱根登山バス

箱根湯元駅から曽我兄弟の墓迄行きます。
25分950円です。上記路線図の赤い路線です。

曽我兄弟の墓

バス通り沿いにあります。
こちらの墓は本当の曽我兄弟の墓ではなく、元々あった石碑にそのように名前を付けたという説もあります。
大きな墓が兄弟で小さい墓が虎女さんの墓と言われています。

こちらは曽我兄弟とは関係ないのですが、近くに石仏群があります。あまり知られていなくて、案内も分かりにくいのですが、数多くの石仏に圧倒されます。他では見られない景観なので、是非訪ねて頂きたい所です。



地蔵菩薩

上記説明書は歴史館にありました。トイレと駐車場もあり便利でしたが、老朽化の為現在は閉鎖されてしまいました。
読みにくいと思うので、こちらに書きます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここにある石仏や石塔をよく見ると、そのほとんどが地蔵菩薩像であったり、あるいは地蔵信仰とかかわりの中で作られたものであることがわかります。この当時地蔵菩薩は現実的な利益をもたらすとされる一方で天、人、修羅、畜生、餓鬼、そして地獄という6つの道を輪廻して苦しむ人々を救ってくださる仏様として武士はもちろん庶民に至るまで広く信仰されていました。地蔵菩薩がここ精進池周辺に数多く造られ、祀られたのは、この池が地獄と思われていたことと深く関係があるようです。六道を輪廻する人々を救う地蔵菩薩は、この地を通る人々にとって旅の安全を願い救ってくださる仏様だったのです。まさに「地獄に仏」いや「地獄にお地蔵さん」ですね。
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えっ、箱根に地獄と思いますよね。
それについて、こちらに書いてありました。


こちらも読みにくいと思うので書きますね。
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ここ精進池畔には、鎌倉時代に破婚絵越えの道として開かれた道が通っていました。「湯坂道」と呼ばれるこの道は湯本から浅間山、鷹ノ巣山などの尾根を経て、ここ精進湖畔を通り、箱根権現(今の箱根神社)へと下るルートで、もともとは、箱根権現を進行した源の頼朝が伊豆の走湯山や
三島大社とともに参詣する二所詣(あるいは三所詣)を行う際に参詣道として利用したものでした。以後二所詣は歴代将軍らに引き継がれこの道も次第に整備されました。これにより、人々の箱根越えの道もそれまでの箱根山の北側、足柄峠を越えるルートから次第にこの湯坂道が使われるようになりました。しかし、何といっても険しい山道、しかも道中最も高地にあるこの精進池周辺は、時に霧が立ち込め荒涼とした風景が広がっていました。このころ箱根を超えた都の歌人がこの付近を「この山には地獄化やマリテ、死人常に人に行きあいて」と記しています。旅人にとってここは「この世の果て」地獄だったのです。どうやらこの地に数多くの石仏や石塔が作られたのも、そんな思いが背景にあったのかもしれません。
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そして江戸時代には人々の往来が東海道へうつり、こちらの道が荒れていったそうです。このころに五輪塔が曽我兄弟の墓と呼ばれるようになったと、こちらの説明書きに書かれています。

この道が鎌倉時代、箱根大権現に行くメインルートだとすると、兄弟もこの道を通って箱根大権現に行ったのでしょうか。
この石仏群を兄弟も見ていたと思うと灌漑ひとしおです。
まさか、この五輪の塔がのちの世で、自分たちの墓とされるとはつゆとも思わず、五輪の塔に手を合わせていたかもしれませんね。

こちらは六道地蔵、鎌倉時代に掘られた高さ約3.2mの巨大な磨崖仏。
この堂の正面に座ると六道地蔵様と目線がぴったり合うようになっています。

国道1号を挟んで精進湖の反対側にあります。
石仏群からは国道の下を通る道があります。

ここから箱根神社入口まではバスで6分330円です。

箱根神社は五郎が修行し、仇討ちの前にもわざわざご挨拶に赴いた大切な所です。すぐにご案内したいのですが、長くなりましたので。また次回の箱根聖地巡り2で。

曽我兄弟の箱根への旅路の様子は「いかなる花の咲くやらん」第9章第6話「矢立の杉」に書かれています。

第1話はこちら

箱根編2はこちら


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