見出し画像

いかなる花の咲くやらん 第9章第4話 母のおもかげ

永遠と別れた十郎が家へ戻ると じきに五郎も早川から帰ってきた。
「お帰り五郎。早川のおじさんおばさんはお元気でしたか」
「はい。別れの挨拶はできませんでしたが、心ゆくまで話をしてきました。幼い頃より気にかけてくださった伯父上伯母上と お別れするのは寂しいことです。そして鞍を下さいました。兄上の分もございます」
「ありがたいことですね。さあ五郎、この家ともお別れです。いろいろと見て参りましょうか」
「そうですね。この家には沢山思い出が詰まっております。あ、兄上、この柱の傷を見てください」
「二人とも小さかったですね」
「母上が測ってくださいました」
「この頃 五郎は泣き虫でしたが、剣術の稽古には熱心に励んでいましたね。力持ちになるんだとよく石を持ち上げては投げていました。おかげで家の周りは 大きな石がごろごろ転がっています」
「そのおかげで今は岩まで投げるような強力になりました。母上が庭がめちゃくちゃと笑いながら嘆いていらっしゃいました」
「もうすぐ紫陽花が咲きそうですね」
「母上の好きな花だ。藤の花も菖蒲の花も母上はお好きでした。ツツジの花の蜜のあまさを教えてくれたのも母上です。この家のどこを見ても母上との思い出がいっぱいです。私達は本当に母上に愛されて育ちました」
「母上のことばかり思い出しておるな。未練を残さないために育った家を見て回っているのだが、母上のことばかり言っていては却って未練が募るのではないか。母上のこと以外にも楽しかったことはあるだろう。ほら、あの石。お前の足型がついている。お前が足を怪我してもう治った。その証しに、この石を踏み砕くと言って 思いっきり石を踏みつけた。私はまた足が折れるんじゃないかと思ってハラハラしたよ。さすがに岩は割れなかったが、なんとお前の足型に石が窪んだ。いやー驚いた」
「あの怪我の時はずっと母上が側にいて世話をして下さいました。どこへ行くにも負ぶってくださるのがうれしくて、用もないのにあちらこちらへ連れて行けとせがんだものです」
「五郎、やはり母上の所へ行こう。行って勘当を解いてもらおう」
「しかし、兄上、お許しいただけるだろうか」
「三浦の伯母さんも おっしゃっていたではないか。母上は許したがっているが、きっかけが ないだけだ。と、お前も今 母上に愛されていると言ったではないか。大丈夫、必ず許してもらう。それは母上のためでもあるぞ。勘当されたまま五郎がこの世を去れば、母上の悲しみは後悔とともにある。さらに苦しめることになると思うぞ」
「分かりました。私は勘当をといていただけたら、本当に嬉しく思います」
「では参ろう」
兄弟は母の元へと向かいました。


参考文献 小学館「曽我物語」新編日本古典文学全集53


次回 第9章第5話 「さようなら母上」 に続く


小田原市曾我の城前寺付近に今も残されいる「五郎の踏み石」
足を怪我した人が回復を祈願していたようです。
なかなか見つけられなくて、お寺の周りをぐるぐる探し回りました。
地面にあると思っていたら道路わきの崖にありました。

この話しの舞台になった曽我についての記事は上記にあります。読んで頂けると幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?